ユーチューブ『遅咲き偉人伝』:「尾畠春夫」編をリリース。

ユーチューブ『遅咲き偉人伝』。「尾畠春夫」編。2018年、3日間行方不明だった2歳の子を20分で発見したことで、スーパーボランティアとして知られた人だ。この人は偉い人である。

 
 
 

ーーーーーーーーーーーーーー

今日は、原稿書きの日となった。明日、出版社の編集者に渡すことになっている。何とか形にはなったようだ。

ーーーーーーーーー

「名言との対話」9月27日。高木文平「名を残す必要はない!」

高木 文平(たかぎ ぶんぺい、天保14年3月11日1843年4月10日) - 明治43年(1910年9月27日)は、丹波国北桑田郡神吉村(現・京都府南丹市)生まれの経済人。

京都府南丹市出身。明治維新後、地元で学校教育の指導などを行っていた。その後実業界に転じ、1882年には京都商工会議所の初代会長に選出された。また1888年には米国視察を経験し、電気鉄道を見て、日本で実現すべく奔走した。1894年に日本初の市街電車となる「京都電気鉄道会社」を立ち上げ、社長に就任した。その後、政界でも府議会議員、市議会議員として活躍。1900年には京都法政学校(現在の学校法人立命館立命館大学)の設立賛助員も務めるなど教育界でも貢献している。

高木文平は京都商工会議所の初代会頭。2代目の山本覚馬会津出身)以下、近年ではワコールの塚本幸一。京セラの稲盛和夫オムロン立石義雄などが会頭となっている。現在は、ワコールの塚本幸一の長男で私も交ある会でご一緒している塚本能交さんが就任している。

さて、いい機会なので商工会議所について学んでみたい。商工業の改善・発展を目的として、市など一定地区内の商工業者によって組織される自由会員制の公益経済団体である。

日本商工会議所のウェブによれば、日本における商工会議所の源流は、鎌倉時代の「座」や江戸時代の「株仲間」といったわが国古来の制度だ。その後、「江戸町会所」、「東京営繕会議所」、「東京会議所」への変遷の過程を経て、欧米先進諸国の「商業会議所」の組織機構を取り入れながら今日の商工会議所の基礎が築かれた。「日本には商工業の世論を結集する代表機関がなく、世論を論拠とした明治政府の主張は虚構にすぎない」との反駁を諸外国から強く受けたことが発端となり、伊藤博文大隈重信渋沢栄一に商工業者の世論機関の設立を働きかけ、1878年現在の商工会議所の前身である東京商法会議所や、大阪、神戸でが設立されている。東京商工会議所は、会員数 84,048件(2023年3月31日現在)。初代会頭は渋沢栄一である。

全国の商工会議所を束ねるのは日本商工会議所である。日本の商工会議所数は515カ所(2016年4月現在)全国の商工会議所の会員数125万(2023年4月現在)。初代会頭は藤山雷太。その後、結城豊太郎、藤山愛一郎、永野重雄石川六郎など実業界の大物の名前が並んでいる。現在は小林健会頭(三菱商事)。

因みに大阪商工会議所の初代会頭は五代友厚。1947年に設立された中津商工会議所の現在の会頭は面識のある仲浩さんだ。

高木文平は自叙伝を嫌ったが、口述が活字となった『三二庵閑話』を読むことができる。今年2023年にも京都で「日本初の路面電車と高木文平」展が開催されている。「名を残す必要はない!」と考えていた豪放磊落な高木文平の名は、本人の意向とは関係なく残っているようだ。

 

参考

『三二庵閑話』