本日のリレー講座は白井さゆり先生 「金融政策と経済物価情勢」

 リレー講座。

講師:白井さゆり先生(慶応義塾大学教授・前日本銀行政策委員会審議委員)

タイトル:金融政策と経済物価情勢

  • 日銀政策委員会審議委員を5年間:審議委員は取締役にあたる。フルタイム。総裁・副総裁3人の執行部の監視。フルタイム。白川総裁2年・黒田総裁3年。2013年からは大変は実験。円安・株高。世界の大注目を浴びた。白井はマイナス金利には反対した。
  • 海外・ブルバーグテレビ出演。外国の情報。15の中央銀行で講演。テレビ東京のモーニングサテライト(5時45分から)。5年間休みは一日もない。論文を読む、執筆なども含めモーレツに勉強した。英語で世界で戦える人は少ない。イエレン(米FRB)、ドラギ(欧州中銀)、カーニー(イングランド銀行)など自分の言葉でしゃべる人たち。
  • 2016年の世界経済は3.1%成長。2017年はもっとよくなる。米・欧・資源国(50ドル)、日本も1-1.3%成長。インフレ的な状況になる。長期金利が上昇する。リスクはアメリカのトランプ政権。もう一つは現在の好景気は景気循環かも知れないこと。
  • 金融政策の転換期。金融緩和をやったがリーマン前よりは悪院。金融政策に依存。アメリカは利上げ開始・引き締め。19ヶ国のユーロ圏のECD(欧州中銀)のドラギ総裁は周辺国の危機を乗り切り功績あり。金利低下が長く続き効果がなくなってきた。副作用。もう限界。
  • 日本:白川総裁は2%物価目標。黒田総裁QQEという次元の異なる金融政策で国債を買いまくった。年50兆円、2014年には年80兆円に拡大。国際は安全資産。他の金利も追随する。ETFによる株式購入。日銀には350兆円が積み上がりリスクもある。2016年1月のマイナス金利では銀行に影響がでている。仲介が難しくなっている。タンス預金が増えて経済の循環が阻害。日銀はすさまじい規模でやれることは全部やった。副作用はあるが、効果もあった。この政策はやるべきものだった。しかし物価目標2%は達成できていない。今は0%に近い。
  • 日本経済:家計支出は増えていない。住宅着工は横ばい。鉱工業生産は下がっている。輸出数量は増えない。円安で業績向上で株価は上昇。家計では雇用はいいが賃金は上昇しない。これだけやってきたが結果は横ばい。なぜか?日銀に依存しすぎている。110円・1.9万円といういい状態は続かない。金利は上昇していく。
  • (始まる前に、白井先生と雑談。バイタリティあふれる勉強家。)

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 「副学長日誌・志塾の風」170601

・水谷IR室長

・杉田学部長

・渡辺先生

・授業準備(学部・大学院)と自己点検資料の読み込み。

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夜は品川の「翁」で富田勲先生の一周忌の集まり。

大吟醸JAL広報部グループ。富田先生の奥様と娘の妹尾さんも参加。秩父のこいけ蕎麦の小池さんも参加。

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 故・富田勲先生の奥様と娘の妹尾さん。

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  「名言との対話」6月1日。原阿佐緒「生きながら針にぬかれし蝶のごと悶えつつなほ飛ばむとそする 」

原 阿佐緒(はら あさお、女性、1888年6月1日 - 1969年2月21日)は、明治-大正時代の歌人である。歌集に「涙痕(るいこん)」「白木槿(しろむくげ)」など。

与謝野(よさの)晶子にみとめられて新詩社にはいり,「スバル」などに歌を発表。「アララギ」に参加したが、同門の石原純との恋愛事件で破門された。

宮城県大和町宮床に生れたみちのくの抒情歌人、漂白の女流歌人原阿佐緒記念館は雪景色の中にひっそりとたたずんでいる。類希な美貌と短歌や絵画の才能が阿佐緒に数奇な運命を招きよせる。東北帝大教授石原純とのスキャンダルで世論の攻撃を浴びる阿佐緒は地元でも批難の的となる。

記念館では阿佐緒の遺した二冊の日記をテーマとした「蝶の日記」という企画展が記念館の二階で行われていた。阿佐緒は「これにはことさらにかかぬ、心乱れゐたる故ただにとりとめもなく筆にまかせてかく」と日記を書く心境を記している。

記念館に掲げてある歌が実にいい。よき理解者であった与謝野晶子ばりの官能的で抒情豊かな歌が心に残る。 

 くろかみも このもろちちも うつしみの ひとはもはやふれざるならむ

 捨つといふ すさまじきことするまへに 毒を盛れかし 君思ふ子に

才能があり、美貌の持ち主でもあった原阿佐緒は、そのために恋愛問題を引き起こしている。2度の結婚・離婚を経て、「アララギ」の重鎮の歌人でもあり、著名な物理学者で東北帝大教授の妻子ある石原純の一方的な求愛に翻弄される。冒頭の歌は飛ぼうとしても、様々のしがらみや世間の目からなかなか逃れられない女の身の悶えを詠んでい手心を打たれる。

多摩大「シルバー・デモクラシー企画」第一弾「山梨県南アルプス市で田植え体験X講座」、大成功!

教授会。

「副学長日誌・志塾の風」170531

5月教授会

・学部運営委員会:委員長4人が韓国済州島への研修のため少し念入りに打ち合わせ

・半数の4つの委員会は副委員長が報告。教務は中村その子先生、学生は大森先生、国際は中村有一先生、アクティブラーニングは志賀先生。少し景色が違う。

・小林学長室長:南アルプス市でのシルバーデモクラシー企画(多摩大主催)の報告(大成功)。5月28日(日)多摩大学「シルバー・デモクラシー企画」第1弾、「山梨県南アルプス市で田植え体験×講座」を実施 - 多摩大学 ニュースリリース

・杉田学部長:来年度の出校日調査。

・私は4月・5月の大学戦略会議と大学運営会議の報告。

 ラウンジ

・小林先生:シルバーデモクラシー企画

・下井先生・大森先生:多摩大出版会

・飯田先生:読書プロジェクト

・志賀先生:韮崎の大村智先生の美術館

・大森映子先生・中沢先生:関戸地球大学院

・山本さん:インターネットラジオ南アルプスイベント。

・高野課長:大いなる多摩学会・入手パンフレット

 研究室

・杉本係長:大学戦略会議

・松本先生:多摩大出版会。

・来客:長弘さん

 

「名言との対話」。5月31日。ホイットマン「あなたの道を他人が歩むことはできない。その道はあなた自身で歩まなければならないものだ」

ウォルター・ホイットマン (Walter Whitman, 1819年5月31日1892年3月26日) はアメリカ合衆国詩人随筆家ジャーナリストヒューマニスト

ホイットマンは大工の息子だった。11歳から印刷屋の小僧、小学校の教師、民主党機関誌の編集者などをしていた。30才前後に変化が起こり独創的で革命的な詩想を表現するようになる。36歳のときに出版した『草の葉』は、最初12編95ページだったが、推敲し書き加えて最後には383編で500ページを超えた。

ホイットマンの創作方法は、浮かんだ言葉を手元の封筒、便箋などの紙切れに書く。たまるとピンで留める。その紙切れを選別し、書き加え、順序を変える。このようなモザイク構成法で作られた。

大正から昭和へかけて活躍した日本の民衆派の詩人・白鳥省吾の記念館。81歳の時に、生涯の師であるホイットマンの詩蹟を訪ねてアメリカへ旅行をする。「万巻の書を読み 千里の道を行き 生死を天に任じ 世界の山河に放吟す」。

・自分自身が最良の手本になればいい。そういう手本になる人物が一人でもいればその集団は千年輝くものになる。

・君が教訓を学んだ相手は、君を称賛し、親切をほどこし味方になってくれた人々だけだったのか。君を排斥し、論争した人々からも大切な教訓を学ばなかったのか
・情熱・・・それなくして人間と呼べようか
・自らが偉大な人を育てる。そして、偉大な人を育てられる人を育てていく・・・すべては、そこから始まる
・我あり、あるがままにて十分なり
・若い女は美しい。しかし、老いた女はもっと美しい
・私に矛盾が多い。それは私が大きいからである
・自分自身であることに、人間の偉大なる誇りがある
・世界中の誰もが自分を称賛しても、私は一人静かに満足して座っている。世界中の誰もが私を見捨てても、私は一人静かに座っている
・改革が必要であればあるだけ、それを成就するための「人格」が必要になる。今日すぐに始めたまえ、勇気、実在、自尊、明確、高貴を目ざして君自身を鍛えることを、君自身の「人格」を固め広めるまでは休んではならぬ
ホイットマンは、近代の思想と科学を詩に取り入れて賛美した。そのためアメリカ民主主義を代表する詩人となったのである。新しい民主主義社会に生きる人々に勇気を短い詩で与えた。生き方、人としてのあり方、人格の向上、こういった近代人のあるべき指針を提示し、民衆を励ましたのである。国民的詩人・ホイットマンの詩は、アメリカ民主主義のソフトインフラであった。

井上靖「蒼き狼」--鉄木真(テムジン)が成吉思汗(ジンギスカン)になっていく物語を描いた名著

井上靖蒼き狼」(文藝春秋)を読了。

 鉄木真(テムジン)が成吉思汗(ジンギスカン)になっていく物語。

蒼き狼 (新潮文庫)

 父が判然としないまま生まれたモンゴルの子は首を刎ねた敵のメリキトの首領の名前の鉄木真(テムジン)と名付けられた。同様に鉄木真の長男は父が判然としないまま生まれ、客人という意味のジュチと名付けられた。

モンゴル族蒼き狼となま白牝鹿から生まれた最初のバタチカンが祖先である。この二人は出生の謎があるため、「狼になろう」と生涯を戦い続けた。敵を持たない狼は狼ではなくなる。その物語である。

1189年鉄木真は28歳でモンゴル部族の長である汗に推される。44歳、全蒙古の王となり盛大なる大君という意味の成吉思汗(ジンギスカン)となる。大きい耳、鋭い眼、引き締まった口許。

乱れのない統制。重層的な組織。厳しい訓練。鉄の規律。若き耶律楚材を登用する人材眼。「草原の如く拡がれ。海の如く布陣せよ。そして鑿(のみ)の如く闘え」という戦法。それが連戦連勝で空前の大帝国を築いた成吉思汗のやり方だった。戦いに明け暮れれ中で勇壮な武将たちが育った。後継者候補の息子たちはそれぞれ逞しく育っている。また孫になるフビライとフラグも傑出していた。

成吉思汗はただ生きているだけでなく、楽しく生きることをモンゴルに与えようとした。それが現実になってみると、モンゴルではなくなると強い違和感を覚るのだった。

西夏チャガタイ汗国・オゴタイ汗国・イール汗国・キプチャク汗国をつくり、インドと中国・宋をのぞく世界を征服した成吉思汗は、モンゴルの蒼き狼の末裔であることをまだ立証できていないと考える。大作戦を戦い続ける原動力はそれであった。出生の秘密を乗り越えるための人生であった。享年65。

成吉思汗の孫の第5代のフビライが1271年に建国した統一王朝・元は1271年から1368年まで100年保たずに滅び、朱元璋の明が引き継ぐ。

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日本未来学会理事会(門前仲町の未来工学研究所にて)

・部会設置のルール:デジタルエンターテイメント研究会(ゲームカルチャー、、)

・多摩大未来学連続講座

・日本キューバ統合医療シンポジウム:7月15日(東京)。7月17日8大阪)。

・使用済み核燃料処理:文殊正式中止。ADSで半減期が数万年から数百年に。化石燃料は地球の賜、再生エネルギーは太陽の賜、核エネルギーは宇宙史の賜。ADSは加速器駆動システムとは加速器から陽子を発生させてターゲットに当て、核破砕によてr大量の中性子を発生させて、その中性子を未臨海核燃料体系で増倍させるハイブリッドシステム。

・50周年プレイベント:12月10日京都議定書20周年記念イベントの企画。

・エロス(愛欲)とタナトス(死)の未来学(銭湯で語り合うハダカの未来学)

・大いなる多摩学会総会:6月10日

 

「名言との対話」5月30日。安岡章太郎「人生に悩みはつきもの、特に人生の転換点で、その後の人生に知恵と勇気を与えてくれる名言は必ずあるものです」

安岡 章太郎(やすおか しょうたろう、1920年5月30日-- 2013年1月26日)は、日本小説家

1953年から1955年頃にかけて文壇に登場した新人作家。安岡章太郎吉行淳之介遠藤周作などを山本健吉が、第一次・第二次戦後派作家の本格派に対し、私小説を中心とした「第三の新人」と命名した。安岡はその旗手だった。

1953年には選考委員の評価が真っ二つに割れながらも『悪い仲間』・『陰気な愉しみ』により、芥川賞を受賞した。戦後の家族の崩壊を描いた「海辺の光景」(1959)で芸術選奨野間文芸賞を受賞。「幕が下りてから」(1967)で毎日出版文化賞。自らの家系をたどった「流離譚(たん)」(1981)で日本文学大賞、母方の家系をたどった歴史小説「鏡川」(2000年)で大佛次郎賞。「僕の昭和史」で野間文芸賞。92年には現代文学に貢献したとして朝日賞を受けた。95年には中里介山の未刊の小説「大菩薩峠」をテーマにした評論「果てもない道中記」を発表しベストセラー。2001年、文化功労者

生涯、〈学校と軍隊と病院〉に象徴される近代社会における抑圧や束縛を嫌い、「劣等生」 「ナマケモノ」を自称した小説家だった。2013年、92歳、老衰で死去。

自分の感じていることを誰かが短い言葉で説明してくれるのを発見すると深く共感する。迷っている時に一条の光が差すようにある言葉が向こうから目に飛び込んでくる。名言は人生行路を照らす先人たちの知恵の光であり、次の航海にこぎ出す勇気を与えてくれる励ましである。悩み多き安岡は名言の蒐集家であったのではないか。

T-Studioに「福澤諭吉」と「大隈重信」をアップ。

多摩大インターネット放送局T-Studio。

久恒啓一の名言との対話」シリーズももうすぐ20回。

16回は早稲田の大隈重信。18回は慶応の福澤諭吉

 福澤諭吉

www.youtube.com

大隈重信

www.youtube.com

「副学長日誌・志塾の風」170529

九段サテライトで、研究開発機構評議員会を開催。

  • 多摩大総研:大いなる多摩学会。多摩大出版会(トライアルで3冊刊行)。
  • 多摩大情報社会学研究所:LINE「青少年のネット利用実態把握を目的とした調査中間報告」(中高生のスマホ所有率は97%前後。LINE一日10回以上チェック70%前後。twitter一日10回以上チェックは5-57%)。
  • 多摩大医療・介護ソリューション研究所:文科省科学研究費。厚生労働省研究費。「囗呂意図イノベーション」、「医療立国論」、、。
  • 多摩大ルール形成戦略研究所:サイバーセキュリティ国際標準化研究会。介護ロボット普及促進研究会。感染症対策の国際ルール形成研究会。アジアにおける減災制作研究会。CSO(チーフスタンダードオフィサ-)CRO(チーフルールメイキングオフィサー)。

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「名言との対話」5月29日。ジョン・F・ケネディ「プレッシャーの下で優雅さを保てるかどうかが、真のリーダーであるかを決める」

ジョン・フィッツジェラルドケネディ英語: John Fitzgerald Kennedy1917年5月29日 - 1963年11月22日)は、アメリカ合衆国政治家。第35代アメリカ合衆国大統領。在任中の1963年11月22日テキサス州ダラスで暗殺された。

国立公文書館で開催された「JFK--その生涯と遺産」展を見る機会があった。ケネディは、ジャーナリストとして出発していることは知らなかった。29歳で初当選。36歳の時に、24歳のジャクリーンと結婚。重圧の中で気高さを発揮した8人の上院議員を描いた「勇気ある人々」はピューリッツア賞(伝記部門)を40歳で受賞している。この本はベストセラーになった。

ケネディは43歳で大統領になった。70歳のアイゼンハワーからバトンタッチを受けた。27歳の年齢差だった。そして1037日という大統領の在任期間で暗殺されている。

18歳以上の若者を2年間途上国にボランティアとして派遣し、貧困や飢餓、伝染病の撲滅、教育、農業技術等の分野に従事させる「平和部隊」を創設している。日本の青年海外協力隊にも影響を与えたプログラムだ。

キューバ危機」はソ連との核戦争が起こる可能性があった。軍部はミサイル基地への先制攻撃を強硬に主張したが、冷静沈着なケネディは次元の違う海上封鎖に踏み切った。そして外交的解決に心血を注いだ。イタリアとトルコに配備されていたアメリカのミサイルの撤去、キューバに対する不可侵の確約という交換条件をっもって米ソ間で合意に達する。一触即発の13日間は平常化したのだ。

内村鑑三の「代表的日本人」でも西郷や中江藤樹などと並んで紹介されている。ケネディ大統領が鷹山を尊敬していたのは、この本を読んで鷹山を知ったからだ。

「大きな失敗を恐れない者だけが、偉大なことを成し遂げる」

「何も行わず、手をこまねくということ、それが最も危険なのです」

「我々の問題は人間によって作られたものだ。それゆえ、人間によって解決できる」

「目標と計画が無いなら、努力と勇気がいくらあっても駄目なんだよ」

「成功は千人の方々のお陰です。でも、失敗はあなた一人の責任です」

「私たちは、今までになかったものを、夢見ることができる人々を必要としている」

 「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」
「国が諸君のために何ができるかを問い給うな、諸君が国のために何ができるかを問い給え」「アメリカが何をしてくれるかではなく、我々が共に、人類の自由のために何ができるのかを問い給え」
キューバ危機を乗り切ったケネディ大統領にならって、リーダーになったら、あわてず、さわがず、冷静沈着に襲ってくる危機に対処しよう。

第21回在京中津会。

日暮里のラングウッドホテルで第21回在京中津会に参加。150人という大きな会だった。中津北高の同級の20回生6人が参加。松田、清原、芦田、小野、峰、私。

  • 中津から奥塚市長が見えて挨拶「耶馬溪が日本遺産」「八面山が夜景遺産」「出生率が1.94で県で1番」。一度母校で会ったことがある市長に挨拶。母の出版物が話題になった。
  • 歌手の芹洋子さんが挨拶「美しき山国川」がキングレコードから月1日発売。
  • 「在京中津会の歌」があるのには驚いた。
  • 終了後、仲間4人でビール。松田君の直近のマチュペチュ旅行の話を聞く。

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 「名言との対話」5月28日。浜井信三「重い障害とともに歩んできたあなたの生き方は、懸命に生きることの大切さを教えてくれ ます 私達はあなたが歩んでこられた道から学んで その道をたどって参りたいと思います 」

浜井 信三(はまい しんぞう、1905年5月28日 - 1968年2月26日)は、日本の政治家、初代の公選広島市長(在任期間・1947年 - 1955年1959年 - 1967年。通算4期市長を務めた)。一貫して核兵器の全面禁止を訴え、広島の父、または原爆市長と称される。

原爆の投下で市役所の幹部の多くが爆死したため、40歳の一介の広島市と防空本部の配給課長ながら最前線に立ち奔走した浜井の逸話を聞いた小松左京が創作したのが、少年向けSF小説「お召し」である。

1986年2月26日広島平和記念資料館の講堂で開かれた、第4回広島地方同盟定期大会に出席し、不動の信念と抱負を訴え終えた直後、来賓席に戻ると同時に心筋梗塞で倒れた。直ちに広島市民病院から医師が駆けつけたものの、16時8分に死亡。62歳。3月8日山田節男市長らが発起人となって市民葬が執り行われた。

来日し広島を訪れた資格と聴覚の重複障害者(盲ろう者)ヘレン・ェラーは「私は決して広島と長崎を忘れません…人々は恐るべき状況にありながら、なおも与えようという気持ちを持っておられたのです。このような寛容さに対して私は一体どう答えればいいのでしょうか。」と語った。浜井信三市長はそのヘレンに冒頭の言葉を語った。広島は重い障害を背負っており、ヘレンの崇高な生き方をモデルにして歩んでいくと広島市民を代表して述べたのである。個人に生き方に広島市民が励まされたのだ。

九段サテライトにてインターゼミ。

 九段サテライトにてインターゼミ。

 始まる前。

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 バートル先生(国際交流委員長)から。

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金先生(アクティブラーニングセンター長)から。f:id:k-hisatune:20170527172513j:image

 

学長講話

  • 群馬県高崎高校で講演:AIと財政。小栗上野介パナマ地峡経由でワシントン。ウィラードホテル。フランスの力を借りて横須賀に造船所。西郷・勝会談の条件。無傷で新政権に譲渡。三野村利左衛門。益田孝の三井物産富岡製糸場の3人の女性。
  • インド史:オスマン帝国の壁。インドのムガール帝国とはモンゴル。
  • 大いなる多摩学会:リニア新幹線の相模原モデル。圏央道が9割完成。外環3道は5年いない。インフラ整備のインパクト。
  • BS11。文庫の見学。
  • 2017年5月:この夏をどう過ごすか?何を見てくるか?5月米国東海岸。6月香港。7月米国西海岸。8月ウイーンで中東エネルギー会議。9月モンゴル、、

「脳力のレッスン182ーインド史の深層:キーワードをピックアップ。

パンジャブ。インド・パキスタン分離。シーク兵のターバンと髭。即席カレー。天竺。ブッダバラモン教を基礎として登場した自由思想活動家・修行者。「我執を断ち、苦を滅却して生きる意味を問い詰めたブッダ成る存在」。人口13.3億のインド。13.7億のインド亜大陸ヒンディー語と英語。800を超す地方言語。灼熱の文明。ムガルとはモンゴル。古代インダス文明アーリア人の侵入。マウリア朝のアショカ王。ヒンドゥ教。玄奘イスラムの浸透。イスラム文化とヒンドゥ文化のモザイク構造。ムガル帝国の登場。インドの植民地化。英国東インド会社分断統治。文明化の使命。帝国の論理。英(綿製品)・印(アヘン)・中(茶、陶磁器)の三角貿易アヘン戦争。ボースとパル判事。影響力を残しながら後退する知恵。

 アジア・ダイナミズム班

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AI班。多摩学班。

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サービス・エンタテイメント班

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 「名言との対話」5月27日。広瀬武夫「杉野はいずこ」

広瀬 武夫(ひろせ たけお、旧字体: 廣瀨武夫1868年7月16日慶応4年5月27日) - 1904年明治37年)3月27日)は、日本海軍軍人。戦前は「軍神」として神格化された。

広瀬武夫中佐は1904年日露戦争旅順港口で37歳で戦死。ロシアに留学後、ロシア駐在武官となる。戦艦朝日の水雷長として日露戦争に従軍。第二回旅順港閉塞作戦で福井丸を指揮、同船の沈没間際まで行方不明の部下杉野孫七をさがしつづけ、やむを得ず救命ボートに乗り移ろうとした直後、頭部にロシア軍砲弾の直撃を受け戦死した。最近の研究によると、広瀬はその日(1904年3月27日)、ロシア戦艦レトヴィザンから複数の内火艇の射撃を受けて海中に落ちた。ロシア艦船が発見して引き揚げ、軍外(がい)套(とう)を着た状態で収容した。頭部以外はほとんど損傷はなかった。遺体は、広瀬がロシア駐在武官のころ交際した令嬢アリアズナの兄(ロシア軍大尉)らが確認。ロシア軍隊の軍旗、葬送曲を伴った完ぺきな栄誉礼をもって厳粛な葬儀が執り行われた。遺体はその後、旅順のロシア海軍墓地に葬られた。納棺の際にはアリアズナから贈られた懐中時計も発見された。

講道館新館2階の「資料室」の中に「殿堂」への入り口があり、その奥に「師範室」がある。資料室は柔道の誕生から世界200各国に伝播するまでの歴史の資料が展示されている。殿堂には、柔道界を担った先達の写真と経歴が記してある。この中に、広瀬武夫6段の名前を見つけた。嘉納治五郎は広瀬の戦死を聞いて号泣したという。

大分県竹田市の広瀬神社の中にある記念館では、80歳の祖母に送った二つの写真が紹介されている。海軍大尉の正装とふんどし姿の写真の2枚。昭和10年に建立された広瀬神社の一角に「陸軍大臣 阿南惟機 顕彰碑   岸信介書」という碑が建っている。

広瀬中佐は船倉から戻らぬ部下・杉野孫七上等兵を呼び続けた。この広瀬中佐の言葉は文部省唱歌に歌われている。広瀬中佐は、剛毅、果断、勇武、鬼、と呼ばれていたが、部下思いの情の人でもあったのだ。「杉野はいずこ」は軍神・広瀬中佐の最後の言葉だった。

今日はフルコース:多摩(学部授業)・九段(会議)・品川(大学院授業)

多摩キャンパス・九段サテライト・品川キャンパスのフルコース。

 午前:多摩キャンパス

  • 橘川先生と歓談

午後:九段サテライト

  • 大学戦略会議:本日のテーマは「地域」。経営情報学部連合。国際・観光学部連携。産学官民連携センター。学部ゼミは○○研究室。大学院・学部連携。総研研究員。院は産業界連携。、、、具体的なアイデアが満載の会議となった。
  • 第1回研究活性化センター会議:私立大学研究活ブランディング事業申請
  • 大学運営会議:非常勤採用。戦略会議報告。各セクション報告(離学対策)。決算速報。、、。

夜:品川キャンパス

大学院授業:テーマは「共謀罪」。朝日・毎日・読売・産経・日経・東京・河北・西日本・中日の各紙の社説と、国連特別報告者のケナタッチ氏の総理宛書簡が材料。以下、受講生の終了後の感想から。

  • 本日もあっと言う間の講義でした。文章の図解作業はインプットとアウトプットを同時に行う作業であり、すさまじい集中力を必要とする行為であると改めて感じた時間となりました。そして、共謀罪というテーマでの社説の図解。各新聞社の主張にそれぞれカラーがあり、1紙だけの情報を真実とすることへの危うさを実感しました。また、ほとんどの新聞には載らない事実があるなど、情報が溢れるなかで、真実を見極める情報収集力が必要であることを再認識させて頂きました。
  • 本日は共謀罪に関する各紙の社説を図解。担当した読売新聞は議論内容に深入りせず、政府頑張れ早くやれの論調。他紙ではとにかく反対やもっと議論を、など様々。ここまで主張(のみ?)が強いのかと驚きました。あらためて自分が政治に疎いことを反省しました。自分の意見を論理立てて主張できるほど理解出来ないにしても、概要や状況を理解するのに図解は効果が高いですね。今は各自の図解をそれぞれ順に概観していますが、一枚の図に対し皆で論点を確認しながら議論してみたいとも思います。
  • 共謀罪が危うい犯罪を防止するために、そもそもいいけど、犯罪の内容は曖昧なので断罪することをまちがえやすいと思います。例えば、計画階段ではどのように犯罪を明確しますか?具体的な行為がまだしないですから。一緒に犯罪するのは冗談かもしれないので、明確に断罪しにくいし、裁判をまちがえやすいし、政府が市民の自由を監視しすぎて、逆に市民が不安に陥ります。ですから、計画階段で共謀罪を裁判するのは無理だと思います。

  • 関係を考えながら図を書くということが、少しずつ少しずつ理解でき始めている気がした講義でした。同じテーマを取り上げた社説を皆で図解してみて思ったのは、考えるための判断材料を取り込むのも難しい、ということ。新聞や書籍以外にもテレビに雑誌、ネットなど情報を手に入れやすいからこそ、何が本質なのかという視点を大事にしなければならないと思います。

  • 内容について深くは言及しない地方新聞は, 中立的立場をとりながらも, どちらかというと国民多数派の見解を支持する傾向にあるらしい。【記事中身】UN職員ではないJ. Cannataci 氏の専任過程が不透明な中, 初動で「公開書簡」というやり方には疑問を感じるが, 指摘事項はするどく, 共感できる。というのも対米追従的な首相の理想国家に近づく改法案にはすべて反対であるからだ。これまで数カ国の監視社会で生活をしてきたが, 諸外国がどのような基準で「共謀罪」を制定し, 適用しているか考えたことがなく, また, 簡単に見えるものでもない。当該コンフリクトが続き, もし「国連脱退」を日本が選択した場合, 喜ぶ国々はどこなのであろうか。ちなみにFBアカウントがアメリカ政府にモニターされている事は否めないです, どの言語で書こうとも。
  • 共謀罪について日本の各紙の論説は、賛成にしろ反対にしろ手続きを批判しているものにしろ、落としどころをどのようにしたら良いかまでを考えた論説になっていないように思われました。結局は数の力で押し切られることを前提とした論説ではまずいのではないでしょうか。その点国連人権理事会から選任を受けたジョセフ・ケナタッチ氏の書簡は、懸念される問題点を指摘し、それに対する対応まで提案している点に日本の各紙の稚拙さを感じざるを得ませんでした。国内事情を優先して国際社会からどのようにみられているのかを無視する政府の現状を見ていると、戦前の日本の姿がだぶって見えるのは私だけでしょうか。
  • 各社様々な意見であることが発見でした。多様な意見が存在することは、議論を深めるという意味で良いことだと感じました。
    今回の講義を通じて、(スピード感を持続する前提のもと、)各論点についてさらに議論を深掘りする必要性を感じることができました。また、各社の意見、ファクトのリンクを集約したものがあると良いと仰っておられたのが印象的でした。「まじめなNAVERまとめ」みたいなサービスに対して需要あるかな?と思いました。
  • 共謀罪について各社の社説を読だ、そして共謀罪のいくつか問題点が出ました。一般人は対象外としているが、一般人かどうかを決めるのは政府。誰でも捕まる可能性はある。社会の監視の目が厳しくなる。警察による過剰な捜査が行われる。(電話やメールなどの盗聴、GPS捜査)個人プライバシーが侵害される。テロ対策のためにも共謀罪は必要ですが、しかしもう少し慎重的に考えばもっと良い結果が現れると思う。
  • 今日の講義の始めに、社会や歴史など因果関係があるものは図解が良い、というお話がありました。社会は想像しやすいですが、歴史は図解できいるというのが驚きでした。言われてみれば、歴史はつながっており、因果も一つの関係性と言えます。何かを中心において、その関係性を描いていくと、いろいろなものが図解できると言うことですね。現在の世の中や科学においては、因果関係がはっきりしない、複雑系非線形というものがあります。これらを図解で表現できるのか、今後の受講のテーマにしていきたいと思います。以前のレポートで「図解は捨てることが大切」と書きましたが、すべてを表現することでなく、本当に言いたいことは何かを明確にし、そうだとしたら足りないことや表現が弱いところはどこかを見直すツールとして活用でき、また、連続性を大事にする大企業にとっては、なんらかの因果関係を持たせて図解できれば、コミュニケーションはスムーズになると思いました。さて、今日のテーマの共謀罪、私は日本人がテロを計画したり起こしたりするとは全く考えていませんが、悪意を持って来日する外国の人はいるのではないかと思い、東京オリンピックまでに共謀罪の成立は国際組織犯罪防止条約に批准するためには当然のこと、と頭ごなしに考えており、全く内容を知らず、「共謀罪」と「テロ等準備罪」の違いも全く分かりませんでした。ちなみに、共謀罪は組織犯罪を計画した時点での取り締まりが可能ですが、テロ等準備罪は計画後に実行準備を行った場合、使用可能となります。計画段階で捜査する共謀罪は対象の犯罪が600以上ありましたが、テロ等準備罪では半分以下の277罪にまで狭め、より厳密な内容へと変更した、とのまとめがありました。277を減らせ、という社説はありましたが、共謀罪の時から半減したとは、いずれの社説にもありませんでしたね。(テロ等準備罪を今でも共謀罪と呼ぶのは新聞社ごとの判断だそうです)またすべての対象犯罪についてはなかなか情報がありませんでした。東京新聞のツイート画面くらいです。西條さんのご指摘通り、社説が全てではありませんね!あの意見には、本当にハッとしました。西條さん、ありがとうございます。東京新聞の対象犯罪の紹介方法は、分かりやすく伝えやすく、というより「ホラ見て、こーんなにあるんだよっ!」という意図を感じますが・・・。これらの情報を探していた中で驚いたのは、時事通信が『【図解・行政】「テロ等準備罪」対象犯罪の内訳』という記事を発信しており、おお!これで私たちへの宿題が減った!と喜んでクリックしてみたら、図などどこにもなく、表が一つあったのみだったことです。これで、図解と言うのか。衝撃の『図解』は、こちらです。また、久恒先生がおっしゃっていた、日本政府から国連特別報告者の所感への返信も見つけました。国連人権理事会の「プライバシーの権利」特別報告者による公開書簡に対する日本政府見解(外務省サイト)日本側は、「国際組織犯罪防止条例を締結するには必要な法の整備であり、すでに共謀罪として10年以上検討してきた。定義があいまいと言うが、対象犯罪はちゃんと定義している。そもそも、特別報告者が我が国の説明も聞かずに一方的に公開書簡を発出したことに強く抗議します。」と回答しています。テロは、昔と違い、悪の親玉がいて子分たちが起こすものではなく、見えないテロの共鳴者が勝手に計画して実行してしまうゲリラ戦のようなものが多くなっています。だとすると、それを取り締まる法律も情勢の変化に合わせなくてはいけないと思いますが、今回の講義でテロ等準備罪の内容を少し理解したので、これを核に膨大な情報の中から久恒先生のように、ちょっと毛色の異なる面白い情報を救い上げられる力が身についたらいいな、と思いました。

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  「名言との対話」5月26日。マイルス・デイビス「創造し続けようと思う人間には、変化しかあり得ない。人生は変化であり、挑戦だ」

マイルス・デューイ・デイヴィス三世Miles Dewey Davis III, 1926年5月26日 - 1991年9月28日)は、アメリカ合衆国ジャズトランペット奏者。

タモリがインタビューした時にはずっと絵を描き続けて、その絵をプレゼントした。そしてタモリが持参したトランペットにも絵を描いた。「自分の音楽をよく聴いてくれている」とタモリを褒めたというエピソードもある。

クール・ジャズハード・バップモード・ジャズ、エレクトリック・ジャズ、フュージョン、ヒップホップなど、時代に応じて様々な音楽性を見せ、ジャズ界を牽引したデイビスは「俺の音楽をジャズと呼ぶな」とも語っている。創造は変化の中にある。