「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」(世田谷美術館)

世田谷美術館で開催中の「花森安治の仕事 デザインする手、編集長の眼」をみてきた

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 2016年のNHK連続テレビ小説とと姉ちゃん」に登場する花森安治(1911-1978年)は、「暮らしの手帖」という前代未聞の雑誌を成功させ、戦後の日本女性の暮らしを変えた。

花森は、絵も写真も文章も達人で、挿絵も挿画もレイアウトも、すべて超一流だった。

創刊号以来、この雑誌の表紙は153号まで、パステル画、油絵b、水彩画、写真などですべて手がけた。自身はアーチスト(芸術家)ではなく、アルチザン(職人)と語っていた。

 

企画展で、花森の名編集長としての仕事を概観して、改めてこの人の志を思った。

二等兵としての満州体験、その後の20代後半から30前半にかけての大政翼賛会実践局宣伝部、文化動員部副部長としての仕事ぶりについては語ることがなかった。「仕事のできる目立つ」「なにをやらしても、できる」「朝から晩まで、仕事してる」人であった。戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」「買はないで、すませる工夫」「この一戦、何がなんでもやり抜くぞ」「家庭も小さな鉱山だ 鉄・銅製品を総動員!」など、すぐれた宣伝物をつくったのではないか。その体験と反省を踏まえて、贖罪の意味もあり「暮らしの手帖」に没頭したのではないか。

 

読売文学賞を受賞した「一銭五厘の旗」には、その思いが綴られている。

一銭五厘とは赤紙召集令状のはがきのコストである。私も父から兵隊のときに「お前たちは一銭五厘だ」と言われたと述懐していたのを聴いている

暮らしを犠牲にしてまで守るもの、戦うものは何もなかったのである。

「武器を捨てよう」では、「世界中の国が、いっさいの武器を捨てて、その金を、もっとほかのことに使ったら、ぼくたちの暮らしは、確かによくなる。ずっと軽くなる」

「だれが草案を作ったって、よければ、それでいいではないか。単なる理想なら、全力をあげて、これを現実にしようではなういか。全世界に向かって、武器を捨てよう、といいうことができるのは、日本だけである。日本は、それをいう権利がある。日本には、それをいわなければならぬ義務がある」

「国をまもるということ」では、「なぜくには守らなければならないか、、。いったいくいとはなんだろうか。、、、くにというのは、具体的にいうと、政府であり、国会である。、、なにかをしてくれているという実感を持てるような、そんな政治や行政をやって欲しい、、、」

 

「暮らしの手帖」の取り上げたテーマは多岐にわたっている。アイロン、鉛筆、カメラ、クレパス、マッチ、ミシン、やかん、洋服ブラシ、扇風機、中性洗剤、電気あんか、石油ストーブ、くず箱、、、、。主婦の立場に立った「商品テスト」が特色である。

クレヨンとパスの色の検証では、梅原龍三郎小磯良平三岸節子などそうそうたる画家が動員されている。

バス団地、路地裏の保育所、火事をテストする、などその着眼がいい。

 

創刊以来、広告を一切入れず、やがて発行100万部に迫るまで成長した「暮らしの手帖」。

「広告をのせることで、スポンサーの圧力がかかる。それは絶対に困るからである。」「一つの主張があり、一つの志がある」

「美しいものはいつの世でも お金やヒマとは関係がない みがかれや感覚と まいにちの暮らしの、しっかりした眼と、そして絶えず努力する手だけが、一番美しいものをいつも作りあげる」

 「文章はことばの建築だ。だから本は釘でしっかりとめなくてはならない」と装釘ということばを好んだ。

 

「名言との対話」。2月13日「。河合栄治郎「職業にあるものは多かれ少なかれ、分業の害悪をなめねばならない。彼は一生を通じて細かに切り刻まれた仕事に没頭して、一部分としてしか成長し得ない危険に瀕する」

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。

河合は帝大卒業後、農商務省に入る。第1回ILO会議に対する日本政府案を起草したが、上司と対立し退官する。これに際して朝日新聞に「官を辞するに際して」と題して公開状を発表する。その結びは「官吏生活と云うものは決して若い青年の踏むべき路では無いと云う事である」であった。門下生には官途につくことを決して勧めなかった。

東大では社会政策を担当。「帝大新聞」に「二・二六事件の批判」を発表する。反マルキシズムと同時に反ファシズムの立場で著書を刊行。右翼勢力の圧迫を受けて、東大教授休職を命ぜられ起訴され最終的に有罪となる。

理想主義者、人格主義者、教養主義者にして自由主義者であった河合は戦後忘れられたが、。その河合は分業による職業生活の危険性を語っている。分業とは専門化のことである。全体的視野の喪失を指摘している。現代社会での分業化は避けられないが、専門を持った上で、全体観を常に意識することが重要であろう。

 

「副学長日誌・志塾の風・170213」

この2日間で、執筆中の「名言との対話」(命日編)の赤入れの修正作業を終えたので、研究室まで届けた。秘書の近藤さんに、明日以降修正をお願いする。