高橋源一郎『歎異抄』の魅力ーー悪人正機説。慈悲。信・愛。この世。

カルチャーラジオ「高橋源一郎歎異抄』の魅力」が1月に4回にわけて放送されている。

「一億三千万人のための『歎異抄』」を土台にした講義である。親鸞の弟子の唯円が師の言葉を記した書。カタカナになっているのは、僕(高橋源一郎)独自の解釈であることを意味している。以下、第2回の講義から。

  • 悪人正機説:自分の中にある悪に気づかない善人でさえ、ゴクラクジョウド(極楽浄土)にオウジョウ(往生)できるとしたら、自分の悪を見つめて生きるしかない生まれついての悪人なら当然オウジョウできる。悪人は反省しているからジョウド(浄土)に近い存在だ。
  • 慈悲:情けをかけるジヒには二種類ある。聖堂の慈悲「ジョウドウのジヒ」と浄土の慈悲「ジョウドのジヒ」。一つは、自力(ジリキ)の宗派のジヒだ。「ジョウドウ」のジヒだ。ジヒとは憐れみをかけること。救われるべきものはこの世に無限にある。憐れな人々は次から次に絶え間なくあらわれる。人間に他人を救う力があるんだろうか。それが「ジリキ」の限界なのだ。他力の「ジョウド」のジヒはただ念仏をとなえる。無力さに思いを馳せながら阿弥陀仏に「南無阿弥陀仏」とただ祈る。
  • 信・愛:ホウネン(法然)のいうことを実行しているだけだ。ウソでもいい。騙されて地獄に堕ちてもいい。できないけど、だからやる。不可能だからやる。根拠はない。飛躍。信じる。愛だ。
  • この世:シンラン(親鸞)は「あの世」ではなく「この世」の話をしている。阿弥陀ではなく、ジョウドやゴクラクの存在でなく、ホウネンを信じている。裏切られてもいい。キリスト教と同じだ。これは師と弟子の関係だ。師を自分が信じている。自己責任。能動的。シンランがホウネンを信じているように、ユイエン(唯円)はシンランを信じている。それが救済。もう現世で救われている。世界宗教だ。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

SF大会@栃木

「名言との対話」1月16日。柴野拓美「SFはあなたのような若い人に支えていってもらわないといけません」
(しばの たくみ、1926年10月27日 - 2010年1月16日)は、日本のSF翻訳家SF作家であり、SF研究家である。享年83。

第四高等学校、東京工大卒。1951年から1977年まで都立小山台高校定時制)の教諭をつとめた。1957年、日本初のSFファングループ「宇宙塵」を創立し主宰者。同人誌「宇宙塵」の編集長。この同人誌からは星新一ら100人以上のSF作家を輩出している。アマチュア作家をプロに育てる才能でも有名な人である。

日本SFファンダム(SFファンの同好会)の父と呼ばれ、SFファンダム賞を創設した。この賞は後の1982年の柴野拓美記念・日本SFファンダム賞(略称:柴野章)になる。SFファン活動の功労者を顕彰している。

神奈川県二宮市に住んでいた。二宮ゆかりの人として顕彰されている。遺族からも多くのSF関連資料の寄贈が図書館に寄贈されている。「ゆかりの人」という考え方は参考になる。

著作活動が活発だ。小説4冊、評論7冊、編集・監修・共著10冊、そして翻訳は実に73冊を数え、合計で100冊に迫まる。主に翻訳で使った小隅 黎(こずみ れい)というペンネームは、コズミック・レイ(宇宙線)からとっている。SFを支える3つの柱は、怪奇幻想性、文明批判、フロンティア精神というのが柴野の考えだった。

1971年から2006年まで35年間にものした翻訳書の名前を眺めているだけで、ワクワクする。その中でも読みたいなと感じさせる書名をあげてみよう。

大宇宙の墓場。恐怖の疫病宇宙船。異次元の陥穽。原爆は誰でも作れる。インフェルノ. SF地獄篇。惑星メラーの魔薬。太陽系辺境空域 。中性子星。窒素固定世界。アシモフ博士の世界。未来からのホットライン。造物主の掟。ゼロ・ストーン. 2 (未踏星域をこえて)。タイムマシンの作り方 。時間泥棒。造物主の選択 。銀河パトロール隊。三惑星連合。

柴野拓美は2010年に83歳で永眠している。亡くなったときに、縁のあった人たちが偲んで思い出を語っているサイトをみつけた。人を育てる名人だったことがわかるエピソードが多くあり、生前の姿をほうふつとさせる。以下、追悼のつぶやきだ。

  • 柴野さんには2冊目のエッセイ集『とり・みきの大百科事典』を出したとき、わざわざお手紙をいただき(内容はともかく)文章というか文体についてお褒めの言葉をいただきました。これがどんなに嬉しいことであったか。
  • 「さかいさん、だから、いい加減にSF考証なんて仕事はやめて、翻訳をおやりなさい」と説教されて
  • 私は野田さんや柴野さんたち先達が我々にしてくれたように、若い世代にきちんと接してあげているだろうか。いかんなあ。
  • SFコンベンションで何度か席が隣になり声をかけていただいたことがあるだけなんだけど、右も左もわからない新米SFファンにとってそれがどれだけ励みになったことか。
  • 宇宙塵会員だった私の名前を覚えていてくださったのが嬉しかった。
  • 柴野さんも、こんなわけのわからん子どもの原稿をよく使ってくれたものだ。
  • 柴野さんがいたから、今のオレがある。
  • 初代のSF作家たちはみな、宇宙塵を経てデビューした。
  • 柴野さんがいなければSF大会はなく、SF大会がなければコミケもなかったろう。そう思うと今隆盛を極めている日本のサブカルチャーの非常に多くが、柴野さんからひろがったといえるんでないかな。
  • 学生時代の失礼なぼくにも優しい笑顔と抱擁力で接してくれたことを思い出します。
  • ファンも編集者も作家も対等に語り合うというSF界の気風は柴野さんが作ったような気がするなあ。
  • SFファンダムはどうなってしまうのか?
  • 日本のSFのSは柴野、Fは福島正実と言われていたこともありました。
  • 若者の育成も考えていきたいと思います。
  • 息子に「SFは読んでいますか?」と話しかけてくださり「SFはあなたのような若い人に支えていってもらわないといけません」と仰った。

このつぶやきの中で、自らを「かつて柴野拓美と呼ばれた残骸です」と言ったという書き込みがあった。目もほとんど見えず、耳も聞こえず、気胸でヒューヒューと苦しげに呼吸をしていたという目撃談だ。2006年に最後の翻訳書を出してから4年でなくなっているから、その間の時期だろうか。

柴野拓美が1957年に創刊したSF同人誌「宇宙塵」は2013年7月発行の204号で惜しまれながら終刊となった。柴野拓美という宇宙人がつくった偉大な雑誌「宇宙塵」は、半世紀以上の命があったのだ。「人の才能を育てる人」であった柴野が切り拓いたSFという分野には、数多くの人材が育っている。われわれはその楽しみを享受している。