「名言との対話」の2024年の方針ーー対象を「現在」にしてチャレンジ。

「名言との対話」は」2016年から「命日」あるいは「誕生日」の人物を取り上げてきて8年経った。最初の2年は「命日」「誕生日」という切り口だけで、そして3年目以降は「時代」を意識してやってきた。その結果近代から平成までの時代が網羅されてきた。

「近代」(命日)。「明治」(誕生日)。「大正から昭和」(誕生日)。「戦後」(命日)。「平成1」(命日)。「平成2」(命日)。

文化文政から始まる「近代」、戦後から始まる「現代」を網羅できた。9年目の2024年は「現在」とすることにした。同時代を生きた人ということになる。中心は「コロナ禍」に見舞われた世代だ。「令和」中心に命日で人物をさがす。令和は今年が6年目だから、わずか5年が対象となる。該当する人物をさがし、うまく成立するか1月をシミュレーションをやってみた。

金川千尋。泉真也。砂子義一今宮純兼高かおる。越智直正。飯田亮。大野慶人海部俊樹。上田惇生。高橋幸宏半藤一利坪内祐三夏木陽介。太田敏郎。柳宗玄。米澤富美子。宍戸錠。目黒孝二。恩地日出夫大久保正陽中村雅哉坂本スミ子門田博光。松岡享子。坂本孝。永井路子梓みちよ。藤田宣永。岡留安則

資料などハードルは高いが、このラインナップを眺めると、なんとかやれそうな気がしてきたので、突入する。2025年は「21世紀」という切り口にするかな。

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・近所の温泉で入浴、昼食。

・「2024年の計画」づくりに着手。

・深呼吸学部第二期に参加。

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「名言との対話」1月4日。今宮純「セナはいませんが、F1は続いていくわけです」

今宮 純(いまみや じゅん、1949年3月18日 - 2020年1月4日)は、日本のモータースポーツジャーナリスト日本モータースポーツ記者会(JMS)会員。 享年70。

神奈川県小田原市出身。慶應義塾大学文学部図書館学科に入学する。在学中は自動車研究会に所属。卒業後はフリージャーナリストとなる。

1976年、日本初開催の「F1世界選手権」に完全密着し発表。そしてF1やル・マン24時間レースなどを取材する。1981年からモータースポーツのテレビ中継のレポーターとなり全日本F2、富士GCシリーズを手がける。1987年、フジテレビ「F1グランプリ」とした全戦中継のレギュラー解説者となる。

1994年のサンマリノGPでアルトン・セナの事故死にあたり、「セナはいませんが。F1は続いていくわけです」と語った。

1995年、全日本F3000選手権の専属開設者。1996年、F1中継の解説。2003年、フジテレビNEXTでF1中継の解説。2019年12月29日にツイッターで「長い19年シーズン、F1LOVERS皆さまからのサポート、ありがとうございました」とメッセージを発し、その6日後に死去。

F1は最高時速は300キロを超える。ワンレースの走行距離は約300キロ。日本を含む世界中でレースがあり順位ポイントで年間王者を競う。日本でもブームとなっている。今宮の誕生とF1の開始はほぼ同じであり、私と同世代の今宮は、F1とともに生きたことになる。私たちの時代には大学に自動車クラブがあり、多くの学生が自動車に打ち込んでいた。その面々が思い浮かぶ。高校の先輩の一人を思いだした。故障車もこの人がたたくと動くという話を聞いた。そういった学生の一人が今宮だったのだ。

今宮純の生涯は、「F1」とともにあった。F1とは1950年に英国で始まった世界最高峰の一人乗りマシンで競う自動車レースの最高峰だ。ドライバーズ、コンストラクターズ部門で優勝を競う。最高時速は300キロを超える。ワンレースの走行距離は約300キロ。日本を含む世界中でレースがあり順位ポイントで年間王者を競う。

「2位になるということは敗者のトップになるということ」と語ったセナはそのチャンピオンを3度獲った天才である。F1に興味がない人でもセナの名前は知っていた。

130Rに差しかかった時に神が現れたんだ。眩いばかりの光が差し、神に導かれた僕はレースを支配している気分になった」「神を見た」「恐怖は自分をワクワクさせる」「生きるならば、完全な、そして強烈な人生を送りたい。僕はそういう人間だ。事故で死ぬなら、一瞬のうちに死にたい」

1994年5月1日に、1960年生まれのセナは34歳で事故死する。生きているときも、死ぬときも、セナが描いたイメージ通りであった。この時、今宮は「セナはいませんが。F1は続いていくわけです」と語り、その後も四半世紀にわたり、F1を追ったのだ。今宮の生涯も、自分の描いたとおりだったのではないかと感じた。今宮純は、モータ-スポーツ、その王者F1とともに生き、そして死んだのである。そしてF1は生き続ける。