辞世と死生観

辞世においてはじめて人はみずからの生と死を総合的にとらえることができる。
それが死生観である。
死生観とは、死において生を観ずることである。

人の死を語ることは、その人の生きざまを語ることになる。
だから、誕生日よりも命日が重要なのだ。

日本では辞世を遺すという文化はすでに消えているが、死に臨んで詠む歌や句は心を打つ。

在原業平:つゐに行く道とはかねてききしかど 昨日けふとはおもはざりしを
西行:願はくは花のもとにて春しなん そのきさらぎの望月のころ
道元:春は花夏ごととぎす秋は月 冬雪さえて冷すかりけり
良寛:形見とて何かのこさん春は花 山ほととぎす秋はもみぢ葉
浅野匠頭:風さそふ花よりもなほわれは又 春の名残りをいかにとかせん

  • 1月24日:幸徳秋水:爆弾の飛ぶよを見てし初夢は千代田の松の雪折の音
  • 2月23日:山下奏文:満ち欠けて晴と曇りに変われども永久に冴え澄む大空の月
  • 2月28日:千利休:提る我が具足の一つ太刀 今此時そ天に抛つ
  • 8月15日:阿南惟機大君の深き恵みに浴みし身は 言い遺すへき片言もなし
  • 11月6日:滝沢馬琴:世の中のやくをのがれてもとのまま かへるはあめとつちの人形
  • 11月21日:銭屋五兵衛:初鶏や家家けっこうな八重の年
  • 12月10日:太田垣蓮月:ねがわくはのちの蓮の花のうえにくもらぬ月をみるよしもがな
  • 12月23日:東条英機:さらばなり苔の下にてわれ待たん大和島根の花薫るとき