明日の「読書会」の準備ーー「昭和の参謀」と「日中関係秘話」

明日の読書会の資料作成。明日さらに準備。

『潜行三千里』など過去に読んできた読書録を整理する機会になった。また『昭和の参謀』は個別の人物を改めて考える機会になった。

太平洋戦争を敗戦に導いた「昭和の参謀」と、戦後に忘れられた「日中関係秘話」を改めて整理することができた。

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「アクティブ・シニア革命」の図解のブラッシュアップ。

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壽崎肇氏死去 スーパー「寿屋」創業者|【西日本新聞me】

「名言との対話」5月9日。壽崎肇「入社してくる学生は南九州出身者が多い、この人たちの両親が寿屋を育てて下さった。その恩返しがしたい」

壽崎肇(すざきはじめ 1926年3月16日ー2022年5月9日)は、実業家。享年96。

大分県佐伯市出身。1947年、佐伯に化粧品店を開業。1957年、株式会社寿屋を設立し社長に就任。1961年、総合スーパー1号店の「寿屋ストア」を開業し、食料品や日用品の販売に進出。1973年、福岡証券取引所に上場。

「商業界」の倉本長治から商売の基礎を学び、ペガサスクラブの同い年の渥美俊一から成長のやり方を学び、九州で一番おおきなチェーンストアに成長した。1975年に406億円だったが、1983年には売上高は2457億円に達した。1985年、上場後初の赤字。1990年に会長。92年から95年は最高顧問。

寿屋は業績の悪化のため、2001年に民事再生法の適用を申請。2002年、全店舗が営業停止に追い込まれた。私の故郷の中津市の中心街には寿屋のビルがあり、時々買い物をしていたが、いつの頃か営業をしなくなり、今ではそのビルも取り壊されて他の企業が営業をしている。

1980年から1990年にかけて、「恩返し」として熊本、大分、宮崎、鹿児島にそれぞれ公益財団法人壽崎育英財団を設立し、いずれも壽崎肇が理事長となった。4県あわせて、毎年140名の奨学生を採用し、返還義務のない奨学金を現在も支給している。奨学生は毎月の近況報告の提出の義務があり、そのレポートは誰でも読むことができる。現在の理事長は、(株)ヨネザワ創業者の米澤房朝。

寿崎肇は85歳の誕生日パーティで、寿屋のOBたちにお礼のことばを述べている。そして「私は、炊事洗濯掃除一人でやっております。妻の供養10年になり息子その嫁の供養を各10年しますから92歳までは生かして頂きたいと思っております」と語っている。

実際にはそれから10年以上の寿命があり、96歳で天寿を全うしている。壽崎肇が一生をかけ、15000人の従業員数を誇った事業は亡くなってしまったが、本業の余力で設立した社会貢献の財団だけは生き残ったことになる。「恩返しをしたい」という気持ちが、結果的に名を残すことになった。栄枯盛衰は世の習いであるが、人も国も絶頂期に何を遺すかを考えるべきだという教訓としておこう。