「大遺言書」シリーズ(語り森繁久彌・文久世光彦)を読むという贅沢

不思議な書である。

森繁久彌が「語り」、久世光彦が「文」を書いたという形の本である。インタビューでもなければ、共著でもない。確かに久世光彦の文章なのだが、この二人の位置関係は、表紙や奥付で久世光彦の名前がほんの少しだけ下がっているところに現れているとも見える。この微妙な配慮がいい。
「大遺言書」「今さらながら 大遺言書」「「さらば 大遺言書」という連作をここ二日間で読み切った。
大遺言書
今さらながら 大遺言書
さらば 大遺言書
週刊新潮」で2002年5月2日・9日号から始まった「大遺言書」の連載は、2006年3月まで続いた。卒寿を越えた森繁と、二まわりほど若い久世のどちらかが亡くなるまで続けるという約束だったが、2006年3月2日の久世光彦の逝去によりこの人気連載も終了している。そして、その森繁久彌も、今年2009年11月10日に96歳で大往生を遂げる。

森繁の自宅に久世が伺い、健啖家の森繁の相手を務めながら、森繁久彌という大いなる人物の回想を聞き出していう。そしてその時の様子や感じたこと、思い出したこと、そして森繁久彌という人物の陰影などが生涯の師匠と仰ぐ久世光彦の名文で記されていく。久世の慨嘆、感銘、感想、感慨などもいい。これは、晩年の生き様を描いた書でもあり、人生の書でもある。読者は、森繁久彌という国民的俳優の目を通して、歴史と人間を深く味わうことができる。

毎週原稿用紙7.5枚を4年近く書き続けたことになるが、互いの生涯を賭けた対話であったという印象を持った。書いた久世にとっても、書かれた森繁にとっても至福の時間だったと思う。

森繁久彌という俳優は、俳優としての実力は群を抜いているが、その土台は豊かな教養に裏打ちされていると思わずにはいられない。鋭い批評眼、本質をとらえる矢のような言葉などを読むと、優れた文化人であったという思いを強くする。

若い頃の森繁久彌は、やや軽い顔をしているが、だんだん顔が良くなって、晩年になるほど「いい顔」になっている。俳優という職業に命を懸けて少しづつ内容が磨かれていったということなのだろうか。

  • このごろの文芸作品にリズムと品格がないのは、作家に漢学あるいは漢詩の素養がないからだと森繁さんは言う。
  • 長生きするということは、人と一人また一人と、別れてゆくことです。、、、この年になると、悲しいというのと違う。−−辛い
  • 私にしてみれば、どの人も夭折です。
  • いつだって、人の世の主役は人間ではなく、歳月です。
  • 人と人との間は、どんな親しい仲でも、薄氷を踏んでいるようなものです。
  • (今日もインタビューは歌で終わる。)
  • 女優の華と人生とは、反比例の関係にあるんでしょうかねえ。因果なことです。
  • 役者というものは、長火鉢一つで、人生をすべて表現しなければならないと言っても、言い過ぎではありません。
  • 映画や芝居を見て学ぶということは、まあ、ありません。実際の人生の方が、はるかに可笑しいし、切ない。
  • 味に贅沢なこの国に生まれて幸福でした、。
  • 勝(新太郎)は私との二時間ばかりの放談の場を、一つの「芸」の場にしようとしているんです。あのときの「殺気」を思い出すと、今でも鳥肌が立ちます。
  • 芝居の仕事は、私の「真剣な遊び」です。
  • 懸命に働きはしましたが、やっぱり運です。
  • 正直言うと、私は自分の映画のほとんどを、恥ずかしいから見ていないのです。
  • (森繁さんは夜が更けて眠たくなるころになると、天眼鏡で「広辞苑」を眺めているのだというのだ。)
  • 三割隠すところにこそ、「芝居」の真実はあるのです。
  • 私は「小学唱歌」は、西欧の国で言えば「賛美歌」だと思います。
  • 「小学唱歌」や「文部省唱歌」には、いまとやかく言われている「歴史観」や「国家観」や「国の心」とかいうものが、全て柔らかで優しい形で含まれています。

向田邦子、松山英太郎、樹木希林など森繁久彌が愛した才能などの話も興味深い。