土屋文明文学館。草津ベルツ記念館。

 

群馬県土屋文明文学館を5年ぶりに再訪。

 青木上に 榛名を 永久の幻に 出でて帰らぬ 我のみにあらじ

70歳で詠んだ歌。事情があり故郷に帰れなかった文明の哀しみが現れた歌だ。 

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 群馬町生まれの山村暮鳥の「風景」。

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ガイドの関根緑さんと。90歳の元教師。あまりの元気さに驚く。終わってお茶を一緒にいただく。 

土屋文明は、生涯の転機に、常にいい人に出会っている。

土屋文明のテーマは万葉集研究だった。文献研究とフィールドワーク。

昭和61年の文化勲章は同郷の中曽根総理からもらっている。96歳。

土屋文明は100歳で天寿を全うしている。

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 土屋文明は選者として「生活の真実の表現がなされた歌」を取り上げた。

文明は歌人としてよりも、選歌者として自信があった。

「短歌は生活そのものである」

茣蓙(ござ)の上ぼ吾をあはれと人や」みる背骨いたむまで選歌つづけて

長江は青き園はらに一筋に最も西は天に開かれり(中国)

恙なくか帰るを待つと送る君に否まず肯はず行きし君はも(51歳)

足も引かず六十六になりぬればなほ六十年生きる気がする

相共に九十年をめざしつつ早くも君はたふれ給うか

終わりなき時に入らむに束の間の後先ありや有りてかなしむ

 

草津の「ベルツ記念館」。

 エルウィン・フォン・ベルツは、日本近代医学の父。

草津温泉を有名にした人。妻は日本婦人の花。24歳の年齢差。

27歳で来日、29年間滞日。

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 ベルツは、明治25年東京帝国大学名誉教授。明治38年勲一等旭日大綬章。伊藤

博文ら明治の元勲と親交があった。

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「名言との対話」テニスン「自分に対する尊敬、自分についての知識、自分に対する抑制、この三つだけが人生を導き、生活に絶対の力をもたらす」

初代テニスン男爵アルフレッド・テニスンAlfred Tennyson, 1st Baron Tennyson, 1809年8月6日 - 1892年10月6日)は、ヴィクトリア朝時代のイギリスの詩人。美しい措辞と韻律を持ち、日本でも愛読された。

1842年『Poems by Alfred Tennyson』で名をなし1845年に年金を授与された。1847年叙事詩『The Princess』を発表し、1850年ウィリアム・ワーズワースの後継者として桂冠詩人となった。この年に結婚している。1855年『Maud』、1859~64年にかけてアーサー王伝説に取材した『国王牧歌』や、哀れな水夫の物語詩『イノック・アーデン Enoch Arden』(1864年)、『Locksley Hall Sixty Years After』(1886年)を発表し、1884年にはテニスン男爵に叙せられた。詩人であるだけに、言葉がいい。

一人の敵も作らぬ人は、一人の友も作れない。

・男というものはどんなに違いがあってもせいぜい天と地の差だ。だが女というものは、一番良い女と一番悪い女の差は天国と地獄ほどの違いがある。

・希望がが人間をつくる。大いなる希望を持て。

・あまりに多様な世界、あまりに多い成すべきこと、あまりに少ない成し遂げたこと。

私はこれまで会ったすべての人の一部分だ。」。これは先日105歳で天寿を全うされた日野原重明先生が好きだった言葉である。

自分への尊敬と知識と抑制。つまり自分をよく知り、自分を大事にせよということだろう。それが人生を航海するための分かりやすい羅針盤だ。