経営情報学部の2016年度全体方針共有会を開催。10時から17時まで。
教員・職員の大半が参加。新任教員4人も。
・午前
・・現学部長(私)による説明「開学以来の数字を踏まえた現状と課題」:「量」の時代から「量も質も」の時代へ。旗艦組織。再建。文科省改革総合ランキング全国トップ。開学以来のボトムとピークと現在の数字。実質就職率。入学者数。偏差値。ストレート卒業率。離学率。科研費。MOS。図書館。AL発表祭。協定。海外留学。留学生受け入れ。グローバルスタディーズ学部と大学院の状況。
・・現委員長8名による総括
・午後
・・新メイン委員メンバー教員・職員)による初会合。就職・入試・教務・学生。
・・新サブ委員会メンバー(教員・職員)による初会合。研究・アクティブラーニング・地域・国際。
・・新委員長8名による決意表明。:外部合説バスツアー。企業開拓。ウェブ出願。高大接続シスウテム改革。授業ファースト。7000の授業が本丸。授業マネジメント。ホームゼミポリシー。学科機能。離学率。SAの組織化・コミュニティ化。プレゼミコンテンツ。課外活動。アクティブラーニングセンター。AL4段階説。高大接続AL研。非常勤。AL.新しいタネの年。大いなる多摩学会。チャレンジ。中期改革達成。大中華圏とアセアン。近隣高齢者の資源化。ディープデータ。セルフヒストリー。民泊。
・・杉田新学部長による総括:これでだめならしょうがないレベル。人材像!学生ファースト。、、、
大変に充実した会だった。3月からは新体制で出発する。
- ブログ日誌「今日も生涯の一日なり」の2016年版の冊子が届く。3分冊。458P・460P・460Pで計1378P。1Pは原稿用紙2枚として2758枚。一日7.6枚。写真もあるから、一日6枚として2400字見当か。
「名言との対話」2月22日。高浜虚子「春風や 闘志抱きて 丘に立つ」
高浜 虚子(たかはま きょし、1874年(明治7年)2月22日 - 1959年(昭和34年)4月8日)は明治・昭和期の俳人・小説家。本名は高浜 清)。俳誌「ホトトギス」の理念となる「客観写生」「花鳥諷詠」を提唱したことでも知られる。
虚子は正岡子規の「写生」を一歩進めて俳句人口を広げた功労者であり、「花鳥諷詠」を説いた。虚子によれば「春夏秋冬四時の移り変りに依って起る自然界の現象、並にそれに伴ふ人事界の現象を諷詠するの謂であります」である。
大勢の子を育て来し雑煮かな
一つ根にははなれうく葉や春の水
春の山屍を生めて空しかり
信州小諸に高浜虚子記念館がある。戦時中、虚子は76歳からの4年間をこの小諸で疎開した。晩年の小諸での虚子の句は秀句ぞろいだった。
秋晴れの名残の小諸杖ついて
俳諧の旅に日焼けし汝仲哉
虹たちて忽ち君のあるごとし
山国の蝶を荒らしと思はずや
虚子は喜寿の年に77句を自選自書して「喜寿艶」と題し、刊行した。後半生は俳壇に君臨し、多くの俳人を育てた。若い頃は酒豪であったが、47歳で軽い脳障害で臥床し、以後は一滴も飲まなかった意志の人であった。小諸疎開あたりから少しだけ飲み始め、86歳で亡くなるまで楽しんだ。
文化勲章の日には同じく文化勲章を受ける日本画の鏑木清方夫妻と偶然会い連れだって宮内庁に向かう。
我のみの菊日和とはゆめ思はじ
虚子には名句は多いが、冒頭に紹介した「春風や 闘志抱きて 丘に立つ」が私は好きだ。俳句改革に向けての決意がみなぎるいい句だ。自らの人生も、仕事も、こういう覚悟と闘志で臨みたいものである。