「ほんとうの時代」(12月18日発売号:PHP)--岡本太郎(人物記念館の旅)

連載中の「人物記念館を訪ねる旅」の第4回。


 岡本太郎---「他人が笑おうが笑うまいが、自分の歌を歌えばいいんだよ」



2005年の愛知万博からさかのぼること35年、アジアで初の万博だった1970年の大阪万博のプロデューサーは岡本太郎(1911−1996年)だった。大学時代にあらゆる「選択」に悩んでいた時、岡本太郎の「原色の呪文」という厚い本を読んだ。その中に、私の迷いを解決する言葉があった。「迷ったら、失敗する可能性が高い方、自分がダメになる方を選べ。そうするとエネルギーが湧いてくる」。この言葉で、どちらを選んでもでもいいんだと思って気が楽になった。

 

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東京青山の骨董通りの近くの一角にある素敵な建物が「芸術は爆発だ!」で知られる岡本太郎記念館である。自宅とアトリエを兼ねていたが、生前そのままに公開している。


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庭には、「座ることを拒否したイス」というテーマの椅子が17脚ある。そう言われると逆に座りたくなって(そういう気落ちにさせるのが目的かもしれないが)その一つに座って庭を観察する。


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縄文文化の発見者であった岡本太郎は、過去と未来とを橋かけるという、もっとも創造的で現代的な課題に取り組み素晴らしい業績もあげた。だがこの人の場合、岡本太郎という人間の傑作が現われたことに高い価値がある。岡本太郎のどんな仕事を語っても結局は岡本太郎論になってしまうという不思議さ。「なれるなら岡本太郎になりたい」と石原慎太郎が語っているほど魅力的な岡本太郎は、あの「太陽の塔」のように日本人の中でただ一人屹立している。