母と同じ1927年(昭和2年)生まれの10人の女性たちーーこういう人たちと同じ時代の波をかぶったのか、、。

今年の「名言との対話」は、「大正から昭和へ」がテーマでした。大正12年生まれの父と昭和2年生まれの母と、同世代の人たちがどんな時代と向き合ったのか、を知るためです。母が生まれた当時の日本の人口は6200万人。40人中女性は10人。今年取り上げた人に加え、この6年間の「名言との対話」に取り上げた人々を並べてみました。こういう人たちと同じ年に生まれたのか、、、。

女性:森山真弓(労働官僚)。野上照代(映画スクリプター)。緒方貞子(国連難民高等弁務官)。高橋久子(最高裁判事)。尾崎左永子歌人)。石牟礼道子(作家)。佐々木久子(編集者)。渡辺和子(修道女)。横井美保子(横井庄一夫人)。宮城まり子(歌手)。

男性:山田政男(養蜂場)。小山田宗徳(俳優)。辻信太郎(サンリオ)。童門冬二(作家)。馬場のぼる(漫画家)。琴ヶ浜(力士)。長新太(漫画家)。寺田小太郎(絵画コレクター)。島桂次NHK)。小山宙丸(早大総長)。岩井半四郎(歌舞伎俳優)。観世栄夫能楽師)。ジョージ・川口(ドラマー)。太田敏郎(ノーリツ)。塚本三郎民社党)。ハンチントン政治学者)。加山又造日本画家)。富永光行(マルトミ)。小泉文夫(民俗音楽)。神坂次郎(作家)。森政弘(工学者)。青木日出雄(航空評論家)。勅使河原宏(芸術家)。江川卓ロシア文学)。辻井喬(作家)。倉田洋二(海洋生物)。上田耕一郎共産党)。ラーマ9世(プミポン国王)。山内傳(任天堂)。長谷川慶太郎(経済評論家)。金泳三(韓国政治家)。小西和人(釣り師)。児島襄(伝記作家)。市川健夫(人文地理学者)。吉村昭(作家)。渡辺晋ナベプロ)。北杜夫(作家)。藤沢周平(作家)。城山三郎(作家)。野田一夫(経営学者)。

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目黒:橘川さんと盟友のと妹尾みえさんと食事。AIノベリスト文学賞。深呼吸新聞創刊号。旅。miro。会社。、、、。

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今日は1万1000歩。

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今日のヒント。日刊ゲンダイ新春特別号(2022年1月1日)

奥田瑛二(俳優)「98歳と決めていた自分の寿命をコロナで3年延ばして、101歳としました。最後を迎えるとき、幸せだったら右手を上げる。そう家族に伝えているのです」

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「名言との対話」12月29日。三遊亭円楽(5代目)「毎度お運びでありがたくお礼申し上げます」

五代目 三遊亭 圓楽(さんゆうてい えんらく、1932年12月29日 - 2009年10月29日[1])は、東京府東京市浅草区(現:東京都台東区)出身の落語家。

長身で端正な容姿を持ち、若い頃から、7代目立川談志、3代目古今亭志ん朝、5代目春風亭柳朝(柳朝休業後は8代目橘家圓蔵)と共に「落語若手四天王」と呼ばれた。1962年、真打に昇進し、三遊亭圓楽を襲名する。

1966年、日本テレビ笑点』の放送が始まり、大喜利の回答者として出演。1978年、落語家協会の分裂騒動で師匠の六代目圓生と協会を脱退。

1983年、「笑点」に復帰。南伸介の急死で司会者となり、以後、2005年に桂歌丸に交代するまで歴代最長の23年間続けた。日曜日夕方の「顔」として、「笑点」でテレビと落語を結びつけた功労者で、最も知名度のある落語家の一人となった。私もファンだった。

『五代目 三遊亭圓楽 特選飛切まくら集』(竹書房)を読んだ。圓楽の落語の「まくら」だけを集めた本だ。

「まえがき」では、六代目円楽は、「博識の人」「アドリブが苦手」「不器用」「稽古と努力の人」「映画マニア」と評している。

落語家協会の分裂時は、年間200日以上地方回りをやっている。歌丸から「俳句を詠まねぇ松尾芭蕉」と言われている。地方ではかならず村長が出てくる。「あんなバカが、よく幹事長になったね」と地元の人の言葉を紹介している。バカは自民党の金丸幹事長だ。「小才の利く奴は、大物になれません」と談志を笑い、返す刀でボーとしてる自分は大物だと笑わせる。プロ野球の意外性の男「山倉」はナマクラだ。野村のいう裏の裏をかけ、については裏の裏は表だといって笑わせる。直木賞は伸びるが、芥川賞は伸びない。世の中は二ついいことはない。外套を脱げと言われて、「外套(街頭)演説」と返した吉田茂の逸話。笑うと横隔膜を刺激し五臓の働きを活性化する。、、、。

講談は「読む」、浪曲は「語る」、そして落語は「話す」という。落語は「枕」と「本題」と「落ち」で構成されており、マクラは最初に場を温める役割がある。この本を読むと、圓楽の「まくら」は、「一杯の」「毎回の」などもつくことがあるが、必ず「毎度お運びでありがたくお礼申し上げます」から始まっている。

講演などでも、本題に入る前に、私もその土地の名所、名物、偉人、自分との縁などの話題から入ることがある。それは、注意を引き付け、親しみをもってもらうための「つかみ」だ。落語のマクラと同じである。

講演では最後は「落ち」というわけにはいかない。本題のまとめ、教訓、あるいは結論、今後の展望などを話すことになる。論文を書く場合も、「序論」「本論」「結論」という3段階で書くのが常識となっている。みな同じである。

圓楽のマクラの源の一つは、映画であった。時間があると映画館で映画を観るという習慣があった。地方公演でも必ずそうしている。その映画の話題をマクラで使っている。この本のマクラでも、映画「ハスラー」のパート2をみてきたことから始まっていたものがある。読書と映画という独自の泉が、豊かなマクラにつながっているのだ。後継者の6代目円楽は、それを「博識」と評したのであろう。

それでは、お後がよろしいようで、、。