ゴルフと懇親会。

周防灘C Cで同級生のゴルフ。スコアは秘密、、、。
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夜は、女性陣も加わっての打ち上げ会。
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「名言との対話」10月6日。大原誠「大河ドラマを作るには、時代を読まなくてはならない」

大原誠(おおはら まこと、1937年10月24日 - 2018年10月6日)は元NHKディレクターである。

 NHK入局後テレビ文芸部所属となる。大河ドラマ花の生涯〉に演出助手として参加する。「樅の木は残った」「元禄太平記」で演出を担当し、「風と雲と虹と」「草燃える」〈徳川家康〉「八代将軍 吉宗」「元禄繚乱」では演出のチーフを務める。現代ドラマも数多く手がけ、1990年に「不熟につき…」の演出で芸術選奨文部大臣賞を受賞。NHK退職後はフリーの演出家として活動し、「狼女の子守唄」(TBS系)、「疑惑」(テレビ朝日系)、「二十四の瞳」(日本テレビ系)ほかを演出した。

 入局3年目の24歳。社会部から異動してきた芸能局長から「映画に追いつくような、日本一のドラマを作れ」と命じられた。大河ドラマの第一作「花の生涯」の平均視聴率は、20.2パーセント、“桜田門外の変”の放送回は32.3パーセントを記録した大ヒットとなった。井伊直弼役は(二代目)尾上松緑だ。この作品は子ども頃に家族そろってみていたから、井伊直弼については私は悪い印象を持っていない。

大原の手がけた大河ドラマの作品リストを、そしてそれが伝統となったNH大河ドラマの膨大な作品群は、日本人の歴史観に大きな影響を与えている。私も毎年見続けてきたから、大いに影響を受けているという自覚がある。そういった仕事をしたことは男冥利に尽きるだろう。

大原によれば、徳川家康が主人公の大河は「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し」という家康の我慢強さが、視界ゼロ経済の1983年という時代に合ったそうだ。キーワードは我慢、辛抱 だという読みである。大河ドラマを作るには、時代そのものを読まなくてはならない。

大河ドラマは現代を映し出す鏡でなければ、視聴者の共感を呼ばない。だからプロデューサーやディレクターは日本の社会や経済、世相に対する「読み」と、それを作品に仕上げていく「戦略」が重要となる。「現代を映し出すことで大河ドラマは共感を呼ぶ」のである。その考えは現代ドラマでも同じだろう。テレビドラマ制作は「時代」との格闘だろう。それはあらゆる分野の表現者のテーマでもある。

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「名言との対話」10月6日。金田正一「丈夫な体でも、使いっぱなしはだめ。養生させることも大切」

本日プロ野球の400勝投手、金田正一の死亡のニュースが飛び込んできた。朝日新聞の一面では86歳プロ野球400勝投手」、9面では「400勝不滅の輝き」、23面では「かねやん 記録と人情と 長島から4打席4三振」と見出しが踊っていた。それほどの投手だったといいうことだ。

 もちろん日本最高の投手であり、ニューヨークヤンキースの強打者マントルからも来日時に3三振を奪っているから、メジャーでも十分に活躍できただろう。

ロッテの監督としても日本一にもなっている。テレビの解説でも歯切れのいい物言いと、自我丸出しの主張など私も金田節を楽しんでいた。実績がダントツでなので、誰も文句をつけられなかった。憎めない人柄でファンも愛していた。

日本一になった時には「今後も日本の歴史を塗り替えるつもりで努力していきたい」と語っていた。また楽天球団の誕生時には、「客が来れば絶対に強くなる。投資を 惜しんではだめだ」とアドバイスをしていた。

金田は400勝という偉大な記録を打ち立てた不世出の投手だ。30勝をあげたこともあり、20年間で平均すると毎年20勝を挙げたことになる。そして毎年200を超える三振を奪取した。一方で298敗と言う記録も残っている。400勝と300敗どちらが早いか当時話題になったものだ。私は国鉄スワローズという弱小チームに永年いたことが300敗に届かんとする大記録につながったものと思う。この記録はこれからも誰にも破られないだろう。この数字には歓喜とともにくやし涙に暮れる日々があったと容易に推察される。それだけに400勝という栄光の記録とともに、298敗という数字のコントラストがあらわす金田正一という男の人生のドラマに思いを馳せたい。

この二つの大記録は、毎日の走りこみや、資本であるカラダのケアに食事も含めた独自の理論をもとに実践を続けた、野球に対する執念にも頭を下げたい。合掌!