以下の本を紹介した。地図と図解を中心の本の読み方のトライアル。
公文情報塾で対象となった『中東戦争全史』と『イスラエル』の読書会では、加えて『ダビデの星をみつめて』『梅棹忠夫著作集』第14巻を用いて臨んだ。読書の方法のトライアルの結果について述べる。
- 一般的に、著書にとって大事な箇所は「図解」を用いる傾向にある。本文よりも図解に情報を書き加えることで本質が見えてくる。
- 「中東」「イスラエル」の本は、図解の一種である「地図」の変遷で近年の経緯がわかる。「中東」では、著者の主張は最後に「図解」として登場している。ここは自分なりに納得できるまで理解する。その一般論を日本の現状などに当てはめて理解を深めることができる。
- 日本人が書いた「中東」に掲載されている地図と、米国在住のユダヤ人が書いた「イスラエル」に掲載されている地図は微妙に違い、相互補完の関係にあり、地図による認識がが豊かになる
- 二つの本の地図と図解には、自分で理解した簡単なコメントを加えることで、それぞれの地図の意味と変遷が理解できる。
- 対象の本以外の寺島実郎の本の中の「地図と図解」で、ユダヤ人の始祖から始まる歴史と、現在のイスラエルの聖墳墓教会の分割の様(ローマカトリックは1割。他は各国の正教が占めている)を確認できた。
- 次に私が描いた「梅棹忠夫著作集」の世界の宗教の「歴史と地理」の図解で中東とイスラエルを世界全体のなかで位置づけて相対化する。
- こういった作業と現在の世界情勢を考えて、自分なり問題意識と意見が浮上してくる。
- 永く迫害を受けてきたユダヤ民族の国・イスラエルがパレスチナをは強者として迫害している構図は、報復の連鎖を呼ぶことになるのではないか。自制が必要だ。
- 中東とウクライナの紛争や戦争が導火線となって、世界戦争にまで発展する恐れを感じる。停戦が必要だ。
- 以上のプロセスを経る中で、中東のイスラエルとアラブの根の深い問題を理解するための、自分なりの「骨格」ともいうべき基礎の土台ができた。
- 今後、この骨格に折に触れて出会う情報で「肉付け」していくことで、複雑で厄介な中東問題に関して、自分なりの見方ができてくることになるだろうという確信が生まれることになった。
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「名言との対話」3月28日。坂本龍一「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」
坂本 龍一 (さかもと りゅういち、Ryūichi Sakamoto、1952年〈昭和27年〉1月17日 - 2023年〈令和5年〉3月28日)は、日本の作曲家・編曲家・ピアニスト・音楽プロデューサー。
東京都出身。新宿高校から東京芸大で学ぶ。メンバーとなったYMO(イエローマ・ジック・オーケストラ)で成功をおさめる。そして、音楽の様々のジャンルを横断していく。
大島渚監督の『戦場のメリークリスマス』に出演するとともに音楽を担当し高い評価を得る。1989年の映画『ラストエンペラー』では日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、世界的音楽家となった。その後、1990年からはニューヨークを拠点に活躍し、世界のミュージックシーンをリードしていく。
坂本の活動は音楽を中心とする芸術分野にとどまらず、環境問題などに発言を重ね、3・11の復興への関与や、原発問題への発言を続けるなど、大きな影響力があった。
以下、1年前の亡くなった当時に坂本龍一の音楽を聴きながら、言葉をつづったことがある。
- もともと、自然の声を聞くということはアートの根源だと思います。(美術・音楽)
- 遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います。(知的生産)
- 日本だけで100万枚売るのは難しい。しかし10ヵ国で10万枚ずつ売れば100万枚だし、100ヵ国で1万枚ずつ売れて100万枚。これは不可能じゃないんじゃないかと、、(1990年からニューヨークに拠点)
- 僕は、やるからには常にうまくいくことしか考えていません。小心者というか、石橋を叩いても渡らないタイプだから、そもそも負ける喧嘩はしない。失敗の可能性がちらつくものには近づきません。(第6識)
- 映像で語りきれなことを、音楽で語らせる、という方法もある。(眼識と耳識)
- 曲を作ってからどの音楽をどの場面に入れるかのリストを作り、大島監督と突き合わせをしたらなんと99%一致していて、これですっかり自信がつきました。(「戦場のメリークリスマス」:大島渚監督から、俳優としてオファーを受けた。「音楽を任せてもらえるなら出演します」と答えたら、監督から快諾を得た。
以下、坂本の活動に触れたことから。
- 映画製作者で小説も書く川村元気が、各界の著名人にインタービューしたものをまとめた川村元気「仕事。」(集英社)を読むと、坂本は「下をみちゃいかん」と語っていた。
- 2023年の文芸春秋には、塩崎恭久・馬場憲治「革命同志・坂本龍一を偲ぶ」が掲載されていた。彼らは新宿高校の同級生だ。30歳の頃、坂本はYMO、馬場はベストセラー作家、塩崎は日銀からハーバード大学大学院留学中であり後に政治家となった。坂本は「何にでも素直に反応して、吸収し、新しいものを作り出すことができる人間だった」と彼らは語っている。
- 細野晴臣、坂本龍一とイエロー・マジック・オーケストラ(YMOを結成し、翌年伊波ワールドツアーを2度敢行するなど、このテクノ音楽グループは世界的大成功をおさめた。 私は音楽にうとくて、このグループの活躍は知っていたが、そのメッセージも、彼ら3人のこともよくは知らない。息子が音楽の世界いることもあり、細野の本を読んだり、坂本の音楽には少し触れた程度で、高橋につてはまったく知らなかった。
- 「細野晴臣、高橋幸宏 YMOを語る」、というユーチュブの動画をみた。細野は、改めてYMOの全曲を聴いてみたが、「ユキヒロのものだ」と発言している。それに対して、ドラマーであった高橋は謙虚に「太鼓持ちです」と応じている。高橋の作曲の曲に、2人が肉付けしたときに「一番YMOらしさが出る」というのが細野の述懐だった。
- 細野は坂本龍一との対談で、慎重な坂本に対してファーザー・コンプレックスだったと語っていた。坂本龍一はあるところで「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」と語っていた。この時、音楽も知的生産なのだと共感したことがある。
- 小泉文夫『日本の音 世界の中の日本音楽』(青土社)を読んだ。オビで坂本龍一は、「小泉文夫はぼくの音楽に対する態度に決定的に影響を与えた人です。実は音楽にとどまらず、あらゆる文化・人を公平に見るということを教えてくれた人です」とその早い死を惜しんでいる。
日本の政治状況ついても発言している。「基地、米軍、武力が必要なら日本人の全てが等しく背負うべきだ」「普通の人が口出すのが民主主義でしょ」「たかが電気のために命を危険に晒してはいけない」
「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」は闘病生活中の2022年7月から連載のタイトルだった。
坂本龍一の言葉からは、「遊びは結果を求めませんし、プロセス。僕が音楽を作るのもそんなプロセスが面白いから、、、子どもの遊びみたいに、何を作ろうとイメージするのではなく、いじっているうちに形になっていく。それが創作であり、僕にとって創作こそ遊びだと思います」を採ることにしよう。芸術的生産は、知的生産と同じだったのだ。70年を駆け抜けた同世代の坂本龍一という人物の視界の広さと深さに思いを馳せることにしよう。