文藝春秋11月号---小池劇場

文藝春秋11月号。久しぶりにほぼ全部読んでみた。

吉村昭の息子の司。小泉進次郎とJA全中の奥野会長世耕弘成経産大臣日銀理事の門間一夫。船橋洋一脳科学の瀧靖之教授。、、、、。

テーマは、健康寿命農業改造、日露経済協力、小池劇場中国軍侵攻、金正恩核ミサイルトランプヒラリー出光合併ラジオ深夜便赤ヘル京都、、、など実に多彩だ。

経済ジャーナリスト財部誠一作家日垣隆の「我らは脳梗塞から生還した」も興味深かった。しばらくメディアで見かけないと思っていたら、二人とも脳梗塞で倒れていたのだった。
財部は60歳、日垣は58歳。インターネット時代リハビリ生活垣間見える。
iPhoneメモ」「フリック入力は便利」「電子書籍はありがたい」、、、。

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今日の収穫
内村航平「この8年間で僕が個人総合のレベルを引き上げた。体操進化にすごく貢献できている。」
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今日は1万歩。

名言との対話10月11日ファーブル

副学長日誌「志塾の風」161011

 

多摩キャンパス

 

湘南キャンパス

 

安田峰俊「野心 郭台銘伝」シャープ買収の現代のチンギス・ハン

安田峰俊「野心 郭台銘伝」(プレジデント社)を読了。

野心 郭台銘伝

野心 郭台銘伝

多摩大の非常勤をやっていただいている安田先生の10月3日発行の力作。

オビ

  • 「独裁、リストラ、嘘、、、中国との蜜月、強烈な身内愛、すべての謎を解き明かす渾身のドキュメント。シャープの救世主か、破壊者か」
  • 「シャープを買収した台湾企業・ホンファイの創業者、郭台銘(テリー・ゴウ)とは何者か」とある。

「現代のチンギス・ハン」「きょう雄(残忍で荒々しい人物)」「失言王」と語られる経営者の実像に迫った書である。

ホンファイ(鴻海)は創業以来の名称だが、中国を初めとする国際市場向けにはフォックスコン(富士康)で名が通っている。
2016年のデータでは、フォーチュンのグローバルランキング世界25位。従業員は106万人。この企業のビジネスモデルは、-大手メーカーの電子製品の製造過程を請け負う受託生産である。自前のブランドを持たずに他社からの発注を受け、自社工場において他社ブランドの製品を代わりに生産するビジネスだ。

多摩大で9月に訪問した本社機能を持つシンセンの龍華工場は、「郭台銘の紫禁城」とも呼ばれている。2.3万ヘーベの敷地内に数十万人が働いている大工場だ。特に中国では、30カ所以上製品工場が広がっている。私たちが見ることを許されたのは、ヒューレットパッカードの自動化されたインク生産工場だった。
取引先は超一流企業だ。アップル、ソニー・エリクソン、、任天堂ノキア、デル、など、、。実はこういった企業は、最先端のモノの仕組みを考える製品企画を担当するが、実際に具体的な形にする方法は台湾のホンファイが策定し、中国のフォオクスコン工場で大量生産するという構造になっている。この下流工程を握ったホンファイが力をつけてきた。この日影者、そして潜水艦のような企業がホンファイである。

話題になった日本の有力メーカー・シャープの買収劇は、製造段階の下請け企業がいつの間にか力をつけ、付加価値の源泉である最上流の先進国の大手メーカーを買収し、ブランドを手にしようとする物語なのである。

ホンファイとそのトップ・郭台銘は、シャープとの駆け引きで、恐るべき企業体として我々の目に映ったが、著者は、記者会見の場で直接、疑問をぶつけるなど、その交渉の過程も丹念に追っている。一方的にシャープが振り回されたのではなく、疑心暗鬼なのは、どちらも同じである。しかし、ともかくもシャープはホンファイの中に入った。シンセンでの見学時に、副社長からシャープは中国の拠点をこのシンセンに移してきますよと言われたことを思い出した。
シャープととホンファイの違いは何ですか、と私が聞いたところ、その答えは「スピード」であった。
大阪に、シャープの創業者・早川徳次記念館を建設するという提案も買収条件に入っているとこの本に書かれている。

さて、郭台銘とはいかなる人物か。
1950年生まれ。フォーブスの世界長者番付で205位で保有資産は6850億円。数年に一度以上のペースで「身の丈に合わない」ように見える投資を躊躇なく行い、決定した途端に恐るべきスピードで実行に移すという経営スタイルで、のし上がってきた人物だ。

公的な顔、私生活の顔を調べた結果、郭台銘には、大経営者が持つ美しい理想や哲学はないと著者は断定している。世界を変えようという志はみえない。
では、郭は何のために一日16時間も働いているのか。
それは「野心」だ。世界中を飛び回り、この世の一切を腹に飲み込む。ホンファイという社名は「大きな雁は千里を飛び、海はすべての川を収める」から来ている。すべてを呑み込むという意味がある。ただ、世界を呑み込もうと動き回っている怪物企業という見立てである。

ホンファイについての情報はあまりなく、日本には馴染みの薄い企業なのだが、著者の熱意と努力も相当なものだ。10年前にフォックスコンに部品を納入するメーカーで短い新入社員時代を過ごしたと「おわりに」に書いている。その経験が基底となって、ホンファイへの鋭い観察が散りばめられた本書が誕生したというわけである。この本を書く理由があったことが納得できる。

本書は、シャープという日本的企業の将来を占っている。それに留まらず、日本企業と大中華圏(中国・台湾・ホンコン・シンガポール)との関係を考えるに際して大きな示唆を与えるであろう。力作である。

「名言との対話」10月10日。中村元

  • 「常識を常に疑っているんです。みんながそうだと言っていることは、本当にそうだろうかと、その奥を考えたくなる。」
    • 中村 元(1912年(大正元年)11月28日 - 1999年(平成11年)10月10日)は、インド哲学者、仏教学者。東京大学名誉教授、日本学士院会員。勲一等瑞宝章文化勲章紫綬褒章受章。在家出身。主たる専門領域であるインド哲学仏教思想にとどまらず、西洋哲学にも幅広い知識をもち思想における東洋と西洋の超克(あるいは融合)を目指していた。外国語訳された著書も多数ある。
    • 「世界が一つになるには、理解と寛容が絶対必要である」
    • 「人生において遅いとか早いとかということはぞざいません。思いついた時、気がついた時、その時が常にスタートですよ。」
    • 常識、定説、多数説、こういったものにだまされてはならない。問題解決にあたっては、こういうものは邪魔になるだけだ。目が曇るといってもよい。根本からそれを疑ってみよう。表面的な観察と安易な理解、そういうものが横行していることを数多くみてきた。本当にそうか。深掘りを厭わない人に栄光が待っている。

「達人脳画バンク」。「時計遺伝子」。

致知」に面白い記事があった。

まず、中京大学の荒牧勇スポーツ科学部教授のインタビュー記事だ。脳科学の進展は、多くの実りがありそうだ。
村上佳菜子宇野昌磨、中村明彦などトップアスリートの脳の磁気共鳴画像(MRI)を500人ほどとり続けている人だ。トップアスリートだけでなく、今後は分野を問わず一流の人の脳を対象に研究をすすめ、「達人脳画バンク」を創ろうとしている。

  • 視床が大きい。感覚情報や小脳・大脳基底核からの情報を大脳皮質に中継する働き。
    • フィギャの村上佳菜子の脳は、足の感覚や動きを司る部位が非常に発達。
    • 同じく宇野昌磨の脳は、小脳(運動)や前頭葉(目的に無カテ以降とする意志)が著しい発達。
  • 十種競技の中村明彦は、小脳が大きくなっており、特に体幹や防御姿勢に関わる部分が発達。アスリートとしての成長に伴い、性格や人柄も変化してきた。本番に強い人は脳内の「島」という部位(痛みや嫌悪などネガティブな認知)が小さい。
  • 特定の運動をすれば特定の脳部位を発達させることができる。自分の脳をデザインできる。
  • 変化を起こすには脳内で大きなエネルギーを消費するから、困難なことを始めるのはおっくうになる。それを克服する二は、無理矢理にでも始めてしまう。それを繰り返すと脳も変化し、自己変革できるようになる。テクニックとしては何かを始める前にルーティーン、一定の動作を行う。脳内に回路が形成されてスムーズに仕事に着手できる。

次に「時計遺伝子」の研究者・石田直裡雄(国際科学振興財団・時間生物学研究所所長)。時計遺伝子からの視界も広い。

  • ノンレム睡眠は脳のための睡眠、レム睡眠は筋肉のための睡眠。
  • 夜勤など睡眠の質が悪くなると、時計遺伝子がダメージを受ける。体内時計の老化が進む。健康寿命に関係。心筋梗塞の比率が上がる。睡眠は脂肪を燃やすためにあるから、メタボになるやすくなる。
  • 時計遺伝子の司令塔は脳の視交叉上核にある。末梢にいたるまで同調しながらリズムを刻んでいる。薬の投与時間を研究する時間薬理学。
  • 好きな時間に好きな物を食べられるようになり、体内時計が狂ってきた。生活パターンの変化が認知症にも関係。

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豊洲に住む娘を訪問。
今話題の巨大な豊洲市場の周りを一周。
「安全第一」の幕がうつろに響く。

「名言との対話」10月9日。薄田泣菫

  • 「長い文章なら、どんな下手でも書くことができる。文章を短く切り詰める事が出来るようになったら、その人は一ぱしの書き手である。」
    • 薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん、1877年(明治10年)5月19日 - 1945年(昭和20年)10月9日)は、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。大正以後は詩作を離れ、『茶話』『艸木虫魚』などの随筆集を書いた。
    • 「茶話」には過去の偉人、当時の有名人が数多く登場する。菅原道真、六代目菊五郎良寛大隈重信、、。こういった一角の人物の噂話、失敗談、クセや見栄を面白がって描いている。、その泣菫の人物眼はさえていて、谷沢永一が、渡部昇一との対談本「人生後半に読むべき本」の中で紹介している。詩人として有名な泣菫であるが、エッセイもいい。
    • 薄田泣菫の三びき猿。教訓のこもった詩だ。
    • 向う小山を猿がゆく、さきのお猿が物知らず、あとのお猿も物知らず、なかのお猿が賢くて山の畑に実を蒔いた 花が開いて実が生(な)れば、二つの猿は帰り来て 一つ残さずとりつくし、種子をばまいた伴(つれ)の名は 忘れてつひぞ思ひ出ぬ。
    • 与謝野鉄幹・晶子の子供の名前もつけている。交遊が広い。
    • 大阪毎日新聞社学芸部部長時代には、芥川龍之介を社員として招聘して発表場所を与えた。岡山の記念館にはその時代の原稿依頼や就職の世話などをした手紙が展示されている。
    • さて、冒頭の文である。だらだらと長い文章を、切り詰め、切り詰めて、鋭い随筆に仕立て上げる。その究極は、一編の詩ではないか。言葉を組み立てて見事な詩を書いた泣菫にとって、人生後半に詩から離れて書き続けたエッセイは、余分な情報を盛り込むことができるからお手の物だっただろう。短文を書けるか、それが書き手の条件だ。

副学長日誌「志塾の風」 161008

  • バートル先生

インターゼミ。

  • 田中先生:台湾への中国からの旅行者400万人から2割減。中国四川省地震記念館の衝撃。今尚4000人が生き埋めのまま。
  • 木村先生:中朝国境の町・タントオ。日本からの旅行者の拘束者が増えている。寺島本。時代と個人史。企業人の生き方。京都のつづら折り(爪織り)。メディア批判。2006年の「世界」。省察、反省のなさ。
  • 学長:国立科学博物館のプロジェクト。沖縄から日本への航海の再現。ラスコーの壁画展。クロネコヤマトの山内社長。クロノゲート。ロジスティクス。個人の進化の歴史。アメリカ大統領選。ロシア。
  • 学長報告:人事。大学院、ホテル、、、。
  • インターゼミ終了後、大学院事務局の野原さんと高野課長と3人で懇親会。

飲み会4連チャン

本日で4日間連チャンの飲み会が終了。

「名言との対話」10月8日。下田歌子

  • 「何によらず、臨機の方法を求むる場合に於て、倉皇事を執れば、必ず損失ありと知るべし。」
    • 下田 歌子(出生名:平尾 鉐(ひらお・せき)、安政元年8月9日(1854年9月30日) - 昭和11年(1936年)10月8日)は、日本の明治から大正期にかけて活躍した教育者・歌人。女子教育の先覚者。幼い頃から学問に触れ、和歌や漢詩を詠んだ。 明治4(1872)年、18歳で江戸の儒学者・東条琴台を訪ね、翌年に宮内省に出仕した。同年、皇后陛下に詩歌を献上したところ、その文才を認められ、歌子の名を賜った。その後、歌子は女子教育の道に進み、実践女子学園、女子工芸学校を創設し、校長となるなど、明治・大正時代を代表する女子教育者となった。和歌・俳句・漢詩日本画に優れ、また容姿と才能に恵まれた歌子は「昭和の紫式部」と呼ばれたり、総理候補とさわがれたり、話題の多い人物だった。
    • 「ときはなる 色も深めて ことくさに たちまさらなむ やまとひめ松」は、1908(明治41)年には財団法人帝国婦人協会実践女学校の理事に就任した歌子の歌である。節操を守り信念をもって毅然と生きてほしい。外国の女性にもまけないで、日本のおとめたちよ」と、教え子に呼びかけた。
    • くれたけの ふしどのうちに 学び得し 道を伝ヘむ 待てや教ヘ子
    • まよひなき 正しき道は 見ず聞かず 言わずむなしき 空にみちたり
    • 渋谷の実践女子大の120周年記念の新校舎にオープンした「向田邦子文庫」を訪問したことがある。同じ一階には1899年にできた学園の創立者として下田歌子レリーフが飾ってあった。学祖・下田歌子の号に由来する「香雪記念資料館」があったが、残念ながら閉まっていた。
    • 冒頭の言葉の「倉皇事(そうこうごと)」とは「慌てふためく様子」の意味である。泰然自若、準備万端、心に迷いがない状態で、あわてることなく、冷静にさまざまの事にあたりたいものだ。

副学長日誌「志塾の風」 161007

  • 水谷IR室長:中期計画
  • 2限は「立志論」の授業。登録が319と聞いてどうなことかと緊張したが、どうにか101教室で収まった。すこし長めにYotubeの画像を使ったこともあり、静かな環境で授業ができた。「仰ぎ見る師匠」が本日のテーマだった。取り上げた人物は、吉田松陰福沢諭吉岡倉天心
  • 金子教務委員長:ゼミ選択の件。採用人事。