AIの世界を覗いている。

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(7月7日の東京都知事選、たけなわ。)

AIの世界を覗いている。

NotebookLM(Google):一つのドキュメントにまとめる。福祉図解塾の開講に向けて、過去の図解塾のまとめを材料に問答をしてみた。

  • 「図解塾とは何ですか?」「講師はどのような人ですか?」「塾生はどのような活動をしていますか?」「塾生は図解を通して、どのような変化を感じていますか?」

perplexity:ウェブ検索機能を搭載した対話型AI。梅棹忠夫、野田一夫、寺島実郎久恒啓一の関係というテーマで試す。情報が新しい。

  • 梅棹忠夫久恒啓一の関係は、知的影響と思想の継承という点で深いつながりがあります。、、、、このように、久恒啓一梅棹忠夫の思想を深く学び、継承し、さらに発展させる役割を担っていると言えます。
  • 野田一夫と久恒啓一は、師弟関係にあり、長年にわたって交流を続けている重要な関係性を持っています。、、、両者は教育機関での関わりだけでなく、キャリア開発やビジネスに関する考え方においても影響し合っており、長年にわたる深い絆で結ばれていることがうかがえます。
  • 寺島実郎久恒啓一は、以下のような関係性を持っています。同僚関係、、戦略的パートナーシップ、、、相互尊重、、、知的交流、、。両者は教育者・思想家として、日本の高等教育や社会問題に対する深い洞察を共有し、互いの知見を尊重し合う関係にあると言えます。
  • 久恒啓一は、これらの影響を受けつつ、独自の「図解」による知識の体系化と関連付けの手法を発展させ、知的生産や教育の分野で独自の貢献をしています
  • 久恒啓一は、以下のような特徴を持つ著名な教育者・経営学者です:
    1. 長年にわたる教育者としてのキャリア:24年間のビジネスマン生活の後、24年間大学教授を務めました。多摩大学では教授、学長室長、経営情報学部長、副学長を歴任しました。
    2. 図解の専門家:「図解」シリーズの著作を多数執筆し、視覚的な思考法や情報伝達の重要性を提唱しています。
    3. 人物研究のエキスパート:「人物記念館の旅」や「名言との対話」など、歴史上の偉人や著名人の研究に力を入れています。
    4. 多作な著述家:経営学、キャリア開発、思考法など幅広いテーマで多くの著書を出版しています。
    5. デジタル時代への適応:1998年から個人のウェブサイトを運営し、2004年からは毎日ブログを更新するなど、積極的に情報発信を行っています。
    6. 教育への貢献:母校や地元図書館に自身の著作コーナーを設置するなど、教育・知識の普及に尽力しています。
    久恒啓一は、ビジネス経験と学術的知見を融合させ、独自の視点から経営学や人材育成の分野で影響力のある人物として知られています。

PLOUDNOTE:ChatGPTと連携したAIボイスレコーダー。講演、講義、会議などの音声の「内容の要約」と「文字起こし」を組み合わせて編集することで、いいまとめが素早く完成する。梅原猛梅棹忠夫の肉声で試す。

  • 梅棹忠夫のまとめのプロセス:PLOUDNOTEで2本の30分番組を録音したものを、②「要約」と「文字起こし」をする。③2つの要約を1本のようにつじつまのあうように並び替える。③要約は端折り過ぎてリアリティに乏しい面があるので、文字起こしと音声を聴きながら、加筆する。④今回は梅棹の2回の講演内容を1本にし、インタビューも本人の熱意が伝わるようにさらに修正を加えた。」

ChatGPT4:ChatGPTfoで画像、プログラムなどの生成も可能になったが、とりあえあずは文章生成中心に対話をする。

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「名言との対話」6月28日。上田閑照「光陰矢の如し。その矢は自分自身を貫いて飛んでいる]

上田 閑照(うえだ しずてる、1926年1月17日 - 2019年6月28日)は、日本の哲学者。享年93。

 東京生まれ。父は高野山真言宗僧侶。1949年、京都大学文学部哲学科卒業(宗教学専攻)。高野山大学講師を経て、1963年に京大に転じ、1973年に教授。2003年日本学士院会員。2018年文化功労者

上田閑照集』岩波書店(全11巻。2001-03年)に著作のほとんどが入っている。それは以下で構成されている。西田幾多郎。経験と自覚。場所。禅‐根源的人間。禅の風景。道程「十牛図」を歩む。マイスター・エックハルト。非神秘主義 エックハルトと禅。虚空/世界。自己の現象学。宗教とは何か。

上田閑照『生きるということ 経験と自覚』(人文書院)を読んだ。

「生涯」とは何か:人の一生。人が生きる時代。生きることの質としての境涯。この3つの局面が組み合わさって浸透し合って生涯を成してくる。(一人の人生とそれを包む時代、そして生きることの質を左右する境涯、その組み合わせが」生涯であると理解しておこう)

「生命」は生物とつながっている。「生」は人間的な文化的生、生活、人生、より豊かにが生の運動。「いのち」は、死に触れることを通して触れる、宗教的なニュアンス、生き方。この3つの連関が「生きている」ということ。(生きているということは、生命、生、いのちの関連の中にある)

「経験」とは理解・対応できない事実にぶつかるという仕方で事実を知ること。実験(自分で験ためしてゆく)を重ねるという意味での経歴。自己が破られて世界が新しくなる。「体験」とは自分の世界を壊すという仕方で、痛さとともに事実がぶつかってくる。新しい世界への裂け目に身を置いて耐え通す時間が必要で、それに耐えて新しい世界がリアルに開かれてくる。深く統一されてくる。広くなる、深くなる。それまでの経験が新しく経験し直すことになる。尽十方(じんじっぽう)という無限の広さと深さへの転換、これが根本経験、純粋経験。主客未分。自己の根源。、、(外的世界の拡大は内的世界を深化させる、という私の信条のこと。しかしその先に根本・純粋経験という世界があるとのことだ)

 仏教:劫。巨大な宇宙時間。天人が100年に一度、薄い絹の衣で1回擦ることを数えきれないほど繰り返し、石がなくなってしまうまでの時間が一劫。我々の住む小世界が千集まって中世界、それが千集まって一つの大世界。それが、、、続いて巨大な三千大世界。(仏教世界の「時間と空間」の考え方がわかった感じがする)

以上、なかなか完全な理解は難しいが、以上、関心のあるところを拾ってみた。この本の最後は「それでも私は、「見るべき程のことは見つ」と、まだ、言えない」で終わっている。それを書いたのは1991年、65歳であった。それから28年後に没するが、すべてをみたのであろうか。

上田閑照は「光陰矢の如し。その矢は自分自身を貫いて飛んでいる」という。「光陰矢の如し」とは、よく聞く。その後に続くのは「その矢は自分自身を貫いて飛んでいる」という言葉であった。時間が過ぎ去るのではなく、自分自身が過ぎ去っていくということなのだ。