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沖縄那覇へ。琉球新報を訪問。

自宅から羽田空港へ。そして同行の八木哲郎さんと高橋茂人さんと落ち合う。
そして、羽田空港から、台風一過の沖縄の那覇空港へ。

時間が長いので、本1冊とオーディブル2冊を読了。

  • 「なぜ水素で細胞から若返るのか」(辻直樹。PHP新書)。

なぜ水素で細胞から若返るのか (PHP新書)

なぜ水素で細胞から若返るのか (PHP新書)

那覇空港で、マーケティングコンサルタントの伊敷豊さんを紹介される。

琉球新報本社。
NPO法人知的生産の技術研究会の沖縄支部発足と明日の私の講演内容について、取材を1時間受ける。
潮平芳和取締役と経済部の吉田健一記者。
昨日はラジオで伊敷さんのPR、そして本日は琉球新報の朝刊の「ネットワーク」欄できちんと紹介されていた。

夕食は首里城近くの沖縄料理のモダンな店で摂った。
若い、おしゃれなカップルが多い。
知研のこと、沖縄のことを中心に、泡盛を飲みながら歓談。

二次会は明日の夜の懇親会の店。
著名人がおとずれる歴史のある店。
尾道からバイク旅行に来ている若者も交えて歓談。


「名言との対話」9月2日。岡倉天心

  • 「歴史の中に未来の秘密がある」
    • 岡倉 天心(1863年2月14日(文久2年12月26日) - 1913年(大正2年)9月2日)は、日本の思想家、文人。本名は岡倉覚三(かくぞう)。東京開成所(現:東京大学)に入学。政治学、理財学を学ぶ。幼少期から英語に親しんでいたのをきっかけに東京開成所在学中に講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、美術品収集と日本美術の調査を行い美術の道に入る。
    • 「いたずらに古人に模倣すれば必ず滅ぶ。系統を守りて進み、従来のものを研究して、一歩を進めんことを勉むべし。西洋画、よろしく参考すべし。しかれども、自ら主となり進歩せんことを。」という天心は同時代の芸術家たちに大きな影響を与えた。
    • 平櫛田中の回想では、彫刻家たちが作品が売れないと苦しさを訴えたとき、岡倉天心は「諸君は売れるようなものをお作りになるから売れません。売れないものをお作りなさい。必ず売れます」と言われている。
    • 日本画小林古径は、天心からは「モットモット高い所、結局信貴山縁起位まで遡って標準を置いて見よ」と指導を受け、「絵というものの大義」を教えられて、一生の信条となった。
    • 天心が行った柄の大きな活動は、欧米の模倣に終始するかぎり真の芸術はうまれない。足もとを掘り返そう、日本独自の種子を見出してそれを育成しようという運動であった。
    • 天心が著した「東洋の理想」などをみると、歴史と地理の中に対象をおいて、その位置と意味を明らかにしていくという方法を用い、絢爛たる言葉を縦横に駆使しアジテーションしていくという文章である。
    • 「変化こそ唯一の永遠である。」
    • 「内からの勝利か、さもなくば外からの圧倒的な死か。」
    • 「私たち日本人の住居、習慣、衣服や料理、陶磁器、漆器、絵画、そして文学にいたるまで、すべて茶道の影響を受けていないものはない。日本文化を学ぼうとするなら茶道の存在を知らずにはすまされない。」
    • 「ある時代なり流派なりの凡庸な産物をいくらたくさん集めるよりも、ただひとつの傑作に接する方がより多くのことを教えてくれる。」
    • 帝大の卒業論文で政治に関する論考を書き上げたのだが、当時同棲していた女性が怒って火に焚べてしまう。困った天心は、急いで趣味であった美術に関する論文をまとめ卒業する。そのことで文部省に入る。それが日本美術の復興につながっていく。こういうことがなかったら、日本美術は完全に衰亡していただろう。その天心は冒頭の言葉のように、歴史を見つめよという。歴史と断絶した未来はない。どのような分野においても、復活は過去の歴史を見つめることで達成されるのだ。