「図解塾」:「梅棹忠夫著作集」第13巻「地球時代に生きる」

「図解塾」:「梅棹忠夫著作集」第13巻「地球時代に生きる」。

  • 塾生の近況報告。
  • 久恒の近況報告:「AIセミナー」「世界を知る力」「FM鎌倉」「池大雅」「名言との対話:西郷輝彦。田代博。大町陽一郎。小泉清子。船村徹」。「イコール創刊号」。

図解の発表

  • 国際紛争の理解のために」
  • 「もう一枚の文化地図がみえる」
  • 「もう一枚の文化地図がみえる②」

以下、塾生の学びから。

  • 久恒先生、皆様、おつかれさまです。本日、図解塾。冒頭の塾生近況シェアでは、「継続は『勢力』なり」のワードが印象的でした。①趣味の先生って良いよね、良い人柄が伺える。支える弟子の勢力。②超有名シンガーソングライターコンサート。むかしジョイントしたバックミュージシャンがサプライズ出演、「知ってる」観客はそれだけで総立ち、『あうん』で通じ合えた、その場の人々の勢い…。久恒先生近況では、1)寺島先生「世界を知る力」、『金の価格高騰』の話題では、具体的な事例や数字の『リアリティ』で見るものをひきつける。また俯瞰による全体構造と構成因子同士の関係という夫々の視点に基づく定点観測で変化を報じるスタイルは、毎回見ずにはいられなくなる構成、視聴者の3割は海外在住とか、支持する視聴者の『勢力』。2)FM鎌倉で番組に出演、インタビュアの事前の仕込みが秀逸だった。十分なリサーチから繰り出されるゲストへの「事前質問」はどれも『刺さるコトバ』で、楽しく出演できたとの事。番組スタッフの日頃の研鑽「継続」がチカラを発揮。頭が下がります。3)名言では「戦略」が共通テーマに。西郷輝彦(歌手・俳優):「ひとつの仕事に固執せず新しい分野への挑戦を継続」する生き様。田代博(地理学者):「道楽を仕事にしない」割り切り。小泉清子(着物研究家):「有名時代劇での衣装監修」が話題となり、経営する呉服チェーンは有名に。船村徹(作曲家):手掛けた曲は5,000を超し、弟子は300人、ここでも『勢力』がキーワード。平井和正(工学教授):京大山岳部で今西錦司梅棹忠夫の薫陶を受ける、羨ましき環境。4)雑誌『イコール』は5月創刊。図解塾・幸福塾として8ページ分が割り当てられた。企画書鋭意製作中。「日々漫然と過ごさず、新たな課題にチャレンジすること、記録を付けること、残し報告すること」久恒先生より激を頂きました。さて本題。梅棹文学『地球時代に生きる』のパワポ化。いつもの様に久恒先生お手書きの図メモを塾生がパワポに起こし解説、本日3件。③国際紛争の理解のために:かつて100年前の「帝国」が分裂し、「民族国家」へ。いま、言語、宗教、習慣といった「文化的伝統」が夫々国の背骨に。国際的に互いの相手との差異を知り・認めあう関係が大事、世界諸民族研究の蓄積が必要。④もう1枚の地図:「政治」「分化」「人種」様々な概念で国家が定義されている構図、そして歴史の流れの中で国が形を変えていくダイナミズム(ソ連、ユーゴ、東欧)…国境のない地図。⑤もう1枚の文化地図:「民族」、大戦後に民族国家が独立した…国境をはじめとする表面的な違いのみならず、相手との差異を理解・尊重し合う心の有り方、『これぞ文化』と解釈した次第です。今日は戦争・侵略といった歴史的側面および民族・人種の分布といった地理的側面、双方の切り口で世界を俯瞰できた事が学びとなりました。また一方でより良い相互理解の為には、更に教養を深める必要性に改めて気付かされました。おわりに久恒先生よりお話頂いた、「アメリカは『人種の坩堝』ではなく『サラダボール』である」という梅棹先生の言葉が非常に印象的でした、一様にマヨネーズで整っていても、決して溶け合うことなく、個々が存在を主張し合っている様子を仰ったとの事ですが、もはや現代では一つの器に幾つもの味付けが入り乱れた「とても食えないサラダ」ぶりで、あまりの的を得た表現につい笑ってしまい痛快でした。次回も新たな図メモが楽しみです。有難うございました。
  • 久恒先生、皆様、本日は図解塾ありがとうございました。前半の「名言との対話」の中で、きもの研究家 小泉清子の、女性起業家としてのひたむきさに感銘を受け、「凍りつく 道歩みつつ 創意湧く」という句が大変印象に残りました。ありがとうございました。
     本題の梅棹忠雄著作集は、第13巻『地球時代に生きる』の続き。「国際紛争の理解のために」「もう1枚の文化地図が見える」「もう1枚の文化地図が見える(2)」の3枚の図解を読み解きました。いずれも大きなテーマは「民族」でした。民族と言うと、「国」や「人種」と何が違うか、はっきりと意識していませんでしたが、それは同じ文化を共有していることがベースで、世界には、3000から4000の民族があるとのこと。まずその数に驚きました。世界の国の数は200位。多くの国が複数の民族を抱えているということがわかりました。そして、時代の流れとして、大国から民族独立の方向に動いており、世界で紛争が絶えないのも、そういったところに理由の1つがあるとのことで、大変納得がいきました。逆に国としてひとつに纏まるということは大変なことだと改めて思いました。次回は『地球時代に生きる』の後半。楽しみです。ありがとうございました。
  • 本日もありがとうございました。「地球時代に生きる」を学んで、「国家」ではなく「民族」という視点で世界を見るということがいかに大切かを知りました。全体のタイトルも国家(とりわけ大国と呼ばれる国々)の交流・連携にとどまる「国際時代」ではなく、一つの地球に存在する3000-4000の民族が共に生きるという「地球時代」という言葉を使っている意味がよく分かります。民族はそれぞれ独自の歴史・文化・言語をもっているのでどうしても摩擦や衝突が起きる、しかし世界大戦をはじめとして得た教訓をないがしろにしてはいけない。互いに独立した存在ではあるが、尊重し合い、共存を図らなければならない。たとえばEUのように経済や安全保障で連合体をつくる形が望ましいのではないか。その意味でEUは一つの実験といえるのではないか、そんなことを考えました。折しも、2月21日は「世界母語デー」という日だそうで、バングラデシュパキスタンから押しつけられた言語から母語を守るために命をかけて抵抗したとされています。日本は多民族ではない(単一でもない)のでそのような発想になれませんが、文化や言語の多様性を尊重することを考えなければいけないと思います。また、一つになれないのは国家に限らず、地方自治体の合併や、人間集団でも見られ、相似形であることに改めて気付かされました。次回以降も楽しみにしております。
  • 本日もありがとうございました。最初の『世界を知る力』の寺島さんのお話で戦争がお凝るかもしれないというキーワードがありましたが、今日の梅棹先生の国際紛争と民族との関係について、かかわりがありそうなことがわかりました。国と呼ばれた国が解体されたり、多数の民族がいる国の数に驚きました。似たような顔をしていても、それぞれの宗教とイデオロギーと掛け合わさって民族問題を超えることができないのではないか。という問題提起をされていて、そこを知るには、民族の知識を携えた旅が必要だということが、今回手描きの図解を清書してみてわかりました。学生のときは、昔話を聞いている感覚で歴史の授業を受けていたように思います。民族の問題は現在につながっているのだとわかっていたら、もう少し前のめりになって聞いていたかもしれません。
    戦争にはじまるいろいろなイヤなニュースが絶えませんが、民族や個の歴史から紐解いていく必要があるのを、今回の講義で再確認できました。民族問題をこえることはできないのではないかと梅棹先生もおっしゃってますが、少しでも解決方法があればよいなと思いました。 次回からもどうぞよろしくお願いいたします。
  • 久恒先生、みなさま、本日もありがとうございました。今日の図解は梅棹忠夫著作集第13巻「地球時代に生きる」の中から、「③国際紛争の理解のために」「④もう一枚の文化地図がみえる」「⑤もう一枚の文化地図がみえる2」の3つについて解説がありました。3つを通して書かれていたキーワードが「民族」。世界の国の数は200ほどなのに民族は3,000~4,000もあるとのこと。そして、国際紛争は宗教による争いというよりは民族独立の争いだということがよくわかりました。私は普段「民族」について意識することはありませんが、大阪には梅棹先生が創設された国立民族学博物館があり、そこへ行くと、各民族の文化に触れることができるので、たくさんあるんだと実感します。「民族とは何か」を説明するほど理解できていませんが、共通する生活様式や習慣を持った人々の集まりがその最小単位で、だから他と区別できるし、他を受け入れがたいものがあるのかなと思いました。現代社会は世界的に「多様性を尊重・重視する社会」を目指していますが、だからこそ民族国家を目指した争いが無くならないのかもしれません。 梅棹先生がおっしゃる「地球時代(地球の一体化)」はいつ訪れるのでしょう。奇しくも今年はみんぱく創設50年にあたりますから、「民族」についてもう少し意識するようにしたいと思います。引き続きよろしくお願いいたします。

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「名言との対話」2月21日。佐々木照雄「真の道を悟り 深くざんげし会い 世界平和を 心から 祈りましょう」

佐々木照雄(ささきてるお 1933年3月26日ー2023年2月21日)は、実業家。享年89。

広島市に本社を置く「オタフクソース株式会社」の創業者・佐々木清一の五男で1994年から1998年まで社長をつとめた。

1953年、お多福造酢入社。1969年、常務。1975年、オタフクソース常務。1979年、副社長。1994年、社長。1998年、副会長。

オタフクソース株式会社は濃厚な風味と高い粘度が特長の「お好み焼き」の用途に特化したソースを主力商品とし、その名前を冠した企業である。

お好み焼きのソースは、干したナツメヤシを原料としていることもあり、普通のソースとは違う味である。もともとは砂糖の代替品としてデーツを使い始めたのだが、健康にいいということで、ずっと使っている。

この会社はユニークな体質を持つ企業だ。

2006年からは、初級インストラクター、中級コーディネーター、上級マイスターの三段階からなる「お好み焼士」マイスター制度という社内▢制度を導入している。

2008年には、WoodEggお好み焼館を設けた。ここは広島名物なったお好み焼きの文化や歴史を紹介する施設である。

2018年には「OKOSTA(オコスタ)」というお好み焼き体験スタジオを開店している。

また「お好み焼・たこ焼研修センター」を各地に設け、お好み焼き店、たこ焼き店の支援をしている。

なずオタフクか。もともとは酒や醤油の卸小売りから出発した。その後の醸造酢を商うことになった。「人のお役にたちたい」という意味でつけたブランド名だ。戦後に広島の人空腹を満たす一銭洋食から始まって、自宅を一部改良してお好み焼きを提供するというスタイルが出てきた。広島は原爆で壊滅状態から再興に向かったのだが、この企業も原爆で全焼している。創業者の佐々木清一はお好み焼きのソースを提供する企業として、再建を図った。

オタフクソースの車内に設置されている「安碑銘」という石碑には「真の道を悟り 深くざんげし会い 世界平和を 心から 祈りましょう」という創業者・佐々木清一のメッセージが刻まれている。

広島という土地に根差した企業として、社員全員が平和と向きあうことを原点としているのだ。佐々木照雄の言葉は見つからなかったが、1969年に死去した創業者の父と一緒に汗を流して独特の企業文化を持つ地元企業を育てたのであろう。

お好み焼きのソースはたしかに独特だ。そして、そのソースを全国ブランドにまで高めたこの企業も実にユニークだ。このことを知ったうえで、お好み焼きを味わうことにしよう。そして、それを目的に広島を訪れたい。