日曜日の午後、思い立って松島の藤田喬平美術館を訪ねた。今回で3回目の訪問である。ガラス工芸の藤田喬平の美術館は、松島の老舗ホテル「一の坊」の敷地内にある。館長は一の坊を経営する高橋征太郎さんである。
1996年の開館にあたって藤田は「ヴェネツイアと松島は似ている。この水と緑の風景は、日本における私のライフワークの源である」と述べている。
美術館には飾ばこ、カンナ文様の花器類、オブジェ、茶道具など、ガラス工芸の粋のすべてを見ることができる。また芭蕉が「扶桑第一の好風」とたたえた松島の絶景も館内から眺めることができるのもこの美術館の素晴らしいところである。
藤田喬平は1921年生まれのガラス工芸初の文化勲章受賞者で2004年に83歳で逝っているから、初めて訪れた時はまだ存命だったということになる。藤田のやっとことは、桃山期の本阿弥光悦、俵屋宗達らによって始まり尾形光琳らによって江戸期に完成した琳派様式をガラスという素材を使って新たに表現するという試みだった。つまり「ガラスによる琳派」の実現だった。
「流」「實」「紅白梅」「竹取物語」「「夜桜」「羽衣」「紅葉」「ヴェニス水指」「ヴェニス花瓶」「「ヴェニス花炎」「ヴェニスぐい呑み」など、ため息がでるような色彩鮮やかな流形美のガラス工芸品はもちろんだが、今回は「喬平語録」に焦点をあてて館内をまわった。
平成14年11月3日の文化勲章を受章した時の写真では、小泉総理(ほんの数年前だが今と比べると髪もあまり白くなく若々しい)と受賞者6人が並んでいる。国際経済学者の小宮隆太郎、映画の進藤兼登、航空宇宙工学の近藤次郎、小説の杉本苑子、質量分析学の田中耕一らと並んで81歳のガラス工芸の藤田の顔が見える。各地の記念館で文化勲章受賞時の記念写真を見ることが多いが、同時代の各界の逸材を横並びに見ることができいつも興味深く見ている。
喬平語録
・作家というのは本当は六十からが勝負
自分の持ち味が出せるようになるんだ
若いうちは自己主張が強くなるが
人間を積み重ねることによって力を抜けるようになる
手を抜いているようで手を抜かない
これが出来ないと、、、
・この作品は私がつくったのではない。ガラス自らがつくったのだ
(紅彩)
・宗達、光琳、彼らの素材にガラスがあったならいかなる作品を作ったであ
ろうか
・人間は百年も生きられぬ。生きている間、悔いを残さぬような生き方をし たい
・日本を出発する前にヴェネツイアでの作の構想は一切立てていない。、、、、、、、、、かの地に心と体をなじませっていくうちに想は自然に生れてくる
・「美」というものに対しては日本も外国もなく、「美しいものは美しい」 という見方があるんだね
・趣味なんか持っていたら、仕事なんかできないよ