2月1日「蜃気楼大学」(大学セミナーハウスin八王子)ーー私の「一日学長あいさつ」と知研グループの5つの講義

 蜃気楼大学2025 ~参加型社会学会による「講義フェス」

 

 
「蜃気楼」という「幻」が、「楼」となり、「宮」になっていく

久恒啓一(蜃気楼大学一日学長)

現在は全世代が力を発揮する、「全員参加型社会」へ向かう途上にあります。
2024年は世界人口80億人のうち半数の40億人が選挙の洗礼を受けました。1月の台湾総統選から始まり、最後はアメリカ大統領選で、新しい指導者があらわれています。あらゆる国々が新しい秩序への参加を模索しています。そして日本においても、衆院選にみられるように、様々な分野で、秩序の崩壊と新たな胎動がみられるようになってきました。社会を構成する「個人」が主役になっていく過渡期を迎えているのです。
「蜃気楼」は、暖かい空気と冷たい空気の境目に現れる、光の屈折によってみえるまぼろしです。司馬遷の『史記』に、「蜃」の吐く「気」によって、「楼」があらわれ、その気の広がりによって「宮」ができる。そういう記述があります。
未来というものは、この蜃気楼と同じように、初めはあやしげで、はかなく、まぼろしのような姿で登場するものでしょう。
蜃気楼大学は、現在と未来の間に一日だけ立ち上がる、理想の大学を目指す楼閣です。3年目を迎え、この大学は、充実し、まぼろし感が薄れてきました。
「蜃」とは伝説上の想像獣である「辰」のことであり、龍(竜)のことです。2024年は「辰年」である物事が動く変化の年といわれていわれており、実際そのとおりの展開でした。その象徴が、雑誌「イコール」の誕生です。
橘川『イコール』が年初から3号まで刊行され、年末には田原イコールも登場、そして今年は久恒イコールの刊行も予定されています。更にいくつかのコミュニティを中心とした「イコール」も続々と列に並ぶ勢いです。またこのイコールの周辺には、「ロコール」「ハコール」「ニコール」などの小さいけれど可能性に満ちた予備軍ののろしがあがっています。
「イコール」はしだいに高層の楼閣としての姿をあらわしてきました。周辺には小楼が点在し、未来特区的様相をおびた「宮」になっていくでしょう。
蜃気楼大学では「いきあたりばっちり」を標榜する未来世代中心の老若男女が織りなす参加者たちの幸福感あふれる熱気がさらに高まり、時代の最先端と最前線で躍動する「知」がさらに雄々しく前進するでしょう。未来を創る流れを一緒に創っていきましょう!

蜃気楼大学2025 ~参加型社会学会による「講義フェス」

全体像、詳細は、上記をクリックしてください。

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知研グループは「交友館A」を貸し切って5つの講義を行います。

交友館A

コマ
発表内容/講師
D1
図解塾 図解「JAPAN」プロジェクト
 図解「日本文化」/深谷康雄

D2
「新・代表的日本人」シリーズ
/都築功 
D3
福祉図解塾
「福祉の仕事」「こども白書」
/信田力哉 
D4
アクティブ・シニア革命/久恒啓一 
D5
「知的生産としての映画」
<アラフイフ→アラカン(シニア世代)
の自主制作映画づくり>
/力丸萠樹
図解塾 図解「JAPAN」プロジェクト 
図解「日本文化」
 
 
深谷康雄
NPO法人知的生産の技術研究会
幹事
 
 
「新・代表的日本人」シリーズ
都築 功
NPO法人知的生産の技術研究会
事務局長
 
 
福祉図解塾
「福祉の仕事」
「こども白書」
信田 力哉(NOBUTA RIKIYA
相模原市児童相談所 
担当課長
 
 
アクティブ・シニア革命
久恒啓一
NPO法人知的生産の技術研究会
理事長。
「アクティブ・シニ革命」
編集長。
多摩大学名誉教授。
 
 
「知的生産としての映画」
<アラフイフ→アラカン
(シニア世代)の
自主制作映画づくり>
力丸萠樹
ストーリー・デザイナー、
イラストレーター、デザイナー、
大学講師、
インディーズ映画監督
 
 

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【名勝負列伝 4】小林繁 因縁古巣と初対決で魂のG倒 「江川事件」で屈辱トレード/阪神タイガース/デイリースポーツ online

「名言との対話」1月17日。小林繁「人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするな」

小林 繁(こばやし しげる1952年11月14日 - 2010年1月17日)は、プロ野球選手投手)、プロ野球コーチ。享年57。

ノンプロを経て、1972年に巨人に入団。1976年年、1977年に連続18勝をあげ最優秀投手となり長島巨人の優勝に貢献。1979 年、江川卓との電撃トレードで阪神に移籍し22勝で最多勝投手。1977年と1979年には沢村賞。11年間のプロ野球生活で、139勝95敗17セーブ。

巨人との契約時には「プロである以上、実力は金銭でしか算定されない」との考えで、当時の制限最高額である1000万円の契約金を要求。900万の契約金と、1年目に1勝すれば100万円を加えるという条件を勝ち取った。以後、この精神で球界で生きていった。

巨人が「空白の一日」を使って江川卓を獲得するために犠牲になって、阪神にトレードされて大きな話題になったのが小林繁である。野球協約では入団交渉はドラフト会議当日から翌年のドラフト会議の前々日となっていた。巨人はドラフト会議の前日に江川と入団契約を交わす。セ・リーグ会長は認めなかったが、巨人はドラフト会議をボイコット。ドラフト会議では阪神が江川との交渉権を獲得するが巨人は江川の地位保全東京地裁に行い、日本プロ野球機構を脱退し新リーグ設立に動く。機構の金子コミッショナーは「江川には一度阪神と入団契約を交わしてもらい、その後すぐに巨人にトレードさせる形での解決を望む」と強い要望を出し期限を1979年1月31日とした。その1月31日に小林はトレードを通告される。この日が運命の一日となった。

球界の盟主、紳士たれがモットーの巨人が禁じ手を使ったのだ。「野球を捨てる覚悟」で対応した26歳の小林は、悪役・江川とは対照的に一夜にして悲劇のヒーローになった。この事件は毎日のようにマスコミに出て、国民的事件だった。

阪神の江本投手は「3本のハリガネを1本の束にしてより上げ、ハガネにし、さらにそのハリガネを束にしたような筋肉」と、著書『プロ野球を10倍楽しく見る方法』に書いている。小林は強靭な精神力で気迫で投げる投手だった。事件の翌年から小林は巨人戦で8連勝をかざっている。3つ年下の江川の生涯成績は9年間で135勝72敗3セーブ。江川は後に「自分は小林を抜くことができなかった」とコメントしている。

引退後は野球解説者、ニュースキャスターなどを経て、いくつかの球団の投手コーチなどを歴任している。2007年秋に黄桜のCMで互いに50代の大人になっていた二人が共演し「空白の一日」について語り合って話題になった。久しぶりにその映像をみて、この事件に翻弄された二人の人生を想った。

長い人生では勝負する時が何度かある。それはチャンスと危機が同時にみえる時だ。恐怖に負けて見送るか、乾坤一擲の勇気を出して飛び出すか。天に向かうか、谷底に落ちるかは分からない。それが運命の分かれ目になる。小林繁から学ぶことは、好球を見送って三振を宣言されるようなことはしないで、「思い切りバットを振れ」である。

参考:小林繁『男はいつも淋しいヒーロー』(プロメテウス出版社)

男はいつも淋しいヒーロー (エンターテイメントシリーズ)

男はいつも淋しいヒーロー (エンターテイメントシリーズ)