アルベール・ビュフェ美術館ーー具象画家ビュフェ「絵画作品はすべて抽象です」

アルベール・ビュフェ美術館。

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2020年に東急文化村のBinkamura美術館の「ベルナール・ビュフェ」展を見た時に、静岡県三島市にビュフェ美術館があることを知った。そこを訪問する機会が意外に早く訪れた。富士箱根伊豆国際学会の大会が三島市で開かれて、案内していただくというチャンスがめぐってきたのだ。駿河銀行の創業者・岡野喜太郎の子で第3代頭取をつとめた岡野喜一郎によって、霊峰富士を背にした丘に1973年に開館した。この美術館には2000点のビュフェ作品があった。世界一である。

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ベルナール・ビュフェ(1945-1999)は、黒い描線と抑制された色彩によって第二次世界大戦後の不安感や虚無感を描出し、世界中の人々の共感を呼んだ。その虚飾を廃した人物描写は、当時の若者に多大な影響を及ぼしたサルトル実存主義カミュの不条理の思想の具現化として映り、ビュフェ旋風を巻き起こす。

1958年、ビュフェは30歳でアナベルと結婚。ビュフェはアナベルの豊かな才能や表情に魅せられ、創作活動において多様な表現を試みている。「人は愛する女性の中にいつだって何かを発見するものだ」。アナベルは、ビュフェにとって生涯の女神(ミューズ)であり、彼女をモデルにした作品も多く残した。

17歳の日記には「少なくとも1日に4、5時間を(手を動かして)作業する。言い訳をして怠けない。精神的に立ち止まらず描く。毎日、朝昼晩の深い瞑想」という記述がある。その態度は晩年まで変わらなかった。

「風景画のなかで僕が重んじるのは構図です」

「素直な愛情をもって、絵と対話してほしい。絵画はそれについて話すものではなく、ただ感じ取るものである。ひとつの絵画を判断するには、百分の一秒あれば足りるのです」。

 

高等中学校でビュフェは自然科学の先生から描いた虫の絵を褒められ、画家になろうと決心する。ビュフェは戦後フランス具象画壇を代表する画家である。具象のパリから抽象のニューヨークへ時代の流れが移りかけた時代にビュフェが登場した。ビュフェは「絵画作品はすべて抽象です」と言い放った。具象画は誰にも理解できるものであると同時にみる人が自身で何かをみいだすものでもあるのだ。静物画、自画像、妻の絵、建築物、風景、サーカス、闘牛士、ピエロ、昆虫、、、などの作品がある。

「日本の文化について知れば知るほど日本に行きたくなる」というビュフェはたびたび来日する。ビュフェは、金閣寺、相撲の力士、富士山、フクロウを描いた屏風などの作品を残している。

絵画はすべて抽象画である、とするビュフェの絵は確かに、みる者の心に何かを生じさせる。

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今日のヒント。先進国の幸福度ランキング。日本は56位。

世界17カ国の先進国の国民が「人生で最も価値があるもの」と考えているのは、「家族」(38%)、「職業」(25%)、「物質的な幸せ」(19%)の順

米国の世論調査機関「ピュー研究所(ピュー・リサーチ・センター)」は今年、2回にわたって全世界17カ国の成人1万8850人を対象に電話・インターネットによるアンケート調査を実施し、その結果を18日(現地時間)に公表した。米国・英国・フランス・ドイツ・日本などを対象とした今回の調査で、ピュー研究所は「あなたが人生で最も価値があると思うものは何か」と質問した。回答は主観式で受け付けて、「物質的な幸せ」「健康」「家族」など19種類のカテゴリーに分類した。

因みに幸福度ランキングがある。国連の持続可能な開発ソリューションネットワーク(SDSN)が、毎年3月20日の「国際幸福デー」に合わせて発表しているランキングデータである。

https://eleminist.com/article/1184

調査は世界の150か国以上を対象におこなわれ、2012年から毎年実施されている。

自分自身の生活への満足度に加え、以下を加味する。1.一人当たり国内総生産 2.社会保障制度などの社会的支援 3.健康寿命 4.人生の自由度 5.他者への寛容さ 6.国への信頼度。

2021年の幸福度ランキングは以下。

1位フィンランドデンマーク、スイス、アイルランド、オランダ、ノルウェー、スエーデン、ルクセンブルグニュージーランド、10位オーストリア

主要国:英国17位。米国19位。日本56位。韓国62位。中国84位。最下位の149位はアフガニスタン

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「名言との対話」11月23日。サイ・ババ「カーストはただ1つ、それは人類というカースト。宗教はただ1つ、それは愛という宗教。言語はただ1つ、それはハートという言語。神はただ1つ、そして、神は遍在」

サティヤ・サイ・ババ(Sathya Sai Baba, सत्य साईं बाबा, 1926年11月23日 - 2011年4月24日)は、インドのスピリチュアルリーダー。インド国内では多くの要人も聖者として認める霊的指導者。

1940年5月23日、14歳の時、サソリに刺され一時人事不省に陥り、復活後「自分は聖者・シルディ・サイ・ババの生まれ変わりで、シヴァとシャクティのアヴァター(化身)であり、人々の悩みを取り払うために降臨した」と宣言し、「聖なる父」サイ・ババを名乗る。

活動本拠地としてインドのいくつかヨガ施設、病院、学校があるほか、国内外に数百万もの信奉者を獲得し、世界126カ国に1,200のサティヤ・サイ・ババ・センターを作った。

主な活動分野は、学校建設など教育分野。空港建設などの社会分野、病院建設などの保健医療分野などで貢献した社会福祉事業家である。その資金は主に、サイババの行う奇跡を信じた裕福な信者からの寄付でまかわれている。

サイ・ババの言葉を拾った。

  • 教えを説く人間が真の「グル」なのではない。真の「グル」とは宇宙そのもの、自然、創造である
  • あなたがそこで生まれ育ち、金銭と名声を得た社会に奉仕をすることによって感謝を示さなければなりません
  • 人生は歌……歌いなさい。人生はゲーム……勝負しなさい。人生はチャレンジ……挑みなさい。人生は夢……実現しなさい。人生は犠牲……捧げなさい。人生は愛……楽しみなさい。
  • 有名になることを求めず自分の奉仕した人の顔に輝く喜びを求めなさい。名声や称賛を念頭に置かず、人々に対する善行のみを考えなさい

サイ・ババが説く教えには次の4つがある。

カーストはただ1つ、それは人類というカースト。宗教はただ1つ、それは愛という宗教。言語はただ1つ、それはハートという言語。神はただ1つ、そして、神は遍在」。「すべての人を愛し、すべての人に奉仕する」。「常に助け、決して傷つけない」。4「愛は私の姿、真実は私の息吹、至福は私の糧、私の人生が私のメッセージ、拡大が私の人生、愛に理由はなく、時を選ばず、生じることも滅びることもない」。また、人間の苦楽はすべて過去生における行いの結果であり、根本的にはカルマすなわち業の因果からは逃れられないが、本人の善行と神の意志によりその結果を変えることができるとも説く。

亡くなったのは85歳だった。葬儀は国葬である。インドの大統領・首相以外で国葬が執り行われたのは他にマザー・テレサのみだ。サイ・ババは自ら予言した通りの歳(インド暦・太陰暦で95歳)で亡くなった。

1990年代に日本でもテレビなどのマスコミが取り上げ、「サイ・ババブーム」が起こったことをよく覚えている。サイ・ババについて、奇跡を興す呪術師的なイメージを持っていたが、そうではなかった。宗教指導者であり、社会福祉事業家であったのだ。

「一本のろうそくから千人の人が炎を取ったとしても、炎がなくなることはない」と語ったサイ・ババは、まさに一本のろうそくであった。その火は数百万人の心に火をつけた。そのろうそくの火には「人類・愛・心・神」が宿っていた。サイババというろうそくの火からもらった炎の一本一本のろうそくはさらに広がっていくことだろう。