以下、センテナリアンたちの言葉。
・世の中に「?」と「!」が両方あれば、ほかにはもう、何もいらないのじゃないでしょうかね?(まど・みちお。詩人。104歳)
・自分は世界で唯一の貴重な存在なんだと考えることが大切なんです。(新藤兼人。映画監督。100歳)
・うまい!(斉藤茂太。精神科医。90歳)
・生きるということは、身も心も忙しく働かせるということなのですね。(飯田深雪。アートフラワー創始者。103歳)
・いつも一歩下がって自分をきびしい目でまだまだだめと言っていませんとね。(山田五十鈴。女優。95歳)
・もうひとつ向こう側に何かある気がする。(中川一弥。挿絵画家。104歳)
・「もうお前いいよ」と富士山が言ってくれるまで描き続けます。(片岡球子。日本画か。103歳)
・自分のいるところから見えるものを、自分のもつ方法で書くという態度は、変らずにきたつもりである。(吉田秀和。音楽評論家。98歳)
・鏡が私のお師匠さんなんです。(武原はん。日本舞踏家。95歳)
・真に人の心をゆすぶることの出来る作者の身柄というもの、素人玄人を優に脱落したズブの「人間」それ自身でなければなるまい。(永田耕衣。俳人。97歳)
・平和な仲のよい夫婦ほどお互いにむずかしい努力をしあっているbのだ、ということを見過ごしてはならないのです。(野上弥生子。作歌。99歳)
・なるべく菜食。感触は一切しない。いつでも腹の中は風が吹いているように軽い。(宇野千代。作歌。98歳)
・ともに喜ぶと喜びは二倍になる。ともに哀しむと悲しみは半分にな。(日野原重明。105歳)
・長生きをするためには、まず第一に退屈しないことだと思うの。僕なんか毎日が忙しくて大変ですよ。本当に死んでるヒマなんかありませんよ。(物集高量。作歌。106歳)
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文藝春秋9月号に、柳田邦男が、「追悼 日野原先生から学んだ「生と死」を書いている。そこから日野原語録を拾ってみる。
・すばらしい言葉に出会ったら、必ず原典に当たり、その人物と文脈を理解するようにすると、好きな文句は必要な時にすっと出てくるものです
・いくつのなっても創めることを忘れない。
・年をとること自体が未知の世界に一歩ずつ足を踏み入れていくこと。こんな楽しい冒険はない。
医療についての言葉。
・医師もまた言葉を使う人である。(ソクラテス)
・看護師たる者は、いまだ経験していないことであっても、それを感知する資質を持たなければならない。(ナイチンゲール)
「名言との対話」8月13日。横井小楠「人必死の地に入れば、心必ず決す」
横井 小楠(よこい しょうなん)は、日本の武士(熊本藩士)、儒学者。
東の佐久間象山(1811−1864)と西の横井小楠(1809−1869)と呼ばれた横井小楠は、勝海舟、吉田松陰、橋本左内、由利公正、木戸、岩倉、森有礼、坂本龍馬、高杉晋作など、新時代を創った人々の先生格だった。坂本龍馬より26歳、高杉より30歳年上である。
海舟は「天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南州とだ」「横井の思想を、西郷の手で行われたら、もはやそれまでだ、、、」と危惧していたが、実際の歴史はそうなった。
「政治は、万民のためを判断基準とする王道を歩むべきで、権謀術数による覇道を排すべきだ」と小楠は言った。そして「国是三論」で富国の道を説いた。そこでは武士は商人と公僕の姿をしていた。
横井は幕府や新政府への提言が容れられるなど中央で活躍したが、地元・肥後では跳ね上がりものとして危険視されていた。最後は維新の元勲たちと並んで新政府の参与に登るが、地元では酒癖も尋常ではなくきわめて評判が悪く、記念館が建ったのはやっと昭和57年である。その酒癖が悪かった小楠がつくった熊本の小楠堂の掟の中に「酒禁制の事」とあったのは愉快だった。
選択の余地があると人は迷う。得失を頭で考えて結論が出ない。この道しかない、とハラをくくると迷いは消える。