「幸福塾」公人の3回目は「創業者は何を遺すか?」。以下を紹介。
- 新川柳作(エース)「世界のカバン博物館」
- 五十嵐健治(白洋舎)「洗濯資料館」
- 公文公(公文式教育研究所)「公文公記念館」
- 後藤武夫(帝国データバンク)「帝国データバンク史料館」
- 奥野伸夫(奥野カルタ展)「小さなカルタ館」
- 河合敏博(薬ニホンドウ)「ニホンドウ漢方ミュージアム」
- 坪内逍遥(早稲田)「坪内逍遥博士記念演劇博物館」
- 粉川忠(精工舎)「東京ゲーテ記念館」
- 市川房江(参議院議員)「婦選会館」
- 二宮忠八(大日本製薬)「飛行神社」
以下、塾生の学び。
- 本日もありがとうございました。15分ほど遅刻してしまいましたが、いやぁ~面白かったです。さまざまな創業者の生き方が紹介されましたし、興味深い企業や団体の記念館、ミュージアムの存在も知ることができました。キリスト教に入信し人が嫌がる仕事を神から与えられた生業としてクリーニングを創業しドライクリーニングを開発した五十嵐健治氏と洗濯資料館、自分の子供の数学教育から出発して公文式教育を始め、世界中に460万人の生徒をもつ最大の民間教育機関の創始者公文公氏と「今の教育は足を靴に合わせようとしている」と批判する言葉。かるたただ一筋に綿々と続いてきたまるで世界遺産や絶滅危惧種のようだがしっかりと神保町に生き続けている奥野かるた店の奥野伸夫氏。行く先々で常にゲーテを探し、ついに世界一のゲーテ資料館をつくった粉川忠氏。など、すばらしい金字塔のような存在があちこちにあることを知りました。何でも、一つのことに集中することは重要ですね。そして、こういった文化を育てた国をもっと誇りに思うべきだと思いました。そして、今年から高等学校では生徒が一年間、自分で課題を探して探究する(簡単にいうと「自由研究」)「総合的な探究の時間」が始まっていますが、地域のこういった人々のことや、企業のこともいいテーマだと思いました。
- 久恒先生、皆様、本日もお疲れさまでした。幸福塾は「公人」の3回目。「創業者は会社を興し、残し…でもそれだけで満足なのか?そのあとどうするのか?」をテーマに久恒先生よりレクチュア頂きました。多くは企業・業界ミュージアム、美術館であり本日その一部を紹介頂きました。分類すると①創業者が人生の大半を賭してこだわり抜いた「より良いモノ」を探求するモノ中心の博物館、歴史/地勢織り交ぜた多角的な製品解説、著名人が所有していた逸品などの展示から創業者の世界観を伝える展示、②創業者が懸命に仕事に打ち込む姿勢や学びの姿勢といった不屈の努力が結実し業界第一人者となっていった創業者の精神を後継者へ伝える展示、③一般の人が到底成し遂げられない偉業を称え、人となりと併せてその人が社会に与えた影響や価値を後世に伝える展示…など。形はいくつかあれど、「指針を決めこだわり抜き、長く続ける」「他人も共感できる世界観を作る」といった共通項を見出すことができました。また「歴史的、地理的」な観点で一般の人々の気に留まりにくい事柄、忘れ去られて易い事柄について、後世へしっかりと伝えていくためには、個人や企業といった枠にとらわれずに経済的、人的に支援する仕組みが必要だなと感じました。「最近の気付」として当方からは北海道鹿追町の神田日勝(農家を営なむ画家、故人)記念美術館をご紹介しましたが、運営面等こちらも引き続きチェックしていきたく。いよいよ盆休み、年の前半は公私ともに激動の忙しさでした。後半への折り返しに際し、カラダ・ココロともに大いに休めて次なるダッシュに備えたいと思います。 どうか皆様も良い夏休みを。有難うございました。久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今回は「公人」として事業を成し遂げたのちに博物館やミュージアムを作った人ということで、面白い内容でした。「世界のカバン博物館」「洗濯資料館」「小さなカルタ館」「二ホンドウ漢方ミュージアム」などは、名称だけでもユニーク。その道一筋の偉業が結晶となって展示されている感じで、面白く感じました。特に印象深かったのが「東京ゲーテ記念館」。作った人は粉川忠(初めて知りました)。仕事とは別に、惚れ込んだゲーテに関する資料収集に没頭し、ついには私財を投げ打って世界一の立派なゲーテ資料館を作ってしまったという人。「行く先々でゲーテを探せばいいんだ」という言葉には迷いのない一途な志を感じました。阿刀田高の『夜の旅人』という小説にもなっているとのことで、今度読んでみようと思います(文春文庫にありました)。次回は事業家由来の美術館とのこと。こちらも立派な美術館がたくさんありそうで、楽しみです。
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本日もありがとうございました。手帳に記帳していたおかげで、無事に参加できました。東京ゲーテ記念館を設立した粉川忠さんの「ゲーテ資料の蒐集が男児一生の仕事にふさわしいかどうかが問題なのではなく、一生の仕事にふさわしいほど大きなものにすればそれでいいんだ」が一番響いたフレーズでした。一生の仕事は、自分がこれだ!と思ったものに対して真正面から取り組んでいく結果であることに気づかされました。また、公文公さんの「足に靴を合わせる教育」も、まさにその通りだと思います。人の足の数だけ靴はあっても良いと思うので、賛同できます。靴は、教材等の教育リソースが該当するのではないかと思いました。規制靴よりオーダーメートの靴の方が、脚をより丈夫にするのと同じように。講師の端くれですが、「足に靴を合わせる教育」は、常に念頭におくフレーズとして、自分に追加いたしました。塾内で共有した異常心理学者杉浦義典さんの動画幸福の測定https://www.youtube.com/watch?v=AuuRySlddzg
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本日もありがとうございました。企業の経営者のミュージアムなど実際に久恒先生が行かれた場所をご紹介いただきました。リアル感あってよかったです。
- 久恒先生、皆様、ありがとうございました。公人の3回目で、記念館等を残された方々を教えていただきました。〇〇の父〇〇の神様と呼ばれていなくても様々の方が業績を残され、我々の日々の生活を豊かにしてくれていることに感謝をしなければと思いました。感謝と勉強を兼ねてご紹介いただいた所を回ってまいります。最初は漢方ミュージアム、最近健康に不安を感じるので。後半でどなたかが、森の中でボーと生きていける時間を大事に、とおっしゃってましたが、フィンランドでのヒュッゲというものと近いのかなと思いました。次回も楽しみにしております。宜しくお願いします。
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「名言との対話」8月10日。藤原あき「清い政治、明るい社会、美しい国土」
藤原 あき(ふじわら あき、1897年8月10日 - 1967年8月8日)は、日本のタレント、政治家。享年69。
三井財閥の総帥・中上川彦次郎の三女(庶子)で、叔父は福沢諭吉である。女子学院に学ぶ。17歳、一度の見合いもなく、19歳年上の開業医と結婚させられる。10年後、あきは藤原義江と出会う。「世紀の恋」の結果、1928年に離婚し藤原の住むミラノに移住し、2年後に正式に結婚。
戦後、夫婦関係が破綻。1954年に資生堂美容部長。1955年からNHKの人気クイズ番組「私の秘密」のレギュラーとなり、日本中に知られる。1957年、離婚。資生堂美容学校校長。
従兄の政治家・藤山愛一郎から参院選の出馬を依頼される。「愛さんを総理にするために私の残りの人生を賭けるわ」といい、決心する。藤原あきの書いている「清く正しく美しく」を、「清い政治、明るい社会、美しい国土」というスローガンにして、選挙戦を戦い、トップ当選する。タレント議員のはしりとなった。
評伝『藤原あき』(佐野美和)によれば、夫であった藤原義江はなんでも自分より秀でていると認めていた。才色兼備の女性だったのだ。
藤原あきは、NHK「私の秘密」でいつも見ていた。この番組は1967年まで10年以上続いていたから、私の中学高校時代である。司会の高橋圭三アナウンサーの冒頭の「事実は小説より奇なりと申しました手、、、」は流行語になっており、私もよく使ったものだ。
一般の登場者の特技、趣味、体験などを、レギュラーが質問しながら、当てていくという趣向で、視聴率が3年間にわたって40%を超えるという人気番組だった。朝日新聞記者だった物知り博士の渡辺紳一郎、詩人の藤浦洸、それに藤原あきという同世代がレギュラー解答者で、藤原あきは華やかな存在でよく覚えている。
本日8月10日は岸田内閣の新閣僚が決まった日である。宗教と政治の関係が問題になっている現状をみると、「清い政治」という言葉は、「清き一票」と同様に死語になってしまった感がある。今一度、思い起こしたい言葉である。