西新宿の天津飯店で知研のミーティング

西新宿の天津飯店で知研のミーティング。
八木会長、久恒理事長、小林前事務局長、福島事務局長。

八木さんは85歳。36年のお付き合い、といいうことは当時の八木さんは49歳だったのだ。ずいぶんと若かったのだ。
八木さんとの出会いが、私の人生の方向を変えた。

「名言との対話」8月12日。坂本九

  • 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 思い出す春の日 一人ぼっちの夜 上を向いて歩こう にじんだ星の数を数えて 思い出す夏の日 一人ぼっちの夜 幸せは雲の上に 幸せは空の上に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜、思い出す秋の日 一人ぼっちの夜 悲しみは星のかげに 悲しみは月のかげに 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜 一人ぼっちの夜」
    • 坂本 九(1941年12月10日 - 1985年8月12日)は日本の俳優・タレント・歌手・司会者。愛称は九ちゃん(きゅうちゃん)。「上を向いて歩こう」や「見上げてごらん夜の星を」、「明日があるさ」など数多くのヒット曲を出し、全世界におけるレコードの売上は1500万枚以上に達した。また、映画や舞台の俳優、テレビ番組の司会など活動は多岐に渡り活動していたが、1985年(昭和60年)8月12日の日本航空123便墜落事故に巻き込まれて急逝した。
    • 永六輔作詞・中村八大作曲・坂本九歌の、日本が生んだ世界的大ヒットである。1961年に発表され、「SUKIYAKI」と命名されて1963年にはビルボードランキングで1位になり、それが3週続いた。翌年にはアメリカで100万枚に達し、ゴールドディスクをもらうという栄誉をもらう。こういう歌は日本からはその後も出ていない。空前絶後の出来事だった。現在この歌は70ケ国で歌われている。
    • 上を向いて歩こう」は、1985年の日航機事故で坂本九が亡くなった後も日本人に愛されて歌い継がれてきた。そして2004年の台風23号による水害でバスの屋根で一晩過ごした乗客がこの歌を歌って互いに励まし合うという事件も起こる。2011年の東日本大震災でも、復興の歌として毎月3月11日に全国でこの歌を歌う運動が続いている。不思議な力を持った歌だ。
    • 中村八大は、私の母の幼馴染である。青島では同じビルの1階に住んでいてよく遊んでいた。「八ちゃんは、ピアノの天才で足でピアノを弾けた」という。私も子供の頃、八大さんが中津でコンサートをやったときに会ったことがある。永六輔さんは、日航の広報部にいた時に仕事で何度も会っている。その時に中村八大さんとの縁をお話したら、興味深く聞いてきれた。会いに行こうと思っているうちに八大さんは亡くなってしまった。坂本九さんには会ったことはないが、1985年の御巣鷹山日航機の事故で奥様の柏木由紀子さんのお世話を同僚がするのを見ていた。
    • 歌は人の心を動かす。コンサートやテレビ番組をみるとその思いを強くする。剣よりもペンは強く、そのペンよりも歌は強く人の心に訴える。九ちゃんの「上を向いて歩こう」は、数ある歌の中でももっとも大きな影響を長く与え続けてきた歌の一つである。8月12日を迎えるたびに、渦中にいた私もその思いを強くする。あれから31年。