『日本一わかりやすい図解日本史』(2014年。久恒啓一著・河合敦監修)の図解で、現在の日本の原型ができた7世紀をおさらいした。
- 大化の改新(645年):中大兄皇子(後の天智天皇)・中臣鎌足による蘇我氏排斥のクーデターの成功し、中央集権的律令国家を目指す。公地公民、地方行政区、軍事・交通の整備、戸籍、班田収授、税制などを制定。
- 対外敗戦「白村江の戦い」(663年):朝鮮半島で唐と結んだ新羅が統一に乗り出し。中大兄皇子は百済の救援をするも、海戦で唐・新羅の連合軍に敗れる。大宰府近くに水城、山城を築き、対馬を防御し、筑紫に防人を配置。近江・大津に遷都、西日本各地に築城行い外敵に備えた。天智天皇(668-672年)として即位。
- 国内混乱「壬申の乱」(672年)天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が兵を挙げ勝利する古代日本最大の内乱。
- 天武天皇(673-686年)・持統天皇(690-697年。天武天皇の皇后)時代は、今日につながる日本の国づくりをした天皇親政の時代。国号を「日本」とし、君主を「天皇」とする。天照大神を皇祖神とする「神話の体系」をつくる。国史として「古事記」(712年)、「日本書紀」(720年)を編纂するなど政治改革を断行。文化面では「万葉集」の編纂を始めた。持統天皇は694年に本格的な官都・藤原京を造営し遷都。国家仏教を推進し、この時代の文化は「白鳳文化」と呼ばれている。7世紀初めの蘇我氏、聖徳太子の飛鳥時代は中国南北朝と朝鮮3国の影響による豪族の氏寺の建立など飛鳥文化が栄えた。初期の唐太新羅の影響が濃いのが白鳳文化で薬師寺などの官寺、法隆寺金堂壁画など、豊かで力強い白鳳文化が誕生した。漢詩文の流行、和歌の隆盛もあった、
- 次の文武天皇は太政官をトップに官制を制定。機内七道を行政区とし、国司(中央から派遣)、郡司、里長を置く。6歳以上の農民に口分田を与え、死亡すると返還させる班田収授のの法を実行した。人々はその対価として租庸調などの税と防人などの兵役を負担した。こうして古代律令国家の形が完成した。
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自由。遺言。教え。日記。現在。祖国。故郷。運命。嫉妬。兄弟。家庭。天命。名誉。死生観。幸運。省事。ライフワーク。
初の(例:文化勲章)。日本の・東洋の。ミスター。
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「名言との対話」12月25日。小山内薫「芝居は魂だ!」
小山内 薫(おさない かおる、1881年(明治14年)7月26日 - 1928年(昭和3年)12月25日)は、明治末から大正・昭和初期に活躍した劇作家、演出家、批評家。
広島市出身。府立一中、旧制一高を経て、東京帝大文科大学に進学。一高時代には内村鑑三、帝大時代にラフカディオ・ハーン、森鴎外と関係している。
1907年、同人誌『新思潮』を創刊。1909年、自由劇場を結成(二代目市川左団次)。1912年から1923年にかけてモスクワ、ベルリン、ロンドンなど欧州に滞在。1916年、移動集団「新劇場」を結成(山田耕作)。1919年、「国民文芸会」を創立(久保田万太郎、久米正雄、吉井勇)。1920年、松竹のキネマ俳優学校校長。松竹キネマ研究所を設立。1924年、築地小劇場を創設(土方与志)。1925年、日本初のラジオ演劇を演出。1928年、48歳で急死。
以上のような組織づくりを中心とした活発な活動をみると、無理な日程をこなす中で体調を崩したことが死因であるとわかる。まさに近代演劇の開拓のために駆け抜けた生涯だった。小山内薫は「新劇の父」と呼ばれる。
小山内薫の業績は戯曲、詩、小説、評論・随筆・紀行、翻訳など、実に多彩であるが、近代演劇では戯曲を正しく表現する「演出」を独立させたことが特記される。戯曲、演出、演技という流れを確立した人である。
華麗な人脈は相互に影響を与えあったことを思わせる。随筆の中で各界の著名人が現れる。「芝、麻布」では永井荷風、森鴎外、佐藤春夫。「明舟町」では岡田三郎助。「芝浦」では島崎藤村、木村荘八、内田魯庵。「森元町」では菊五郎。「竜士会」では島崎藤村、柳田国男、田山花袋、蒲原有明。文学者、画家、役者、詩人、音楽家、などが交流をはかりながら、明治の文化を盛り上げていったことが感じ取れる。
葬儀は「劇場葬」であった。劇場とは築地小劇場である。「小山内薫先生劇場葬公文」を手にした。それによると、戒名は「蘭渓院献文慈薫居士」である。遺族の希望でデスマスクをつくっている。「三田文学」、「子分の会」、「劇と評論」の代表者も葬列に加わったというから、仲間が多かったことがわかる。
追悼文では、「時代の第一線」、「不断の努力」、「日本演劇界の先覚者」と讃えられた。そして「永遠の若さと尽きざる精力」の人とされている。
演出はイギリスの古典から第一次世界大戦後の新傾向まで45編であった。80人の同志は本城である「築地小劇場」を守る覚悟を披露している。この新劇運動は現在の文学座、俳優座、民芸などに継承されている。
「芝居は魂だ!」の前には「形でもない、声でもない、光でもない、色でもない」という言葉がある。