団塊坊ちゃん青春記6----武器(食器)は犬の茶碗

探検部の部員連中と言えば、だいたいみんな貧乏でうすぎたないが、暗い下宿で集っている時には、海外遠征の話がでたり女性論がでたり、そして例の如く、各人各様の探検論に花が咲くのでした。冬の間にクラブの雰囲気に慣れてきた私は春から猛然と行動を開始です。


手許にある部誌の昭和45年度活動報告をながめてみましょう。『昭和45年、部昇格部室獲得、5月1日〜6日新入生歓迎の大崩山系春合宿(縦走班のメンバーとして参加)、5月23日〜24日第10次岩屋鍾乳洞調査(隊員として参加)、6月13日〜14日第11次岩屋鍾乳洞調査(リーダーとして参加)、7月12日〜8月10日○○大学・△△大学合同奄美郡島調査隊遠征(鍾乳洞斑員として参加)、10月10目〜21日秋季合宿祖母・傾・夏木・鹿納・日隠縦走(縦走隊・サブリーダーとして参加)、12月25日〜1月2日大山スキー合宿(サブリーダーとして参加)』


この一年のありとあらゆる合宿、遠征に顔を出していることがわかります。ただやみくもに動いた結果気がついてみると、秋や冬の合宿ではサブリーダーをつとめるまでになっていた自分を発見することになりました。


山では体力が勝負です。私達がよく唄った歌の一節に「美しい心が辛くもたくましい体に支えられる時がくる。若者よ、その日のために、体をきたえておけ。」というのがあります。このたくましい体をつくりあげるための原動力は、強靱な胃袋であります。逆に言うと、胃袋の大きく強靱な奴は、エネルギーを体内に多量に蓄積できるためどんなに辛い強行軍であっても弱音を吐くことはありません。


山では食事の量、つまり、どれだけの食物を胃袋の中に入れられるか、これがタフと呼ばれるか否かの別れめです。探検部では、食事のための茶わん、フォーク、スプーン等を“武器”と呼んでいます。人と争いながら食べる。つまり生存のための自衛の武器であり、他人の死命を制することも可能な攻撃的な武器でもあるのです。「武器は大きい方が良い」と考えた私は、スーパーに行って、味噌汁用の大きなボールと、犬の食器によく使うアルミのボール、そして、一挙にたくさんの食物をすくえる超大型のスプーンを買いそろえました。


初めての合宿に行っていざ食事となると、先輩部員から驚きの声があがります。「久恒、それホントに食器?」「スプーンというより、スコップだなそれは」「なべに使えるじゃないか」「水はけの道具に丁度良い」等々。この頃の私の唯一の自慢は、胃が大変丈夫だということでした。普通の人の2〜3倍のスピードでメシをかきこむことができますし、何ばいでも食えるほど胃袋が大きく、又、腹をこわすことなど全くありません。合宿の食事の時は、犬のちゃわんにご飯を盛り、大きなスコップのようなスプーンで口の中に、次次とほおりこみます。最初のうちは、皆あきれて見物をしていましたが、そのままにしているといつの間にか自分の分け前が減るという事実にガク然とした部員達は必死の防衛策をとり始めました。合宿のたびごとに、次々と全員が大型の食器をそろえはじめたのです。一種の恐慌といってよいでしょう。


今まで、食事の前には「ご飯のうた」という歌を合唱してから食べることになっていました。「ごはんだ、ごはんだ、さあ食べよう。風もさわやか心も軽く、みんな元気だ感謝して、楽しいごはんだ、さあ食べよう、いただきまあす。」というのがそれです。しかし私の入部以来、悠長にこの歌を唄う人はいなくなってしまいました。「ごはんだ、ごはんだ、さあ食べよう、いただきまーす。」という大変な省略形で戦いに挑むのです。しかしながら、スピードで私にまさるものはおりません。何しろ、私にはいそいで食べるものですから、「ものをかむ」という習慣がないのです。要するに、食物を口の中にできるだけたくさんつめこんで、みそ汁で流しこむという方法なので、ものすごい早飯です。人が一杯目をようやく終るころには、三杯目をゆうゆうと味わって食べているという状態ですから、非難の眼を感じることも多かったように思います。


この、大飯食らいも、のちのち、様々な事件を起こすことになるのです。