「世界を知る力」ーーウクライナ。G7広島サミット。ロシア。英国のTPP加盟。マクロンの訪中。経済の金融化。金融不安と恐慌。

 

寺島実郎の「世界を知る力」(16日。東京MXテレビ

  • 岸田政権は日韓関係改善とウクライナ訪問で支持率が上向き。旧統一教会問題で政治への期待の低減の心理の反映。日本は主体的な構想力を持つべき。
  • ウクライナ訪問:インド、ウクライナの後に、ロシアでプーチンを訪問すべきだった。グローバルサウスの代表のインドとの共同提案で停戦に向けて一歩踏み込むべきだった。27回の安倍・プーチン会談時の外相は岸田だったのだ。重要なタイミングだった。
  • G7「広島サミット」:核兵器禁止条約6条は、核の被害者への援助の項。チェルノブイリなど被害者はかなりいる。技術協力など部分参加もできた。条約にはすでに92ヵ国が署名、68ヵ国が批准している。
  • G7の歴史とロシア:1995年のランブイエが初回(三木首相)。1979年、1986年、1993年は東京。1998年はG8でロシアが初参加(エリツィン)。2008年の洞爺湖サミットではメドベージェフ。2014年のロシアのクリミヤ併合で2016年からはロシアを排除。ロシアは孤独感、孤立感を深め、世界のすね者になっていく。
  • 英国のTPP加盟とグローバルサウスの動向:TPPは11ヵ国、2006年の4カ国(シンガポールブルネイ、マレーシア、ニュージーランド)から始まった。英国は単体ではない。ロンドンードバイーベンガロールーシンガポールシドニーニュージーランドという「ユニオンジャックの矢」がある。EUからの離脱でTPP加盟となるとグローバルサウス、特にアジアへの有力な手立てになる。
  • フランスのマクロンの中国への接近:マクロンは中国へ乗り込みウクライナ和平への役割を語った。勇気ある発言。フランスは歴史的に中国共産党とは周恩来、鄧小平の留学など深い関係がある。習近平はロシア訪問した。両国は蜜月と緊張の関係にある。経済は支援、軍事は一線を画す。中国はサウジとイランの国交回復の仲立ち。イスラエルは強硬なネタニエフ政権の復権でイランとは緊張関係。グローバルサウスをどう取り込むかが大事である。
  • ITとFTとの結婚。ジャンクボンドの帝王・マイケル・ミルケン、ヘッジファンドの帝王・ジョージ・ソロス。のどかな産業資本主義から、金融工学を駆使した金融資本主義への転換。数理分析によるビジネスのリスク(為替相場先物取引など)が取引の対象。原資は株、エネルギ、不動産、排出権など。2008年にはリーマンショックで、貧困者への金融支援で3年で住宅価格が倍になるというサブプライムローンが破綻。それによりオバマ政権が誕生し、2010年に銀行と証券の分離の金融規制法。2018年にはトランプ政権が骨抜きにした。借金によるマネーゲームで豊かな生活、そして破綻という懲りない歴史。それが現在の「格差と貧困」の根底にある。
  • 21世紀資本主義には金融不安が内在。金融資本主義というより経済の金融化というべきか。金融資産(株、債券、その他の多様な商品)は実体経済の5倍。IT・DX・AIによって資本主義は高度化。ロシア、中国もグローバル経済に組む込まれている。金融不安のカナリアは何か。2000年から株は1.56倍、金は8倍以上。金本位制の誘惑。
  • 金融不安の影:アメリカのシリコンバレー銀行、シグニチュア銀行の破綻でアメリ中央銀行FRB)は20兆円を融資。スイスのクレディスイス銀行もライバルに吸収された。劣後債2.3兆円の価値はゼロと評価された。異次元金融緩和でインフレが浮上し引き締め。アメリカは5%に近い金利、貸出規制。それは景気後退の前触れ。政府が動き抑えこみに入っている。しかし経済は「信用」で動く。評判はSNSで増幅されていく。黒田日銀の10年の延長上の日本とは大きなギャップがある。金融界は多様でノンバンク、シャドゥバンクが5割ともいわれている。ここに潜在リスクがある。日本は表面上は健全だがリスクの高い金融への誘惑がある。それが潜在不安。
  • 恐慌の歴史:投機ブームの後の1929年の大恐慌。1933年の銀行と証券の垣根。新自由主義によって1994年に法が廃止され、ITとFTの結婚につながっていった。

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「名言との対話」4月17日。鈴木貫太郎「永遠の平和、永遠の平和」
鈴木 貫太郎(すずき かんたろう、1868年1月18日(慶応3年12月24日) - 1948年(昭和23年)4月17日)は、日本の海軍軍人、政治家。
海軍士官として海軍次官連合艦隊司令長官、海軍軍令部長などの顕職を歴任した。予備役編入後に侍従長に就任。二・二六事件では襲撃されるが気丈な妻・たかの機転で一命を取り留めている。

天皇機関説美濃部達吉が苦境にあった時、 昭和天皇自身は、ああいう学者を葬ることはすこぶる惜しいと語ったというから、天皇機関説に近かったと、侍従長であった鈴木貫太郎は後に述べている。

小磯國昭の後任として内閣総理大臣に就任し、陸軍の反対を押し切って、本土決戦を回避し、第二次世界大戦終戦に導き、国が滅ぶのを阻止した。

2015年に話題となった、戦後70年を記念した映画「日本の一番長い日」(半藤一利原作・原田真人監督)をみた。昭和天皇や鈴木内閣の閣僚たちが御前会議においてポツダム宣言を受け入れ日本の降伏を決定した1945年(昭和20年)8月14日の正午から宮城事件、そして国民に対してラジオ(日本放送協会)の玉音放送を通じてポツダム宣言の受諾を知らせる8月15日正午までの24時間を描いている。

関係者の年齢を調べたことがある。昭和天皇44歳。鈴木貫太郎首相77歳。阿南陸軍大臣58歳。木戸幸一内務大臣56歳。東郷茂徳外務大臣62歳。梅津美治郎参謀総長63歳。東条英機元首相60歳。米内光政海軍大臣65歳。映画では昭和天皇は木本雅弘、鈴木貫太郎首相は山崎勉、阿南陸相役所広司という配役だった。

鈴木内閣は1940年4月に誕生し、終戦という難題にあたって、天皇終戦の意志を拝し禁じ手の聖断を二度までも仰いだ。そうするしかできなかった世代の責任を痛感し、今後は若い人の時代であると退陣する。

「死ぬということは、最も容易な方法で、 なんでもないことだ」。いつでも身も、地位も捨てる覚悟で難局にあたった鈴木貫太郎の身の処し方を示している。敗戦の責任は身を捨てることではなく、復興を見届けることと考えていたのだ。

首相辞任の挨拶をしたときに天皇陛下から「鈴木、ありがとう、と言われて感激した」と息子にいつも語っていたという。

死の直前には「永遠の平和、永遠の平和」と非常にはっきりした声で二度繰り返したという。関宿町実相寺に葬られた遺灰の中には二・二六事件の時に受けた弾丸が混ざっていた。総理退任後に住んだ千葉県野田市の質素な家が記念館になっている。そこで永遠の平和のために尽力した鈴木貫太郎を偲びたい。

鈴木貫太郎の「正直に 腹を立てずに 撓まず励め」という遺訓は、母校である前橋市立桃井小学校の基本目標になっており、校歌の歌詞にも採用されている。