「THE 21」の10月号が届く。私の「読めば元気になる!遅咲き人伝」のインタビューが掲載されている。

「THE  21」の10月号が届いた。先日受けたZOOM取材の内容が載っている。

この号のタイトルは「50歳から必ずやておくべき10のこと」で、なかなか充実した内容だ。ビジネス系雑誌は苦戦しており廃刊も多いが、40代後半の「ミドルマネジャー」をターゲットにしたこの雑誌は健闘している。

 「人生後半戦を楽しく生きる!」というテーマの特集第2部の中で、私のページは「読めば元気になる!遅咲き人伝」という2ページ。近現代の偉人の研究を行う久恒啓一

と紹介されている。「久恒啓一氏の「遅咲き偉人伝」からもわかるように、何歳になっても花開く人はいるものだ。まずは、自分に限界を定めるのをやめてみよう。」

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 本居宣長「人生のテーマを見つけよう」。村野四郎「実業家と詩人の二刀流」。松本清張「粘り強さが生んだブレイクスルー」。石井桃子「スモールステップで大きな成果を生む」。宮脇俊三「キャリアの二部構成で趣味を仕事へと昇華」。

 

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 「ケーススタディ」で、仲間の一人でもある定認NPO法人アジア教育友好協会理事長の谷川洋さんも載っている。

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大学:「大全」の編集作業。この土日で形にしたい。

代々木:知研東京幹事会。50周年イベント。今後について。

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「名言との対話」9月4日。阿部謹也教養人とは毎日いかに生きるかを自問している人である」

 阿部 謹也(あべ きんや、1935年2月19日 - 2006年9月4日)は、日本歴史学者

専門はドイツ中世史、西洋社会史、一橋大学学長、国立大学協会会長等を歴任。紫綬褒章受章。サントリー学芸賞『中世の窓から』で大佛次郎賞などを受賞している。

小樽商科大学を経て、東京経済大学で3年間過ごし、1979年一橋大学教授に就任。1989年社会学部長、1992年学長。『阿部謹也著作集』全10巻がある。

今回読んだ2004年刊行の『阿部謹也自伝』は、亡くなる2年前の70歳の時の本である。恩師から「それをやらなければ生きてゆけないテーマを探せ」、「テーマは大きく設定し、小さなことから始めなさい」という示唆を受けている。キリスト教を研究課題とし、第一歩としてドイツ騎士修道会の研究をすることになった。そして、歴史を自分の目で見、感じ、触れて、一人一人の人間の生き方を見ていくことになった。

私も大学教員になって、「教養」の議論に巻き込まれた。リベラルアーツだという言葉にも違和感を覚えていた。そして「教養」について考えるために、阿部謹也の本はいくつか読んだことがある。阿部は一橋大学の学長として、一般教養を論じ、「人文科学、社会科学、自然科学。三者の間の関係は全くなかったのである」と述べている。 私は、人文、社会、自然の三つの科学の関係について、学生たちに、人間自体を研究するのが人文科学、人間と社会との関係を研究するのが社会科学、人間社会を包むこむ自然を研究するのが自然科学だと説明しており、納得してくれている。

阿部は学長として「教養とは知識ではなく、生き方であり、一人一人の学生が自分を発見できるような手伝いをすることが、大学における教養教育の最初の段階である」と考えて実行している。阿部謹也の『教養とは何か』にあたっと記憶しているが、教養人とは毎日いかに生きるかを自問している人だという定義が私は腑に落ちている。人間は歴史と地理の交点に立っているから、何をなすべきかを考えるためには、まず歴史と地理を学ぶ必要がある。日本史の中での現在、そして世界の中の日本、東京、多摩、、。その立ち位置を踏まえたテーマ設定がなければ、なすべきことも決まらない。

教養人とは常に自分の立ち位置を確認し、毎日いかに生きるかを問い続けている人である。そして人間としての生き方を磨くために日々自分を磨いていく。歴史や地理という人文科学だけでなく、社会科学、自然科学を視野にいれた実世界の中で生きる術(すべ)として教養をとらえるべきなのだ。

阿部謹也自伝

阿部謹也自伝

  • 作者:阿部 謹也
  • 発売日: 2005/05/24
  • メディア: 単行本