本日の「幸福塾」は、「実年期の肖像」の第1回目。

私の住む八王子は、本日39度1分という日本最高の暑さを記録。

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本日の「幸福塾」は、「実年期の肖像」の第1回目。

「少年期」「青年期」「壮年期」「実年期」「熟年期」「大人期」「仙人期」という、私の提唱する「人生7期説」から、65歳から80歳までの「実年期」をいかに過ごすかをテーマとしたレクチャー。

この「実年期」を豊かに生きているモデルを紹介するシリーズで、初回は3人の人物を取り上げた。

以下、塾生の学び。

  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、久しぶりの幸福塾。公人、私人、ライフワーカー、ネットワーカー、コレクター、そして政治家…これまで何度となく久恒先生より注いで頂いた『遅咲き偉人』達のコトバのシャワー…。「しかしいま改めて再考しよう、本当に『遅咲き』だったのか?」という久恒先生御自らのアンチテーゼから始まりました、唖然。☞年齢を重ね、成長を続け、やがて大輪の花になる…これじゃないかな?『孔子』の人生訓は人生50年時代のモノの見かた。『もっとその先…』があるこれから生きる我々が目指すのは「学び続ける事」。晩年、結果としてどこまで行けるのか、その成長して行く過程、『生き方』こそがむしろ重要なのではないか?。65歳~80歳と言われる実年期を走り続ける「知るひとぞ知る」人びとの生き方、「実年期の肖像」をコンセプトにレクチュアがスタートしました。本日は3人の生き方…①松山真之助(1954生まれ69歳)通勤往復4時間、毎日往路で1冊読み、帰路でその書評をメルマガに。朝6時出勤、誰も居ないオフィスで第1報を受ける、大抵悪いニュースだった。やがて何でも知っている情報通に。退職後、自治体の「仕事サポートセンター長」に応募し就任。豪雨災害やコロナ禍の中、クラファン・SNSなどのITを駆使して資金繰りし商品開発、採用支援、がれき処理(軽トラ調達)に奔走。「65からでも向こう30年」「縁は運で繋がり運は縁により引き寄せられる」。継続するひたむきさ、縁を大事にする素直さ、写真から伝わる表情の明るさから、人を引き寄せ全員でことを成す「人間味あふれるリーダーの魅力」が感じられた。②河野初江(1951年生まれ72歳)リクルートに入社し月刊誌のエディタとなる、定年35歳、必死で仕事。「著名人100人の自分史」「人生80年時代懇談会」で著名人とのネットワークを構築。51歳で大病煩い『老後を前倒し』して満喫、仕事環境のバランスとりつつ悔いのない生活を目指す明るいポジティブな生き方に共感。③渡辺幸祐(73歳)1974年サントリー入社、宣伝課長として有名企業の幹部とのつながり、年間100回超えのイベントをこなす、49歳で早期退職後は「酒と食」を軸に人とのつながりを目指した活動を継続。「好奇心」で行動し「変化を楽しむ」性格、Give, Give, Give…自然に人が集まる、ヒトのために働くコーディネータ…頑張らない/自然体な仕事ぶりに安心感。冒頭出た、『成長し続ける』という課題に対し『上機嫌』『前向きさ』『好奇心で変化を楽しむ』『自然体』といったキーワードで答える…そういうに生き方共感する事が出来ました。次回幸福塾でも引き続き「生き方」シリーズが継続されるとの事、ワクワク致します。一方当方気付きとして小山薫童氏のインタビュから『幸せなチームだけが変化に対応できる』という、励まし合いながら成長し続けるポジティブな集団とリーダーとの姿が紹介されましたのでご紹介いたします。a)大学生だった小山氏は、バイト先の放送局社員の薫陶を通して「モノ書き」としての素養が身に付いた事、b)後年放送作家としてた大成した氏が後継者育成を目的に社員と共に「誕生パーティ」の企画をチーム一丸となって懸命に取り組み、社の行事として定着した事、c)自らの誕生日に「出版記念パーティ」のしつらえでサプライズ誕生パーティが計画・実行され、人知れず「成長・進化」を遂げた部下達との激励と感謝の好循環を作り上げる事が出来た事が紹介されました。『前向きさ』『ヒトとの縁』『好奇心』といったモノが「継続し続ける成長・進化」をドライブし続ける源泉となっている点におきまして、本日久恒先生からのレクチュアと共通しておりました。併せ気付きとして共有したくパワポをUPさせて頂きます。次回も宜しくお願い致します、有難うございました。
  • 7月の幸福塾に参加させていただきました。久恒先生、皆様ありがとうございました。
     今回は、「実年期の肖像」というテーマでした。人生100年時代には、「青年期」「壮年期」「実年期」(65歳から80歳)の後にも、「熟年期」「大人期」「仙人期」があるという考え方が、重要で人生の後半というとらえ方でなく、人生の「実年期」から活躍する「晩成力」が重要ということがわかりました。今回紹介された方は、①書評のメルマガで有名な松山真之介さん②自分史活用推進協議会理事の河野初江さん③色々なジャンルの交流会を行うギリークラブ主催の渡辺幸裕さんの3名が紹介されました。①松山真之介さんは、遠距離通勤の通勤時間を利用して1日1冊の書評を書き続け、数千人のメルマガの読者がいることはすごいと思いました。往復4時間という遠距離通勤は一見、大変そうに思えることも、逆の発想を持つことで道が開けることがわかりました。②河野初江さんは、「自分史」という天職を見つけ、実年期はトップになって活動され、とても充実した人生を送られている方だと思いました。私も自分史を作成してみたくなりました。③渡辺幸裕さんは、様々な交流会を企画され、一流ホテルの料理長の会や、シニアが楽しめるリモートの会(獺祭の会など)など企画され、行動力がすごいと思いました。今回紹介された3名の方の事を知り、人生100年時代を生きる上で大変参考になりました。次回も楽しみにしています。
  • 久恒先生、みなさま、本日は幸福塾ありがとうございました。今日のテーマは「実年期の肖像」。「実年期」とは65歳から80歳。その前には「青年期」「壮年期」があり、後には「熟年期」「大人期」「仙人期」がある。ということで、実年期は「第二の人生」「人生後半」ではなく、まだまだ先がある、という考え方。「今から」という気持ちで 年齢を重ねるごとに花びらが大きくなる 「大器晩成」を目指す。「晩成力」が大事。そのためには学び続ける。そして 「うまくいけば咲くかもしれない それでよい」  という心境で実年期を過ごす。とても前向きであると同時に力身のない生き方、考え方だと感じました。そうした前向きな「実年期」を生きている例として、松山真之介さん、河野初江さん、渡辺幸裕さんのご紹介がありました。それぞれに印象深いところがありましたが、例えば松山真之介さんの「65歳からでも30年はある。あと2山3山を越えよう」という言葉や、自分史の普及がライフワークである河野初江さんの「自分の人生の主人公は自分だ、と思える世の中に」や、人と人とを繋ぐ「ネットワーカー」渡辺幸裕さんの「Give Give Give で、TAKEはなくていい」などの言葉が印象に残りました。これまでの「65歳から80歳」のイメージを刷新する「実年期」の考え方と「晩成力」。次回も楽しみです。
  • 本日もありがとうございました。新しいシリーズと言っていいのかな?「実年期の肖像」(65歳~80歳)が始まりました。はじめに語られた趣旨には大いに賛同しました。「遅咲きは結果で、キーワードは晩成力」。よく知られている偉人、創業者、作家や芸術家とかではなく、わりと身近にいそうな、平凡という訳ではないが少しは近づけそうな人たちの実年期と、それに至るまでの青年期・壮年期を取り上げる企画はとても魅力的だと思います。今日は松山真之介、河野初江、渡辺幸裕の3名。松山真之介氏のすごいところは、往復4時間の通勤時間の中で1日1冊の本を読み書評を書き続けたこと。もう一つは熊本県人吉市の仕事サポートセンター長として豪雨、コロナ禍、クラファンなどに対応しSNSやZoomを使いこなしたところ。「縁は運によってつながり、運は縁により引き寄せられる」は名言。 河野初江氏の生き方で最も印象に残ったのは51歳で乳がんを患い、それを「老後を前倒しで体験」と捉えたこと。いわば「ピンチをチャンスに」して回復後、60代で自分史に出会ったこと。「人生100年時代、長寿をどう享受するかが抜けている」とは、まさにその通りだと思いました。渡辺幸裕氏については、何と言っても20年で2200回のイベントを開催したこと。決して自分がTAKEのためでなく、GIVE,GIVE,GIVE。ネットワーカーとコーディネーターの資質に長けている。一言で言えば「まめさ」。一般的に広く知られている訳ではないが、知る人ぞ知る有名人。こういった人たちのことを知ることができることをとても楽しみにしています。と同時に、新聞やTVやSNSなどで、自分もアンテナを張って探していようと思います。
  • 先生みなさま、本日もありがとうございました。本日は、遅咲きは結果として晩成力のある人が重要。偉人とまでいかなくても、65歳~の実年期以降に、楽しく生きている方々のお話を伺いました。実際にインタビューをした、充実して楽しく前向きに過ごされている方々のお話は、とても参考になりました。ギブ&テイク ではなく、ギブギブギブ、その人の好さと明るさが紹介下さった3人のお顔ににじみ出ていて、そうありたいなぁと思いました。もうあとお二人のお話も、次回楽しみにしております。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今回は「実年期(65~80歳)の肖像」の1回目。これまで紹介された「偉人」の中に、仕事を終えた後(定年後)に始めたことが功績として評価され、有名になった方がありました。これらの偉人はいわゆる第二の人生とか人生の後半に花開いた人と言うよりは、長生きして学び続けた結果、のちにその時期の功績が認められた人と捉えることができるのではないか、と。人生100年時代になり、久恒先生がおっしゃるライフデザインでは、「実年期」の次に熟年期や大人期が続きます。これを念頭に置いて過ごすのであれば、実年期以降をいかに生きるかで、それ以前とは違った自己実現や他者貢献の活動ができる可能性が生まれるんだと改めて思いました。 そして今回紹介があったのは、久恒先生がインタビューされた松山真之介さん、河野初江さん、渡辺幸裕さんの3人でした。私には予備知識がなかったため、それぞれのお話を伺って共通ポイントとして捉えたのは、「どんな人とつながるか(関わるか)、つながっているかが大切。」ということでした。また紹介された顔写真から、3人とも、安心感を与えてくれる素敵な笑顔が印象的で、きっと楽しみながら取り組んでおられるんだろうなと想像しました。実年期一歩前の私としては、お手本となる年代の方のお話ですので、次回の「実年期の肖像」も楽しみにしております。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、大変な状況下での幸福塾をありがとうございました。本日も参加できたことに感謝申し上げます。健康である限り、自分を生きていけることに気がつきました。 50代に入ったら、そろそろ閉じることを視野に入れるようにと言われていて、暗い気持ちになっていました。なので、本日の内容は、私にとって希望でした。いつも笑顔で、目の前のことに真摯に取り組んでいけば、ふとした偶然にライフワークが見つかるのではないかという気持ちになりました。そして、ご縁を大切にしたくなりました。晩成力をテーマにした幸福塾、今後も楽しみです。生きる希望です。
     
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「名言との対話」7月12日。鈴木大拙成長はまたつねに苦痛をともなう」

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎〈ていたろう〉、英語: D. T. Suzuki 〈Daisetz Teitaro Suzuki1870年11月11日明治3年10月18日〉 - 1966年昭和41年〉7月12日)は、日本仏教学者文学博士である。

2011年、10月18日の誕生日に開館したばかりの金沢の「鈴木大拙館」を、石川県庁職員の研修中の昼休みにあわただしく訪問した。

鈴木大拙は禅の研究を通して東洋の思想を世界に伝えた人物である。存命中の1960年発行の「ライフ」で「世界に現存する最高の哲学者は誰か」という世論調査で圧倒的多数で鈴木大拙が選ばれている。「近代日本最大の仏教学者」(梅原猛

大拙の最終学歴は「中卒」である。在籍した第四高等学校、東京専門学校、帝国大学文科大学は、いずれも中退しているからだ。四高時代には、西田幾多郎(哲学者)、山本良吉(武蔵高校の創設校長)、藤岡作太郎(国文学者)と巡り合っている。

26歳でアメリカに行き、宗教学者・ポール・ケーラスの助手としてオープン・コート出版社に勤める。米国滞在は11年に及ぶが、この間に『大乗仏教概論』を英文で出版している。また、生涯の伴侶・ビアトリスとも出会う。ようやく帰国した1909年には、すでに37歳になっていた。大拙は安宅産業を起こした四高の同級生安宅弥吉が献身的な支援を惜しまなかったこともあり、紆余曲折を経て世界的人物になったのである。大拙は、尊敬すべき師と優れた友人に囲まれていた。

神保町の古本屋で見つけた、「鈴木大拙座談集第一巻」を読んだ。座談の相手は、武者小路実篤、長与善郎、長谷川如是閑松永安左エ門福田恒存折口信夫和歌森太郎というそうそうたる人物たちだ。 大拙と多様なジャンルの知識人との座談は興味深い。鈴木大拙の発言を中心に追ってみたが、この本が出た1971年に大拙は、共産主義者はもう少し20、30年たったら反省してくるであろう、と言っている。ソ連が崩壊したのが18年後の1989年だから、予言はぴったり当たっていたのに驚いた。

日本の国民性のもとになっているのは富士山だ。白い雪におおわれた頂きが青い空に映じてみえるというすがすがしい心持ち、けがれのない心持ちになる。大拙はこの富士山が日本的性格に関係しているという。吉田茂が富士山と皇室が日本だと語っていたのはそいうことだったのだろう。

「アーチスト・オブ・ライフ(人生の芸術家)になれ、自分の絵の具と筆を使って自分の絵を描け」「人間は、九十にならないと分からんこともあるのですよ」「死を恐れるのは、やりたい仕事を持たないからだ。やりがいのある、興味ある仕事に没頭し続ければ死など考えているヒマがない。死が追ってくるより先へ先へと仕事を続ければよいのである」

2020年の月刊「致知」8月号(2020年)は「鈴木大拙」の大特集だった。いまだに大拙は影響を与え続けているのだ。

  • われわれはみな、生きることの芸術家(アーチスト・オブ・ライフ)として生まれてきている。文学や芸術のほかに、人間の生活そのものが、詩となる。文字に出る詩人だけでなく、我ら人間の一挙一動がことごとく詩になり、芸術的に美しいものとなる。
  • 生命は「墨絵」である。ためらうことなく、知性を働かせることなく、ただ一度かぎりで描かねばならぬ。
  • 真黒になって、黙々として、朝から晩まで働き、時節が来れば、「さよなら」で消えていく。このような人をえらい人と、自分はいいたい。
  • 一歩一歩上がれば何でもないぞ。一歩一歩努力すれば、いつの間にか高いところでも上がっている。
  • 人間には、他の生物と違って大悲というものがなくてはならぬ。
  • 自らによる、それこそが自由だ。
  • まだまだだぞ。
  • 実現せられんから追求せんのではない。実現せられんから追求する。
  • 人生は、どう論じようとも、結局苦しい闘争である。だが、苦しめば苦しむほど、あなたの人格は深くなり、そして、人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読みとるようになる。
  • 人生は万物の基礎である。人生を離れて何者も存在し得ないのである。…、星の観察者は今なお固い地上を歩いている。
  • ほんとうの祈りというものは、叶うても叶わんも、むしろ叶わんということを知りつつ、祈らずにおられんから祈るというのがほんとうの祈りで、祈るから叶うという相手に目的を置いて祈るのでは、ほんとうの祈りではない。
  • 人間の一生は不断の努力であり、永劫に聞かれぬ祈りであり、無限に至り得ない完全性の追求であるといえるのです。
  • 人間は完全なるものに向かう終りなき戦いです。
  • 自分たちは結婚生活の目標を東洋思想、東洋の心の動き、感情と言うべきものを欧米各国の国民に宣布することに定めた。
  • 世界人としての日本人。
  • ノー。ナッシング。サンキュー。
  • 依頼心を捨てよというのが(釈迦の)最後の説法であった。
  • ただ滅茶苦茶にはたらくのだ。はたらいてはたらいてはたらくのだ。
  • 日本的霊性法然親鸞の世界を描いている。阿弥陀仏の絶対無条件の大悲によって、この身このまま救われる。禅と浄土宗は一つに結ばれるところがある。これが日本的霊性である。
  • 十分にこれ(苦)を味わっていくべきものと思います。
  • 仏教の中で最高峰は華厳理想だ。
  • コツコツとやっていく。そうすると、自分とやることとが一つになる。
  • (内面的生活が十分に働かぬから)どうしても吾等は年を取らねばならぬ。
  • 計らひを離れるというのは、仕事にわきめを振らぬと云う義である。

 大拙は禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた人だ。著書は約100冊あるが、その内23冊は、英文で書かれている。 それが世界の日本の理解を深めたのである。

宗教学者山折哲雄は晩年の大拙に何度か会っている。そして、こう記している。津田左右吉俳人・一茶を日本文学史上の最高の文学者とし、鈴木大拙が明恵上人を高く評価し、土居健郎がもっとも惹かれる人物が良寛であると吐露している。大拙は禅や浄土宗など大拙が研究したものは、中国やインドの叡智を学ぶのではなく、それを機として「日本的霊性」が外に現れてくるという言い方をしている。大拙の著書は、禅の世界観を用いて日本文化を伝えようとしたといえるだろう。日本研究の人ということだろう。 

大拙は90歳頃から親鸞の「教行信証」の英訳にあたっている。聖路加国際病院理事長の日野原重明が、90歳以降の最晩年の鈴木大拙を診ている。当時日野原は48歳だった。「年をとらないと分からないことがたくさんある」と語っていたそうである。

後に石川県専門学校(のちの四高)時代の数学教師であった師の北条時敬は、欧州滞在中の大拙と会う。北条は「実に堅忍勉学、身を立てたる人物なり」といい、「同氏は学生時代には優秀人物に非ざリシニ」と書いている。大拙は年齢を重ねるごとに大きくなっていった遅咲きの人であった。
大拙の名言は多く、なにを選ぶか迷ったが、「成長はまたつねに苦痛をともなう」を採りたい。心の苦痛は成長のあかしなのだ。この言葉は大学生に響くようで、講義の後の感想には、救われたというものが多い。鈴木大拙は著書や講演によって当時の世界に与えた影響は甚大であり、日本でも優れた研究者を通じて影響を与えたのだが、現在でもその影響は大きい。鈴木大拙は偉大な人である。