2017年度第2回研究開発機構評議員会

2017年度第2回研究開発機構評議員会を九段サテライトで開催。

私は研究開発機構長として議長役。今回は中間報告と全学(学部・大学院を含む)の情報交換会。

審議事項

・ルール形成戦略研究所人事:客員教授。副所長。

報告事項

多摩大学総合研究所:大いなる多摩学会。昭島市。多摩大出版会。2017年度事業進捗状況報告。

多摩大学情報社会研究所:LINE。ニトリ

多摩大学医療・介護ソリューション研究所:アジアヘルスケア戦略研究会。日本ドラッカー学会医療介護部会。カネカ。医療介政策ニュース。『医療危機:高齢社会とイノベーション』(中公新書)など出版。

多摩大学ルール形成研究所

その他

・2018年度事業計画スケジュール:2月9日〆切

多摩大学シーズ集:「大いなる多摩シーズ集」の原稿の依頼。11月30日〆切。

・第3回評議員会日程:2月13日。

・学部、研究会の近況報告と懇談。

 

 

「名言との対話」11月6日。川喜田半泥子「陶芸は余技だから売る必要がない。ゆえに自分の理想とするものを、他人のことなど気にせずに自由に自分の好きなように作ることができる」

川喜田 半泥子(かわきた はんでいし、1878年明治11年11月6日[1] - 1963年(昭和38年)10月26日[2])は、日本の陶芸家実業家政治家

1903年明治36年)に百五銀行の取締役に就任。1919年大正8年)に第6代頭取となり、1945年(昭和20年)2月まで頭取を務めた。彼の時代に百五銀行三重県有数の金融機関に成長した。頭取以外にも、三重県財界の重鎮として活躍した。50歳を過ぎてから本格的に作陶する。自由奔放で破格な作風であった。

2010年に銀座松屋の「川喜田半泥子のすべて」展で名前だけは知っていたこの人物に触れた。「東の魯山人、西の半泥子」と並に称された一流の風流人。伊勢の豪商の家に生まれ、百五銀行頭取、地方議員などの要職をこなしつつ、書画、茶の湯、絵画、写真、建築、俳句と多芸ぶりを発揮する。とりわけ陶芸では破格の才を示し、自由奔放ななかにも雅趣に富む世界を創造、「昭和の光悦」と声価をを高める。1878年生まれで、魯山人より5才上、加藤唐九郎より20才上。84才まで風流の道に生きた。

36才から号として用いた「半泥子」は、「半ば泥(なず)みて、半ば泥まず」という意味である。「半泥子は、なににでも没頭し、泥んこになってしまう。泥んこになりながら、冷静におのれを見つめることを忘れない。大胆なふるまいをし、ハメをはずしているようでも、芯となる風雅の要諦は、けっして踏みはずさない。」(美術評論家・吉田耕三)

無茶法師と名乗った連載随筆が本になっている。それが「泥仏堂日録」で、連載中から人気があった。この日録の冒頭には、「此の無茶法師無茶苦茶が、是から記される日記である。読む人こそ災難である」とあり、単行本になるときのあいさつでは「、、それにしてもこれを読まされる方々こそお気の毒さまである」と書いている。人柄や処し方がわかる気がする。

芸術は遊びであり、生活の手段ではない。本阿弥光悦も自分も同じ考えだと半泥子は言う。趣味と本業の関係をどうするかは、いつの世も難題である。趣味が本業となれば、自由は消える。半泥子は昼は本業の銀行業務に正攻法で精を出し、余暇を存分に使って余技の陶芸の世界を自由奔放に満喫している。半分どろんこという意味の半泥子という名はこの人の生き方だ。

 

夜は、弟と新宿の「銀波」で飲む。