品川キャンパスの大学院で、「修士論文基礎講座」シリーズの最初の講義を担当。
講義タイトルは「図解・修士論文の書き方」。今年春学期入学の社会人を中心に21名が受講。
以下、終了後のアンケートから。
- 論文を書くことに先ほどまで恐れていましたが、少し気が楽になった。つながり、関係性、広がり、例え、、、。
- 全体像をまず自分が理解することが重要であると認識。自分が書く文章は時間がかかるわりにわかりづらいのは全体図をつくらずに書き始めるからだ。関係とつながりが一目でわかることが図の強みであるということが腑に落ちた。
- 春学期の講義全体の要約のごとき内容だった。まるでNHKの大河ドラマの総集編をみているかの如く、非常に良い復習となった。まさに修士論文においても全体の設計図を描いてから始めるべきだと再認識した、100枚以上の論文も苦しむことなく書き上げることができそうだ。やはり、図解はスバラシイ!
- 実習に取り組む中で、新しい考えが浮かぶという体験。9月いっぱいかけて修士論文の設計図を書きたい。今日の講義でだいぶ不安が和らぎました。
- 文章からではなく、図から考えて書くこと。図はシンプル。図をそのままパワーポイント資料に。この3点を学んだので論文はもちろん仕事でも活用したい。
- 前期の講義を受けたが、やはり定期的にブラッシュアップしないと上達しない。忘れていた感覚を取り戻した。
- 皆さん、目を輝かせているのが印象的でした。
- まとめやすくなった。
- 図は全体の構造と個々の関係を表す共通言語である。図解できなければ理解できていないと言うことを実感。
- 大変有意義な内容。納得できた。
- まず自分の中で書きたいことをはっきりさせること、それを図にすることが重要であることを身をもって体験できました。「全体像」「関係性」、この意識だけでも文章の進め方が大きく変わることを実感しました。
- この講座に参加し、とても役に立った。この方法は初めて聞いた。来年の講義にでます。
- すごく勉強になった。文章の書き方ではなく、設計図が大事だということは考えていませんでした。論文を書くのが簡単に。
- 文章を構造的に書く。
- 図を使うと文章の論理性がはっきりしてくる。
- 考え方が参考になった。
- 図を見ながら書いたら書きやすかった。最初は慣れなかったが、練習すればうまく書けるようになると思う。
「名言との対話」9月7日。吉川英治。
- 「夫婦の成功は、人生の勝利です。人間の幸福なんていうものは、この辺の所が、最高なものではないでしょうか。、、、帰するとことは、平凡なものです」
- 吉川 英治(1892年(明治25年)8月11日 - 1962年(昭和37年)9月7日)は、日本の小説家。幅広い読者層があり、国民作家と呼ばれた。
- 実家の没落で11歳で小学校中退となった吉川英治は漆器職人など職を転々としたが、32歳から本格的に作家の道を歩みだす。「剣難女難」、「鳴門秘帳」、「親鸞」、などを書き花形作家となる。昭和10年から4年にわたって朝日新聞に連載した「宮本武蔵」では、剣禅一如の道を歩む新しい武蔵を書いた。この連載と本は、求道、克己、そして絶え間ない向上心がテーマであり、人生の書として人気を博した。読売新聞に連載した新書太閤記、三国志、戦中はペンの従軍として各地を訪問していたが戦後はしばらく絶筆。その後7年間にわたり大作「新・平家物語」に没頭する。「権力の魔力」をテーマとして次にとりかかったのが毎日新聞に連載された「秘本・太平記」である。最後の作品が「新・水滸伝」だったが、これが絶筆となって、50年余にわたる作家生活を閉じている。
- 「「大衆即大知識」という言葉も好きな言葉だった。まさに大衆とともに生きた国民作家だった。
- 吉川英治は恋愛よりも、家族愛を描くことに自らの資質を自覚していた。それを骨肉愛と表現している。親子、兄弟などの骨肉の愛情を描くことがテーマだった。だから多くのファンを魅了したのだろう。
- 「逆境に育ち、特に学問する時とか教養に暮らす年時などは持たなかった為に、常に、接する者から必ず何か一事学び取るということ忘れない習性を備えていた。、、」と秀吉のことを書いたが、それは「吾以外皆師」を座右の銘にしていた吉川自身でもあった。
- さて、「夫婦の成功」についてのこの言葉には深く共感する人が多いのではないだろうか。これはなかなか難題である。平凡なことでもあるが、実は最高の幸福なのだろう。
今日のオーディブル