遠藤周作の生涯を「新・孔子の人生訓」で眺めると、、、。

先日、町田市立文学館「ことばらんど」で、「遠藤周作とPAUL Endo 母なるものへの旅」(開館一周年記念特別企画展。2007年)の図録を購入し、興味深く読んだ。以下、簡単な年譜。

  • 27歳:フランスへ向けての船旅で「小説家の勉強」をしようと決心。
  • 30歳:「日本人にとってのキリスト教」を小説のテーマと決める。
  • 32歳:『白い人』で芥川賞。34歳:『海と毒薬』で新潮文学賞毎日出版文化賞。43歳『沈黙』で谷崎潤一郎賞。40歳から町田に住む。狐狸庵。
  • 50歳:『ぐうたらシリーズ』が100万部突破。
  • 64歳:町田から目黒区に転居。66歳:日本ペンクラブ会長を辞任。歴史小説に取り組む。70歳:集大成『深い河』で毎日芸術賞。73歳:死去。

この遠藤周作の生涯を「新・孔子の人生訓」で読み解いてみよう。

  • 青年期の初めの27歳で小説家を志し、30歳でテーマを決め、32歳で芥川賞を受賞。
  • 壮年からは第二の分野「ぐうたらシリーズ」を取り組む。第一の「日本人にとってのキリスト教」は「人生」、第二は「生活」がテーマ。40歳から25年、町田の狐狸庵で執筆。
  • 実年期の64歳に都心に転居し、歴史小説を本格的に取り組む。70歳で7年かけた集大成『深い河』を完成させる。73歳で死去。棺には『沈黙』と『深い河』を入れる。
  • 大説家:教師や学者は、講壇から人に大説を述べる。自分が品行方正、人格識見ともに優れたような目でみられる。何もかも心得ているかの如く講壇に立つズウズウしさ、偽善。悟りを開くようなりっぱな話。
  • 小説家の自分:熱心な聴衆の方の前で出されると脂汗を額ににじむ。シドロ、モドロ。自分のとたやり方を低い声で呟くしか能がない。おどおどしてくだらない話。
  • 本当の名医とは、この医者にかかったならば死んでもかまわないという心境に患者をさせる人。
  • ラ・ロシュフコーの本は買っておけ。人間観察。

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「名言との対話」10月31日。片岡健吉「こんなに元気に活動し 激務に励んでおられるのも 全く私の信じるイエス様の御恵みにて 日夜深く感謝している」

片岡 健吉(かたおか けんきち、天保14年12月26日1844年2月14日) - 明治36年(1903年10月31日)は、日本の武士土佐藩士)、政治家自由民権家衆議院議長を務めた。高知市出身。250石の土佐藩士の嫡男。1860年、乾退助(後の板垣退助)らとの無作法で謹慎処分。尊王論を主導。戊辰戦争では近衛隊総督の板垣退助のもとで会津若松攻略にで功をたてる。

維新後は、2年間のロンドン留学を含め新政府に出仕するが、征韓論をめぐり職を辞し高知に帰郷。1871年、板垣、植木枝盛らと立志社を創設し初代社長。1877年、立志社の獄で禁固刑を受ける。1879年、高知県会初代議長となるが、1か月後に辞任。1880年愛国者大会議長。国会期成同盟代表として元老院に請願書を提出するも不受理。

1885年、洗礼を受けプロテスタントとなる。1887年、保安条例違反での退去命令に従わず禁固刑。1890年、第1回衆議院選挙で当選。以後、第8回まで連続当選を果たす。1989年から死去までの5年間、衆議院議員をつとめた。

日本基督教高知協会の長老、東京YMCA第4代理事長、同志社第5代社長。

以上の経歴をみると、少年時代から7つ年上の板垣退助と行動を共にした人生であることがわかる。土佐藩士として戊辰戦争を戦い、維新後は自由民権家となった。

生涯を通じて、土佐藩での謹慎処分、明治に入ってからの禁固刑、そして2年6箇月に及ぶ禁固刑と3度の処分を受けていることでわかるように、激情の人であった。

また、晩年には衆議院議長をつとめるなど、「立憲政治の父」と呼ばれた人である。

必ずしも全国的、そして歴史的に名を残さずとも、この片岡健吉のように近代日本の礎となった人も多いのではないか。

因みに、明治以降の政治の世界で「父」と呼ばれた人を調べてみた。「DIAMOND・ハーバードビジネスレビュー」の「郷土の偉人研究会」の連載の中に「政界の父」という小論をみつけた。

板垣退助の「自由民権運動の父」、尾崎行雄の「日本議会政治の父」らが代表だが、地方にも「父」は多い。1871年廃藩置県で305府県が誕生し、合併を繰り返し1876年には38県となる。ところが地域性を無視していると、廃止された旧富山県、旧鳥取県、旧宮崎県などの県の再独立の分県運動が起こり、1888年には46府県に再編された。

この分県運動を主導した人たちもいた。「富山分権の父」米澤紋三郎、「宮崎の父」川越進、「奈良県設置の父」今村勤三、「香川分県の父」中野武営など。また沖縄においては、「沖縄復帰の父」仲吉良光などがいる。

日本近代の政治の世界は、以上のような人々の苦闘の歴史で彩られている。開国、明治維新、法曹、陸軍、海軍、殖産興業、文明開化など、それぞれに「父」がいて、801人が紹介されている。

高知の自由民権記念館に片岡の展示がある。片岡健吉は晩年にキリスト教徒となった。言葉が丁寧で、腰が低く、謙虚であり、高知教会では長老でありながら、こまごまとしたことまで熱心にやった。明治天皇は「片岡は人望があるなー」と感心したそうだ。何度も権力に逆らって、刑を受けた人とは思えないほどの変貌だ。

ここでは「立憲政治の父」と呼ばれた片岡健吉の、キリスト教徒としての言葉を掲げた。片岡は「儒教によって生きていた時に比べて 遙かに優って 力のあることを証明出来る」と続けている。信仰をもった人の強さを思った。