2005年から続けている「人物記念館の旅」は、2020年はコロナ禍で、わずか18館にとどまったものの、942館まで積み上がってきました。
当面の大目標である1000館に向けて、気分を一新し東京の「企業ミュージアム」を中心にめぐることにしたいと思います。
こういった企業ミュージアムは、整備された施設と展示が多く、また昨年訪問した帝国データバンク史料館、日銀貨幣博物館、世界のカバン博物館、カルタ館にみるように、必ず歴史のコーナーがあり創業者の苦難の道が展示されています。
企業ミュージアムも「人物記念館の旅」の範疇ととらえ、日本経済についても考える機会としたいと思います。
まずは、東京の「企業ミュージアム」42館から。墨田区、港区、千代田区に多いことがわかりました。
- 花王ミュージアム(墨田区)
- タキナミグラスファクトリーショップ(墨田区)タキナミ
- NTTドコモ歴史展示スクエア(墨田区横綱)
- 乾燥木材工芸資料館(墨田区錦糸)乾燥工芸
- 桐の博物館(墨田区両国)タナカ
- 軟式野球資料室(墨田区隅田)
- 軟式野球資料室(墨田区墨田)ナガセケンコー
- 東武博物館(墨田区東向島)
- NHK放送博物館(港区愛宕)
- 紅ミュージアム(港区南青山)伊勢半
- ニホンドウ漢方ミュージアム(港区高輪)薬日本堂
- 自転車文化センター(港区赤坂)
- 現代ガラスの博物館(港区新橋)日本硝子製品工業会
- 虎屋文庫(港区赤坂見附)
- オカムラいすの博物館(「千代田区永田町)岡村製作所
- 日本カメラ博物館(千代田区一番町)
- 宝くじドリーム館(千代田区内幸町)
- 逓信総合博物館(千代田区大手町)
- 第一勧業銀行調査部資料展示室(千代田区内幸町)
- 交通博物館(千代田区神田須田町)JR東日本
- ボタンの博物館(中央区日本橋)アイリス
- 富士銀行資料館(中央区日本橋)
- 東証Arrows(中央区日本橋)東京証券取引所
- たばこと塩の博物館(渋谷区神南)
- めがめの博物館(渋谷区道玄坂)アイリスメガネ
- 太鼓館(台東区西浅草)宮本卯之助商店
- 日本玩具資料館(台東区橋場)
- 綜警記念館(江東区石島)
- i-muse(江東区豊洲)IHI
- 東映アニメーションミュージアム(練馬区東大泉)
- タニタ博物館(板橋区)
- ミサワバウハウスコレクション(杉並区高井戸)ミサワホーム
- 東証Arrows(中央区日本橋)東京証券取引所
- ワタミ夢ストリート(大田区羽田)
- 地下鉄博物館(江戸川区東葛西)
- 電力館(渋谷区神南)東京電力
- セキグチ・ドールハウス(葛飾区西新小岩)
- 日本酸素記念館(品川区西五反田)
- 特殊印刷工業写真資料館(目黒区碑文谷)
- 医学文化館(青梅市)日本医学文化保存会
- NTT技術史料館(武蔵野市)
- JRA競馬博物館(府中市)
- GAS MUSEUM(がす資料館)(小平市)
東京の美術館の人物展。11。
- 東京芸大美術館「渡辺省亭」。国立新美術館「佐藤可士和」。明治神宮ミュージアム「昭憲太皇后」。SOMPO美術館「モンドリアン」。中村屋美術館「浅見貴子」。そごう美術館「篠田桃紅」。東京都写真美術館「白川義員」後期4月6日
- ちひろ美術館「田畑誠一」。弥生美術館「田淵由美子」。調布文化会館「中川平一」。漱石山房記念館「松岡譲」
「名言との対話」3月26日。山崎正和「国語教育こそ愛国教育である」
山崎 正和(やまざき まさかず、1934年〈昭和9年〉3月26日 - 2020年〈令和2年〉8月19日)は、日本の劇作家、評論家、演劇研究者。
京都大学文学部哲学科卒。1963年、『世阿弥』 で第9回岸田戯曲賞を受賞。 1964年からエール大留学に留学。関西大教授、大阪大教授などを経て、2000年亜細亜大学学長。文化功労者、文化勲章受章。日本芸術院会員。
『野望と夏草』 (1970) 、『実朝出帆』 (73) などの史劇、『劇的なる精神』 (66) に始る評論活動も多彩に展開した。著書に『劇的なる日本人』 (71) 、読売文学賞受賞の『鴎外 闘う家長』 (72) 、『不機嫌の時代』 (76) 、『柔らかい個人主義の誕生』 (84) などがある。
文化的保守主義を標榜し、」1990年代には、「脱亜入洋」(洋=オセアニア)論を提唱した。 「人生10年先送り」論。定年退職年齢を70歳まで延長し、大学卒業者の就職年齢を30歳前後まで遅らせる「人生10年先送り」論を提唱した。
深い学識と広い視野から生れる文明への鋭い洞察の持ち主で、マスメディアの寵児だった。梅棹忠夫などそうそうたる文化人との対談も多かった。
発刊当時に話題になった『柔らかい個人主義』は私も読んでいる。成熟した個人主義に基づく近代社会の構築を提唱しており、企業メセナやボランティアの概念を日本に普及させた当事者の一人だ。阪神・淡路大震災で活躍した市民ボランティアを、強制も束縛もない緩やかなネットワーク活動であり、「現代日本の個人主義の成熟を示した」と分析し、「柔らかい個人主義」の実現と高く評価した。
山崎正和「柔らかい個人主義」や蝋山晶一の「強い、安定した、自由な個人」は形成されたのだろうか。コロナ禍でインフラとなったZOOMでは、世代間交流と異空間交流が活発になった。その可能性を拓くことになるかもしれない。
今回、山崎正和『文明としての教育』(新潮新書)を読んだ。中央教育審議会会長による教育論で興味深く読んだ。
- 教育とは、経験の仕方や経験の方法論を教えるものです。
- 教室は経験の場ではなくて、練習の場なのです。
- 身を修めるを趣旨とする「生涯学習」は、「平板な繰り返しの日常をあえて価値的な登り坂として受け止める思想」だ。
- 義務教育は、必要な知識と思考能力を与え、自分で自分の意欲と可能性を発見する準備をさせることにある。個人の自己実現を援けるサービス。
- プラトンの人生5段階説(初めは読む・書く・算術を学ぶ少年期、最終は哲人)。孔子は6段階説(立志から)。世阿弥の三段階説(若年の初心、時々の初心、老後の初心)。受け身ではなく、覚悟を決めて生きこなすものとしている。
- アテネ。初等教育は「読み・書き・算術」。中等教育はの主眼は、音楽(祭典用)、体育(防衛用)。兵役を終えた後の高等教育では、弁論術、修辞学、数学、哲学を学ぶ。この段階では自発的な学びとなる。
そして「国語教育こそが実は愛国教育なのだ」と言い、そのためには朗読と暗唱が不可欠とする。そして戯曲こそ作家が推敲を重ねた書き言葉であり、役者が身に着ける話し言葉だとする。その主張の焦点は「国語教育」の重視にあった。
2020年8月に亡くなったが、今回のコロナを目撃しており、「今回の経験が伝統的な日本の世界観、現実を無常と見る感受性の復活に繋がってほしい」と語っている点も見逃せない視点だ。
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