ノーベル医学生理学賞を受賞した大村智先生の講演を聞いた。主催は日本エッセイストクラブ。大村先生がこのクラブの会長に就任した記念の講演。都心の北里大学の大村智記念研究所。満席だった。講演のタイトルは「北里柴三郎先生の求めたるところを求めて」。
大村先生のことは、山梨県韮崎の大村美術館の訪問、あるいは著書を読んでいるなど若干の知識がある。そして私は尊敬している。
1時間半のリアルのお話では、その功績と人柄に感銘を受けた。大村先生の講演は、随所に名言を挟んで進めるというスタイルだった。大村先生は名言の蒐集家であり親しみを感じた。父、母、先生、友人、書物などの言葉に素直に従っていくなかで、あるいは反発で、ここまで到達したのだ。
紹介された名言だけを記すことにしたい。身近な人々と東洋的教養でつくられた人格であることがわかる。
- 工夫(横山隆策先生)
- 百折不撓(韮崎高校)
- 卒業後5年間。仕事に研鑽を。(田中元之進先生)
- 教師の資格は自分自身が進歩していることだ。(母)
- 実践躬行(先生)
- 微生物に頼んで裏切られたことがない。(坂口謹一郎)
- 予防医学。実学の精神。(北里柴三郎)至誠
- 先人の跡を求めず、先人の求めたる処を求める。(空海)
- 切に思うことは必ず遂ぐなり。(道元)
- 至誠惻怛(山田方谷)
- 君子は器ならず。(論語)
- 小才は、縁に出合って縁に気づかず、中才は、縁に気づいて縁を生かさず、大才は、袖すり合った縁をも生かす。(柳生宗矩)
- 一期一会。(茶の精神)
- 眺望は人を養う。(大岡信)
- 縁尋奇妙・多逢聖因(安岡正篤)
- 天地は永遠であるが人生は二度と戻らない、人生はたった百年、日々はあっという間に過ぎてゆく。幸いにこの世に生まれたからには、命あることの楽しみを知るべきである。ただ、楽しく生きたいと願うばかりではなく、人生をむなしく過ごしてしまう事のないように心しなければならない。古来から人々は人生は短いと、そればかりを嘆いてきた。(菜根譚)
- 大事なことは人のためになること、世の中のためになること、それを喜べる人間になること。(祖母)
北里柴三郎記念館。
講演会の前に、白金台で都築さんと富山さんと昼食を摂りながら歓談。
その後、科学博物館附属自然教育園を案内してもらった。
夜は、「言葉の力塾」に参加。
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「名言との対話」9月26日。小泉八雲「外国人の旅行者にとっては、古いものだけが新しいのであって、それだけがその人の心を、ひきつけるのである」
小泉 八雲(こいずみ やくも、1850年6月27日 - 1904年(明治37年)9月26日)は、ギリシャ生まれの新聞記者(探訪作家) 、紀行文作家、随筆家、小説家、日本研究家、日本民俗学者。ラフカディオ・ハーン という名でも知られる。
ハーンは来日し松江中学で教え、旧藩士の娘・小泉セツと結婚し、小泉八雲と名乗る。熊本の第五高等学校で教えた後に東京帝大文科大学講師となり英文学を教えた。小泉八雲熊本旧居は小泉八雲が第五高等学校英語教師に着任して最初に住んだ家である。漱石は17歳年上の有名人・小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の後任だった。
「怪談の書物は私の宝です」と言うように怪談好きは特別だった。そして嘘つきが嫌いだった。眼鏡はうその目、入れ歯はうその歯、お世辞もうそであった。煙管で煙草を吸うのが大好きだった八雲は、得意の背泳ぎで葉巻煙草をくゆらせながら海上に浮かんでおり尊敬のまなこで見られてもいたという。
2014年にPodcastで「ラジオ版 学問のすすめ」Special Editionを聴いた。小泉凡(小泉八雲記念館顧問)。テーマは「怪談四代記 八雲のいたずら」で、とても面白く聞いた。
2017年に渋谷の「塩とたばこの博物館」を訪問した。煙草を愛した人々というコーナーがある。本居宣長、太宰治、吉田茂、山東京伝、荻生徂徠、平賀源内、林羅山などと並んで小泉八雲も紹介されていた。煙草好きは有名だったのだ。
2019年に島根で小泉凡先生(小泉八雲記念館館長)の講演を聞いた。知研宮島の合宿だ。5年前の顧問から館長になって本格的に八雲に取り組んでいた。テーマは「小泉八雲が愛した神々の国の首都・松江。オープンマインドの航跡を追って」であった。
前半は、小泉八雲の生涯を説明。後半は。スーパーヘルンさん講座、五感を使った教育、全員が怪談を語れるようになった、など子ども塾のこと。ミステリーツアー・ゴーストツアーの紹介があった。夜歩く。10年で316日、5112人が参加。今では県外者が7割以上。焼津、彦根などでもゴーストツアーが開催されている。海外もダブリン、ニューオリンズとの交流。アイルランドはゴーストではなく妖精。
この記念館は、地域の不思議文化の発掘と発信をしている。「松江は怪談のふるさとだ」という館長の言葉に納得した。珍しい「生きている記念館」だ。小泉凡館長は人物記念館の館長のロールモデルだと感心した。他分野への越境、人と人との繋がり、縁が歴史をつくる。坂本九想い出館もそうだが、ファンの募金でできた記念館というところに価値がある。夕刻からの懇親会では、小泉先生の隣りに座ることになった。日航のアテネ支店長だった西村六さん(小泉八雲の研究家)ら共通の知人の話題もでて仲よくなった。
日本を、古い日本を愛した八雲は「日本人ほど、お互い楽しく生きていく秘訣を心得ている国民は、ほかにちょっと見当たらない」とも語っている。外国人によるこのような観察は多い。
「諸君が困難にあい、どうしてよいか全くわからないときは、いつでも机に向かって何かを書きつけるのがよい」という言葉には同感だ。襲ってくる難問には冷静な心持ちになって問題を明らかにしてそれを解いていかねばならないからだ。
文明は常に新しいものをつくる。それは近代以降はすぐに世界共通のインフラとなる。その国の文化は古いものの中にしかない。だから旅行者の目には、古いものだけが新しいと感じるのだ。古いものは新しい。