「私の履歴書---保守政権の担い手」(日経ビジネス人文庫)を読了。
1896年生まれの岸信介。1898年生まれの河野一郎。1905年生まれの福田赳夫。1914年生れの後藤田正晴。1918寝年生まれの田中角栄。1918年生まれの中曽根康弘。戦後の自民党政権を担った大物政治家たちの独白集だ。
96歳でまだ元気で政治への提言を続けている中曽根康弘以外は、すでに鬼籍に入っているが、彼らの動静は私の歩んできた時代と重なることもあり、興味深く読んだ。
それぞれ人間味があって面白いが、田中角栄の28歳で代議士になる前の履歴書は出色である。
越後の農村、幼い日々、校訓、競馬と借金、派遣所生活、上京、星の夜、書生になる、五味原夫妻、夢との訣別、大河内先生、共栄建築事務所。雪の夜、徴兵検査、新平生活、九死に一生、朝鮮に工場建設、代議士立候補。この波乱万丈の話が、まだ20代のことである。
具体的な事件、師たちの言動や訓戒、実らぬ恋など小さなエピソードの連続で、その都度ホロリとさせられたり、苦笑させられたりするが、その最後に必ず自分自身への戒めを述べている。そういった小さな成長の積み重ねが人間・田中角栄をつくっていったことがよくわかる。受け止め方次第なのだということがよくわかる。厳しい目線を持つ評論家の小林秀雄が日経への連載中に文章を褒めていたということを娘の真紀子が伝えたそうだが、小林秀雄って誰だ、と聞いたというエピソードも田中角栄らしくいい。この文章は自伝や自分史のモデルだと思う。角栄は一時は小説家を目指していたこともある。
妖怪・岸信介の秀才ぶりはよく知られているが、本人の口からは意外な事実が語られる。
一高の入学試験で我妻栄が一番で、田舎から出てきた岸は都会で映画や芝居にはまり、最後から2,3番であった。一高では旧制高校の寮生活を満喫するが、勉強にも励み東大では後に民法の大権威となった我妻栄と同点同分の一番であった。
卒業後、農商務省に入り官僚生活が始まるまでの履歴書である。まだ自叙伝を書く時期ではないということから、戦犯として巣鴨刑務所から出るまでの第一の人生の青春部分を書いた。第二の人生はもうけものであり、栄辱はなんら問うところではない、と冒頭に記している。
党人派政治家の代表である河野一郎。
- 大学を出てからの10年、20年、二十代、三十代をどういうふうにして送るかということが、人間をつくる上において一番大事なことだと思う。
福田赳夫。
書架に100冊以上の小さなノートが並んでいるそうだ。政治家になてからの折々のメモの集積である。その福田メモをが私の履歴書の骨格になっている。福田は造語の名人だったように記憶している。昭和元禄。日本経済は全治3年の重傷症。昭和の藤吉郎。福田ドクトリン。
- 身を殺して以て仁を為す。是上州人。
- 孫は全員「先生」と呼んでいる。
- 総理・総裁は推されてなるもので、手練手管の限りを尽くしてかき分けてなるものではない。
- いずれ近い将来日本国がこの福田赳夫を必要とするときがなからずやってくる。
- さあ働こう内閣
田中角栄。先生と父親、母、妻、友人などから得た人生訓に満ちていて、信条がよくわかる構成になっている。
- 二田尋常小学校の校訓「至誠の人、真の勇者」「自彊不息」「去華就実」
- こんな不正は世の中から断固追放しなければならない
- 状況時の母親「大酒は飲むな。馬は持つな。できもせぬことは言うな」
- 母「働いてから休む方がよい。悪いことをしなければ住めないようになったら郷里へ早々に帰る事。金を貸した人の名前は忘れても、借りた人の名は絶対に忘れてはならない」
- 母「男は腹巻に必ず十円札一枚入れておきなさい」
- 相手の「ものさし」にあわせて考えないと失敗するぞと、強く感じた。
- どんな人のことでも不注意よる過失については、絶対にこれをとがめずの原則を立てたし、妻や子供にも強くこれを求めている
- 覚えなければならぬものは全て暗記する主義
- 新婚の妻から3つの誓いをさせられた「出て行けといわぬこと。足げにしなこと。将来二重橋を渡る日があったらかなず同伴すること」。、、この3つの誓いを守って、ことしで25年目を迎えるのである。、、彼女の方が私より一枚上手であったようだ。
- 政治家の場合、「私の履歴書」に登場することは、読者を裁判官とする歴史の法廷に被告として立つことである。
- 人生には栄辱がつきものだが、我々の場合は栄は妻が作り、辱は私が起こした。その意味でこれは「私の履歴書」ではなく、「私と妻の履歴書」である。
- 仲人は小学校の入学式で「この子は西郷隆盛のようになる」と頭をなでてくれた落合達二先生になってもらった。
- かつて「風見鶏」と批判された。しかし風向きを知ることは操艦の第一歩である。風によって身体は動かすが、足は一点にしかkり固定している。これが風見鶏である。
- 取得可能なあらゆる戦力を体系の中に組み入れ、現状を積極的に打はする決戦体制をしく以外にない。
- 父「代議士になるなら佐倉惣五郎のようになれ」
- 徳富蘇峰「大陸に手を出す時はよほど慎重にならねばならない。神功皇后、豊臣秀吉、大東亜戦争、すべて失敗の歴史だ。将来もおおやけどをしますよ。」
- 真に欠乏しているのはパンではない。魂の糧なのである。
- 二十世紀最大の発見である原子力の平和地用を講和条約で禁止されたら、日本は永久に四等国に甘んじなければならない。
- それから7年間、私は閣僚にも国会の委員長にもならず、すべて他人に譲り、時間を殺す工夫をした。趣味を豊かにし、将来の勉強になることを心がけ、本線を外れて、引き込み線に入った。
- 人事は恐ろしい。
- 政治哲学「政治家は実績であり、内閣は仕事である」
- ようやく手に入れた政権である。その権限を余すところなく駆使して、思い残すことにないようにやる決意であった。、、中曽根内閣は猛烈なスタートダッシュでいく。半年で勝負をつける。それで倒れてもいい。
- とう小平「楽観」
- 結局、親密に往来する仲間は親戚、同窓、職域、地域あどのせいぜい5、60人に過ぎない。