「図解塾」第5期ーー「梅棹文明学」の全貌を図解という「知的生産の技術」という刀で料理するプロジェクトに挑みます

「図解塾」第5期がスタートしました。

4月からの図解塾の第5期。まず3カ月を予定。実践編です。「梅棹忠夫著作集」は全22巻。中心となる「梅棹文明学」は「文明の生態史観」「文明の情報史観」「日本文明」「地球時代」で成り立っています。その要約図解を140枚ほど私が作っています。PPTと手描きです。私の講義と手描き図解のPPT化で、梅棹文明学の図解化を完成させ、出版までもっていくプロジェクトです。

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以下、参加塾生から。

  • 久恒先生、皆様、本日もおつかれさまでした。年度も新たに図解塾は第5期。1回目の本日、「梅棹文明学」著作集およびその「図解」について久恒先生よりレクチュア頂きました。日本の文化人類学のパイオニアとして、多方面に影響を与えた梅棹忠夫先生が編まれた同「著作集」は、別巻交え全23巻の大作。①箇条書き②脈絡ないテーマという、読み手にとって難攻不落の「知の巨城」で知られ、全巻読破・マスターした猛者はほんの一握りとか。『知的生産の技術』が出版されて半世紀、この名著に共鳴した有志で結成された「知的生産の技術研究会」の現理事長である久恒先生の壮大なる野望は、この難解な巨城を「図解」で解き、世の方と広く、この壮大なる「知の構造」の醍醐味を共有する事。過去、先生単独で鋭意取り組まれるも、現状「情報史観」「日本文明」「地球時代」併せて80余りの作図が未だ「スケッチ」状態にあり、これを図解塾メンバの手で一気に仕上げてしまおうという、我ら塾生にとって「路上教習」な指向のテーマを紹介頂きました。図解塾メンバとしてこの上なくワクワクするテーマで、全力で取り組んでいきたいと思った次第です。一方、図解塾冒頭とおしりの時間と使わせて頂きまして、「第2期」レポートまとめの編集につきまして議論させて頂きました。ゲラ版として仕上がったドキュメントを先生お手元のストレージに入れさせて頂きメンバ内に公開、皆様からのF/Backにより玉成するという今後の方針をシェアさせて頂きました。今迄の編集スキームを流用しつつ、今後の第2期課外編および続く3&4期編へと繋いでけますよう願っております。宜しくお願い致します。有難うございました。
  • 久恒先生、みなさま、図解塾ありがとうございました。本日は「図解レポート」第2期の編集会議と図解塾第5期のオリエンテーションでした。編集会議では先行の第2期の原稿の作成状況を共有頂き、後続の3・4期分の作成に大変参考になりました。ありがとうございました。また、今月からの第5期については、梅棹忠雄著作集22巻のうち「文明学」の領域を図解するという「プロジェクト型」の図解塾とのことで、興味津々です。すでに久恒先生が手書きで描かれている図解をPowerPoint化していくことで、図解の技術の習得と梅棹忠雄「文明学」のエッセンスに触れられるというもの。既に45枚のPowerPointにより図解化された「文明の生態史観」の一部を解説いただきましたが、内容の奥深さとボリュームに圧倒されました。これからの3か月、途中で落馬することのないように取り組んでいきたいと思います。どうぞ宜しくお願い致します。
  • みなさまお疲れ様でございました。第5期の始まりですね。梅棹忠夫著作集の図解というプロジェクト。どんな風になるのか楽しみです。22巻とタイトルを並べると箇条書きな総目次となってしまうところを、図解を使って構造化していただくと、梅棹先生の考えていることの流れが感じとれました。その一部、文明の情報史観をまず図解していくということで、今まさに情報の時代なので、梅棹先生が書かれたときの最先端のお話を、今感じられ、勉強させていただけて、楽しみです。また、この膨大な本を、実際に書かれた図解をみながら久恒先生に説明していただきましたが、すごいです。読んだものを図に残しておくということは知識となりとても有用さを再確認いたしました。次回からは説明していただき、図解、説明の講義ですね。読まずとも知識を得ることができるのかなと、良いところどりもできそうで楽しみです。どうぞよろしくお願いいたします。
  • 本日もありがとうございました。前半は2期の進捗状況を拝見しましたが、着実に丁寧に準備されているのを見てあせるばかりです。4期の「幸福塾」は独立したものとして、図解塾とは切り離すことを確認させていただきました。後半の「梅棹文明学」のプロジェクトについてですが、すでにできた何枚かのPPTを見せていただいて短い解説を聞いただけで、梅棹先生の思想の壮大さを実感できました。このプロジェクトに関われるのはたいへんありがたいことだと思います。
  • 2期の途中以来、久々に参加をさせていただきました。間隔が開いたにも関わらず暖かく迎えてくださりありがとうございます。梅棹文明学の図解化プロジェクト、久恒先生が書き起こした図解があまりにも多く、しかしながらシンプルで解りやすく驚いておりました。農業から、工業を経て情報産業の時代へ。食べるを確保して、物的拡大をして、知的拡大をして。次は個人の知的好奇心を周囲の方と繋がりながら育てていく時代でしょうか。図の数が多く、皆様と共有するために、図の作り方を今一度復習しなければ。会社員と生活の合間に、どうにか時間と塾代という隙間を確保しなければ(笑)そんなことを考えていました。過去図解塾レポートの進捗も拝見させていただきました。作り込まれていく過程を拝見し、感謝の気持ちで一杯です。zoomの録画をアーカイブとして置いておけばいいのかもしれません。でも時間は有限であり、データは膨大です。手元の第一期レポートを見ながら、記憶が蘇ってきていました。思考して書き出して図解にする作業は刺激的だなと、改めて感じました。これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。2期レポートの作成については、14回の講義ごとにファイルを分け、提出されていた図解を課題ごとに貼付し、それぞれにテーマと課題資料の要約文を付けたところです。次は各講義の内容を箇条書きから文章に変える作業に入ります。時間がかかって申し訳ありませんが、適宜情報共有させていただきますので、図解の追加や補足など、ご協力いただきますようよろしくお願いいたします。また、5期の課題「梅棹忠夫著作集の図解」についてですが、この企画に関われることは大変うれしいです。正直言って、まさか私がお手伝いすることになるなんて思ってもみなかったです。というのも、私は2020年10月に、久恒先生がこの図解を40枚くらい発表するという研究会に同席する機会に恵まれました。著作集を読んだことのない私でも何冊か読み終えたくらいの感覚になったので、その時、図解の凄さを改めて実感しました。そして、出席されていた著作集に携わった国立民族学博物館の研究員の方や知的生産の技術研究会の会員の方からは、「著作集を読み直したくなりました。」とか、「是非、全巻の図解を完成させていただきたい。」と言った言葉が出るくらいでした。それだけ期待されている図解作成。微力ながら一緒に取り組ませていただきますので、よろしくお願いいたします。
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「名言との対話」4月6日。和田芳恵「平凡な男にありがちな、派手な色彩のない暮らしから、何かをやっていきたい」

和田 芳恵(わだ よしえ、1906年4月6日 - 1977年10月5日 男性)は、日本小説家文芸評論家 

北海道生まれ。中央大学法学部卒。新潮社入社。1941年「格闘」が芥川賞候補になる。

1942年「樋口一葉研究」。1953年より「一葉全集」7巻を塩田良平と共編する。1956年「一葉の日記」は翌年に日本芸術院賞を受賞した。

1963年小説「塵の中」で直木賞を受賞。1975年「接木の台」で読売文学賞受賞。1977年「暗い流れ」で日本文学大賞。1978年「雪女」で川端康成文学賞。1966年からは土浦短期大学教授として教鞭をとった。「和田芳恵全集」5巻は河出書房新社から出ている。晩年は老境における官能を描いた作品で新境地をひらいた。

一葉研究の著書もある青木一男の「和田芳恵小論ーー一葉日記の研究」には一葉についての興味深い論述があった。青木によれば和田は作家としての顔、研究者としての顔

編集者としての顔があった。身近にいたことで、また一葉研究の同志として和田の言葉を記録している。

「学校の先生はいい、同じことをなんべん話しても良いが、作家はそんなにはいかないからね」

「樋口夏子は自分だけの力を信じ自分だけで生きていこうとした、強い自意識に目覚めた性格の人間の一人であった」。

「樋口夏子という永遠の女性に惚れてしまったらしい」。

和田芳恵樋口一葉伝ー一葉の日記」を読んだ。二十年近くかかった一葉研究の総決算のつもりで、一年ほどかかり、こつこつと書きおろしたものである。

和田は、一葉を勝気というよりは、敗けん気の強い娘であったとみて、この敗けん気という性格は、一葉を知る上の重要な鍵だと書いている。「一葉は、自分の身を染めたものだけを残した。一葉の日記が、豊かにあふれているのは、その占めていた位置が庶民の座であり、書かれた内容の向うに、たしかめれば、はっきりと、誰でも感じることができる庶民の生きる知恵があるからだろう」としている。

青木一男は和田芳恵自身の50歳を過ぎたころの決意も紹介している、「平凡な男にありがちな、派手な色彩のない暮らしから、何かをやっていきたい。(学士院賞を受賞したときの朝日新聞の記事から)。さまざまの賞を受賞した人の、これからを見つめた言葉に励まされる思いがする。賞は褒美ではない、励ましである。時間をかけて大器は晩成するのだ。

この論考の最後のあたりで、和田芳恵が一葉には「立志の人」という側面があるとのべていた。樋口一葉については、私も記念館を訪問したり、一葉日記を読んだりしてきた。その結果、この「名言との対話」では、先生と仰いだ「源氏物語」を書いた紫式部を念頭に置いた次の言葉を紹介している。「あの源氏物語は立派な作品ですが、私と同じ女性です。あの作品の後に、それに匹敵する作品が出てこないのは、書こうとする人が出てこないからです。今の時代には今の時代のことを書き写す力のある人が出て、今の時代のことを後世に伝えるべきであるのに」。樋口一葉はやはり立志の人だったのだ。

和田は何気なく書いた樋口一葉についての最初の一冊が批判された。その反論のために書くと言う繰り返しの中で樋口一葉がライフワークとなったのである。そして生涯の半分位を樋口一葉に費やしたことになると述懐している。この過程で和田芳恵樋口一葉研究の第一人者となっていったのである。