「図解塾」第6期26ーー「日本史の仕組みーー変革と情報の史観」の2回目。

「図解塾」第6期㉖。『梅棹忠夫著作集』第7巻「日本研究」の「日本史の仕組みーー変革と情報の史観」。

「世界経済と政治責任」「中世情報革命」「幻のベンガル湾海戦」「求心国家の辺境」の4項目。

塾生の発表と質疑と講義。以下、塾生の学び。

  • 本日もありがとうございました。今日もまさに目から鱗の落ちる話の連続でした。最も印象に残ったのは「中世情報革命」に出てきた「阿弥」でした。中世室町期に民衆の間でも惣や町衆といった集団ができ,その中のもめ事を解決するために法治主義が必要となった。そのために読み書きできることが必要で、そのような知識をもった外れ者が大量の情報伝達者となった。そして「踊る宗教」時宗の信徒となり従軍僧として各地に芸・まじない・医術を提供していった。時のヒエラルキーから自由であり、そういった外れ者が新しい時代の担い手となり、やがては秀吉や家康のような政治を担う者たちを生み出した、という全く知らなかった日本史の秘密。あと驚いたのは、もし徳川幕府鎖国をしていなかったら、当時海外進出を強めていった大英帝国ベンガル湾で戦っていたかもしれない、といった想像力。日本の中世史が面白くなりました。
  • 久恒先生、みなさま、本日の図解塾ありがとうございました。 今日は、梅棹忠夫日本研究の続き。「世界経済と政治責任」「中世情報革命」「幻のベンガル湾海戦」「求心国家の辺境」の4枚の図解で、梅棹文明学を学びました。一番印象に残ったのが、「中世情報革命」に登場する情報伝達者「阿弥」。中世室町期の時宗の信徒群とのことですが、芸能、文筆、学者、医者、宗教などの「情報」の担い手となっていたということでした。たしかに、能の観阿弥世阿弥や、書家・陶芸・茶人の本阿弥光悦なども名前に「阿弥」があり、これらの人々が、諸芸に秀でていたということがよく分かりました。驚いたのは、秀吉や家康も阿弥の出自との説がある(竹阿弥・徳阿弥)ようで、これは阿弥の担う「情報」が政界に進出したということ、さらに今日では、経済界にも広がっているという見立てで、とても面白いと思いました。また、「幻のベンガル湾海戦」は、もしも江戸時代に鎖国がなかりせば、ベンガル湾で英国と日本が一戦交えていたであろうという、壮大なスケールの話。さらに、「世界経済と政治責任」では、鎌倉時代の蒙古襲来の頃から現代にまで繋がる西日本政権と東日本政権の違い、「求心国家の辺境」では、鎖国の功罪と、松前藩薩摩藩などの知られざる貿易の話、など、一般に語られる歴史とは異なる視点と大きなスケールで、不思議と納得感ある内容でした。次回の日本研究もどのような視点で語られるのか、とても楽しみです。
  • 図解塾に参加させていただきました。久恒先生、皆様、ありがとうございました。今回は梅棹忠夫日本研究の①「世界経済と政治責任」②「中世情報革命」③「幻のベンガル湾海戦」④「求心国家の辺境」を図解にて学びました。私は、③「幻のベンガル湾海戦」を久恒先生の手書きの図から、図解を作成し説明し久恒先生に詳しく説明していただきました。私の印象に残ったことを述べさせていただきます。① 「世界経済と政治責任」について、13世紀のアジアとモンゴル帝国の勢力拡大、そしてそれを阻止した日本海鎌倉幕府の政治力(北条泰時)について学びました。日本が地理的影響や当時の政権によって国内秩序が強固に保たれ、独自の発展を遂げたことを理解することができました。地理的な要素と政治的な要素がどのように相互作用して歴史が形成されるかが理解できました。②  「中世情報革命」では、鎌倉期から室町時代への移行とその影響について学びました。物質的な豊かさから情報の時代へと移行する過程で、芸術家や医者、文筆家、宗教家などが評価されるようになったことは、現代社会にも通じると思いました。社会の価値観がどのように変化し、どのように社会全体を形成するかが理解できました。③ 「幻のベンガル湾海戦」は空想的なテーマでしたが、そのユニークな視点から日本や世界について新たな理解を深めることができました。これは、「もしも」の視点から歴史を考えることで、異なる可能性や視点を探求する大切さがよくわかりました。
    ④ 「求心国家の辺境」では、徳川政権が長く続いた理由やその影響力について学びました。特に薩摩琉球連合王国松前蝦夷王国などが独立しなかった背景は興味深かったです。これは、強固な中央集権体制がどのように地方の動向を制御し、国家全体を安定させるかが理解できました。これら4つのテーマは互いに関連しており、それぞれから得られた知識が全体像を形成することを実感しました。今回も興味深い内容ばかりで意見や感想を共有し楽しい時間を過ごすことができました。次回も楽しみにしております。
  • 『先生』と呼ばれる職業(芸能、芸術、文筆、学者、宗教家)…ヒエラルキーから独立した立場。一方『ヒトを束ねる』流れではうって変わり「権力化」への構図が変化。情報産業化。所有者、政治家が誕生(あっ、こちらも先生だった!)。(3)幻のベンガル湾開戦:16~17世紀の日本では交易が盛んでモノ・情報の多くが日本に入って来たが、江戸時代の鎖国により日本民族の海外進出を阻んだ。一方、同時代のイギリス(東インド会社)がベンガル湾(タイ・ビルマ)へ進出。もし日本に江戸の鎖国が無く、海外交易を続けていたら、航海技術・ビジネス能力が発達した日本人が操る艦船が遥かマラッカ海峡を越え、イギリス艦船との交戦が勃発(?)という『たられば』の空想。日本鎖国の功罪を考えると海外進出・成長機会を阻んだ罪が大きいだろう。(4)求心国家の辺境:300年続いた「徳川・江戸」政権では太平の世のもと庶民の国内旅行(お伊勢詣り等)は発達するも鎖国政策の中、個人の海外進出という選択肢は無かった。一方辺境の大名によるいわば「密貿易」は公然の事実として持続し、藩の財政を長らく支えたと言われている。島津は琉球支配下に置くが、同時に中国との主従関係を並行して維持しておりどちら付かず。一方蝦夷地ではアイヌがロシア・中国との交易を進めるも戊辰戦争では旧幕側の榎本武揚が独立を試みるも新政府軍に阻止され、いずれも失敗の憂き目を見ている。…4つのプレゼンを通して、①日本国内は各時代の将軍家が強い統制力を発揮し安定維持してきた歴史背景、②日本海で程よく大陸から隔離されており侵略から逃れられた地理的メリット、③鎖国については日本の造船・航海技術、貿易を支えるビジネス遂行能力の成長を著しく阻害してきた事。以上1枚の曼荼羅として全体的に理解できたことが本日の収穫となりました。有難うございました、次回も宜しくお願い致します。
 
、「久恒図解塾 変革と情報の史観7 日本史のしくみ 求心国家の辺境 民衆 遠心的エネルギの行先 日本 Nov. 2023 垣内 旅行家 徳川政権 (強烈な求心国家) 探検家 冒険家 大名 (遠心力の担い手) 遠心的エネルギーの圧殺 続出 出現せず 南 浮世 抜け穴 外領の 保有 新 い 求 心 海外には出ない 北 島津 琉球 (沖縄) 松前 蝦夷地 (アイヌ) 明 治 維 新 ! 世界貿易 中 心 ロシア 中国 薩摩·琉球 琉球 連合王国? 松前蝦夷王国 x 大明帝国との連携 日本から離脱 えのもとたけあき 複本武揚の新共相国」というテキストの画像のようです
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「名言との対話」11月1日。横井時敬「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」
横井 時敬 (よこい ときよし/じけい、 安政 7年 1月7日 ( 1860年 1月29日 ) - 1927年 11月1日 )は、 日本 の 農学者 ・ 農業経済学 者で、 東京帝国大学 教授・ 東京農業大学 初代学長。享年67。
熊本出身。父は吉田松陰(長州)や橋本佐内(福井)と交流のあった横井小楠の高弟で、厳しい教育を受けた。熊本洋学校を経て、駒場農学校農学本科(東大農学部)を首席卒業。福岡農学校教諭となり、1887年には27歳で初の著書『農業小学』を発刊した。31歳の福岡勧業試験場長時代に、種もみの塩水選種法を考案。1890年、井上馨農商務大臣に抜擢され、農商務省農務局第一課長。31歳、『重要作物塩水撰種法』を刊行。34歳で帝国大学農科大学教授。39歳、農学博士。41歳で『農業経済学』、44歳で『農学大全』を著す。
榎本武揚から苦境にあった東京農学校の経営を任され、東京農業大学へと昇格させた。51歳から没する67歳まで学長をつとめた。
横井の農学は、伝統農業の再評価と西洋農法の適用であり、近代農業発展に大きな貢献をした「近代農学の祖」である。後に、『横井博士全集』全10巻が刊行されている。
横井時敬は農業、農学、農学の徒に向けての独自の言葉を多くは放っており、後の世代にも大きな影響を与えている。
「一国の元気は中産階級にあり」「農民たる者は国民の模範的階級たるべきものと心得、武士道の相続性を以って自ら任じ、自重の心掛け肝要のこと」「土に立つ者は倒れず、土に活きる者は飢えず、土を護る者は滅びず」。農民こそが中産階級であり、その農民を激励するこれらの言葉は、農業に従事しようとする若者を励ましたであろう。
現在では6学部23学科を擁する東京農業大学の建学の精神は今も影響を与えている。横井時敬は、学祖となった榎本武揚の期待に応た。
「物質主義に溺れることなく心身共に健全で、いかなる逆境にも挫けない気骨と主体性の持ち主たれ」「紳士たれ」と檄を飛ばしている。そして鍛えた卒業生を出身地に戻す「人物を畑に還す」ことを主眼としている。
「稲のことは稲に聞け、農業のことは農民に聞け」という言葉は、横井の代表的名言となって人口に膾炙している。ビジネスマン時代に尊敬する上司に「迷ったら現場に行け」と言われたのと同じ精神だ。また「農学栄えて農業亡ぶ」は、学問の危険性を教えている。経営学者に経営はできないといった野田一夫先生の言葉を思い出した。いずれも「実学主義」としてまとめることができるだろう。
横井時敬は、日本の近代農業の祖であり、また人材育成の東京農大の礎をつくった人である。これらの言葉は、農業の方向と農民のあるべき姿を指し示している。建学以来の卒業生は全国で活躍している。横井時敬は父親仕込みの武士道の精神をもって、近代農業を立ち上げたのである。