辞世においてはじめて人はみずからの生と死を総合的にとらえることができる。
それが死生観である。
死生観とは、死において生を観ずることである。
人の死を語ることは、その人の生きざまを語ることになる。
だから、誕生日よりも命日が重要なのだ。
日本では辞世を遺すという文化はすでに消えているが、死に臨んで詠む歌や句は心を打つ。
在原業平:つゐに行く道とはかねてききしかど 昨日けふとはおもはざりしを
西行:願はくは花のもとにて春しなん そのきさらぎの望月のころ
道元:春は花夏ごととぎす秋は月 冬雪さえて冷すかりけり
良寛:形見とて何かのこさん春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉
浅野匠頭:風さそふ花よりもなほわれは又 春の名残りをいかにとかせん