大学院の修士論文・実践知論文最終試験ーー現代のビジネスの課題がよくわかる。

修士論文・実践知論文最終試験。10時から13時40分。7名の審査。

D室の審査員は、田坂広志先生と真野俊樹先生。

・中国高齢者介護に関する考察ーー山東省青島市を例として

・医療・介護領域における身元保証人問題についてーー身元保証会社の可能性とその社会的意義

・中国における健康食品のビジネス展開ーーマンジェリコン茶を中心に

・医療の質を評価し改善につなげる病院組織

・新たな介護施設運営経営マネジメントメソッドの提案「幸福経営」

・持続可能な医療サービスを提供する企業内大学構想

・歓楽街を持つ地域の安心なまちづくりモデルの創出

他の部屋での試験のキーワード。私の担当した発表も含めて現代のビジネスの課題がよくわかる。

マインドセット」「人材流失」「中国浙江省」「ミャンマー」「外国人採用」「留学生の就職」「ドラッグストア」「抜擢」「宿泊システム」「ヘルスツーリズム」「研修移転」「新規事業創出」「ブランド拡張」「営業起点イノベーション」「映画コンテンツ」「鉄道貨物輸送」「構造変革」「モチベーション」「経営者の意思決定」「離職防止」「エクステンションプレイス」「バイオマス」「中国人観光客の地方誘致」「フィットネスクラブ」「台湾福祉用具レンタル市場」「信頼関係」「ミドル・シニア世代のセカンドキャリア」。

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終了後、大学院教授会。

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「名言との対話」2月9日。大来佐武郎「わが志は千里に在り」

大来 佐武郎(おおきた さぶろう、1914年11月3日1993年2月9日)は、日本官僚エコノミスト

大来佐武郎は、天文学、物理学、工学への道を進み、最後は経済学と志を変えている。佐はたすける、武は止めるという意味があり、佐武郎という名前には「平和を愛する男」という意味が込められている。

1997年、62歳。河野洋平に口説かれて新自由クラブから参院選出馬する。この時、海外経済協力基金総裁辞任のあいさつ文が、それまでの自分史を総括している。

経済企画庁総合計画局長として経済計画の立案、総合開発局長として地域開発問題を担当したのち、1963年退官。(社)日本経済研究センター理事長、(財)国際開発センター理事長を務めるかたわら、学術審議会、首都圏整備委員会、住宅宅地審議会、運輸政策審議会、米価審議会、人口問題審議会、電気事業審議会、電信電話調査会などの委員、勤労者ビジョン懇談会、沖縄振興開発審議会の会長なども努めてまいりました。また、しばしば国際会議に出席し、国連、世界銀行OECDなどの専門委員会のメンバーとして活動し、とくに世界経済、南北問題、人口・食糧・エネルギー・環境問題などの分野で国際的な研究討議に参画し、国内問題と国際問題の双方を踏まえて、日本と世界をつなぐ努力を続けて参りました。」。選挙では落選。

1979年、第二次大平内閣の外務大臣に就任。8か月の間に、イランのアメリカ大使館人質事件、ソ連軍のアフガニスタン侵攻などに対処している。外相辞任後も、対外経済関係担当政府代表。内外政策研究会大来事務所オープン。国際大学学長。NIR評議会議長。アジア調査会会長。APEC賢人会議メンバー。、、、などを歴任している。

頼まれたら断らない主義で、あらゆる申し出を受けているから、肩書を並べるだけでも壮観だ。その結果、様々な名前で呼ばれることになった。オピニオンリーダー。スポークスマン。啓蒙家。存在感。日本初のグローバリスト。日本の文化的存在。アジア問題に通じた日本を代表する顔。ドクター・オオキタ、、、。私は若い時代に大来佐武郎の活躍をメディアを通じてよく知っており、尊敬していた。『わが志は千里に在り 大来佐武郎評伝』(小野善郎)という558頁の分厚い本を読んで改めて大来佐武郎の激動の人生に思いを馳せた。

大来佐武郎は、抽象的な議論はせずに常に具体的な提案を行っている。そして決して反対せず穏やかに示唆する態度で、海外のファンを増やしていった。生涯で訪れた国は81ヵ国に及び、特にアメリカは161回を数える行動家だった。時差の調整には、着いた所でゴルフ(ハンディ20前後)をして、一杯飲んでゆっくり眠るのがいいとしていた。40冊の著書、14冊の訳書を持っている。常に岩波手帳にスケジュールを記しており、亡くなった当日までメモを書いていた。日記も書いていた。

大来は、「老いては後輩の育成、成長の肥やしになることが人生の最も望ましい道だ」と語っていた。78歳という年齢で死去したために、そういった老後は訪れなかった。毎日が戦場であった。

大来佐武郎は、頼まれると色紙に「志は千里に在り」と書いた。これは魏の曹操の「老驥(ろうき)櫪(うまや)に伏すとも、志は千里に在り 烈士の暮年、壮心已(や)まず」から採ったことばである。大来佐武郎という烈士は、晩年まで壮心を失わなかったのである。 

わが志は千里に在り―評伝・大来佐武郎

わが志は千里に在り―評伝・大来佐武郎