今日は、辰濃和男の命日で、まだこの人のことを書いていないと思い込んで、『文章の書き方』(岩波新書)を熱心に読んだ。しかし既に「名言との対話」で取り上げていたことが後でわかった。「辰濃」という字ではなく、「辰野」と間違っていたのが原因だ。気を取り直して、安保徹を書いたのだが、この本の紹介をしておかないと後で後悔すると思い、気力を振り絞って書くことにする。
東京生まれ。1953年東京商科大学(一橋大学)卒業。大学では、加藤秀俊(社会学者)と語学のクラスの同級生だった。大学卒業後朝日新聞社入社。ニューヨーク特派員、社会部次長、編集委員、論説委員、編集局顧問を歴任。この間1975年から1988年まで「天声人語」を担当。1993年退社。1994年朝日カルチャーセンター社長。日本エッセイスト・クラブ理事長も務めた。
辰濃は、「まえがき」で、いい文章を書くということは、日常の暮らしのありようと深いつながりがある。己自身の心の営みをさらけ出すことになるとその文章観を語っている。つまり文章読本は、人生読本につながるという。偉い人たちの人物論を毎日書いていて、こちらの人生観や心の営みを問われている感じがする。
この本の特徴は、第1章は「素材の発見」として「広場無欲感」、第2章は「文章の基本」として「平均遊具品」、第3章は「表現の工夫」として「整正新選流」と奇抜な編集をしているところだろう。それぞれの項目で高名な名文家のジャーナリストたちの文章論や文章そのものをとりあげてくれている。池波正太郎、向田邦子、沢村貞子、森本哲郎、沢木耕太郎、中谷宇吉郎、里見弴、本多勝一、中野重治、笠信太郎、吉行淳之介、丸谷才一、幸田文、谷崎潤一郎、勝小吉、江國滋、井伏鱒二、、、、、。彼らの文章論や文章そのもののポイントを抜き出してくれているからありがたい。
この本で特に大事なところは、第1章の「広い円」だ。「円が大きければ大きいほど、穴も深くなります」「広い円を描いて準備をすれば、内容の深いものが生まれます」、と広い視野で学ぶことをすすめているところだ。
その方法として日記を書くことをすすめる。「たのしんで書けるようになればしめたものです」。福沢諭吉は緒方塾の若い時代は、せせこましい目的に沿って本を読まずに、ひたすら学んだ。それが深い思想になっていくという見立てだ。そして優れた文章の書き写しをやりなさいとすすめている辰濃の場合は、愛用したルーズリーフ形式のノートに書きうつしたノートとなる。
私はブログ日誌と人物の名言を続けて、日々の読書のエキスや人物の名言などを意識して抜き出している。とりあえずまとめておく、検索し「同似・異反」を組み合わせて自分独自の文章を書いていくというやり方が定着してきた。自分のテーマだけでなく、自分が目にした情報を書き留めるという広い円を毎日掘り続けているから、時間がたつにつれてしだいに穴が深くなりつつあるような気がしている。
この『文章の書き方』は、福沢諭吉から始まり、福沢諭吉で終わると総括してもよい。福沢の書いた文章を大量に何度も読んだ結果、平明で、身の丈に合った言葉を用い、絵画的表現がうまく、比喩の巧みさが際立っているという。
「漢字は3割程度を一応の目安」としているという。私の場合はどうだろう。やや漢字が多いかもしれないので、この点は参考にしたい。
色名事典、中村祥二『香りの世界をのぞいてみよう』」、『福沢諭吉の開口笑話』なども手元に置いて置きたい。
107歳まで生きた名僧・大西良慶については、私は「ゆっくりしいや」をとっているのだが、この本の最後の方に「「平凡から非凡になるのは、努力さえすればある程度のところまで行けるが、それから再び平凡にもどるのが、むつかしい」という言葉が紹介されていて、感銘を受けた。今年書いた文章の中で私も紹介している。
2014年3月にNPO知研の総会にお呼びした。この時、浦和高校のサッカー部出身だということを知った。あれから4年たたずに77歳で亡くなっている。
『歩けば、風の色―風と遊び風に学ぶ〈2〉』(朝日ソノラマ)では、「この世を救う妙薬、こころを柔らかくする妙薬があるとすれば、その筆頭は歩くことだ」との名言を手にした。他に『四国遍路』(岩波新書)も読んだ。
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・授業準備「修養・鍛錬・研鑽」
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「名言との対話」12月6日。安保徹「無理せず、楽せず」
安保 徹(あぼ とおる、1947年10月9日 - 2016年12月6日)は、日本の医学者。医学博士。専門は免疫学。
1972年東北大学医学部卒業。1990年-新潟大学医学部教授に就任。1996年-白血球の自律神経系支配のメカニズムを解明。2001年-日本自律神経免疫治療研究会理事長就任。2013年新潟大学を退職。2016年12月6日逝去。
安保徹は「病気は自分で治す」という免疫学の大家で、一般向けの本を多量に書いたりしている実践家でもある。
「健康」が至上命題となっている現今の世の中は、医者を中心にいくつかの宗教のような考え方がある。「病気にならない生き方」の新谷弘実や「体をあたためればすべての病気がなおる」と主張し断食サナトリウムを経営する石原結実などそれぞれに強烈な信者がいて、それぞれの聖書ともいうべき書物を読み漁っている。
「免疫革命」で有名な安保徹先生の著書は私もいくつか読んでいる。月刊「現代」の2018年8月号に「還暦から始めるアンチエイジング」というインタビュー記事があったので買って読んだことがある。
60歳を迎えた安保は仲間の医師から「最近ちょっと皮膚が汚くなってしまったんじゃないか」と指摘を受ける。「健康な生活を説く書物の執筆に忙殺され、結果、自らの免疫力を低下させてしまったのですから、こんな皮肉な話はありません」。
安保の自己診断は「執筆に追われ、イライラも募り、他人に健康を説きながら自身の健康を顧みる余裕がなかった。相当に無理のかかった体になっていたのでしょう」だった。毎日15分間、上半身を鍛える運動を続け、免疫力を活性化させた結果、首周りや顔からは、一切のシミが消えたそうである。この正直な文章を読んで読んで吹き出しそうになった。
これに似た話を思い出した。『知的生産の技術』という戦後の岩波新書で最近まで一番よく読まれた本を書いた梅棹忠夫は意外なことに遅筆で有名である。書いたものを読むとやさしい言葉で目からうろこが落ちるような見方を流れるように説明する。だから熱烈なファンが多い。この梅棹先生から編集者が原稿を受け取るのは、なかなか難しいらしい。知的生産の技術研究会の八木哲郎会長からも、本の前書きを頼んでも「桜の咲く季節には、、、」といわれて春に訪ねると、「紅葉がきれいになったら、、、」といわれて途方にくれたという思い出話を聞いたことがある。
この梅棹先生のエッセイを読んでいたら、なかなか原稿を書いてくれない先生に、ある編集者から「こういう本がありますよ。参考にされたらいかがですか」という手紙とともに『知的生産の技術』が同封されていて、驚くと同時に申しわけないと反省したという文章があった。梅棹先生の文章のうまさと編集者のユーモアのある原稿催促の方法にどちらもさすがだと感じたことがある。
私にも思い当たる節もあるが、著者は「こうしたらいいい」ということを本に書いてるのであって、「自分はこうしている」と書いてあるのではないということだろうか。読者としても、こいうこともあるということを知っておいた方がいいかもしれない。
「人間の体は精緻なしくみによってしっかりと守られています。運に左右されるようないい加減なものではありません。体の無理、心の無理、などの日々の習慣が病気を作っています」
「無理しても血管収縮による低体温」になる、「楽しても代謝抑制による低体温」になる。そして「冷えは万病のもと」になる。体を温め、食事や睡眠に心を配って、自分で免疫力を高めることが大事だ。そのためには、すぐに病院に行かない、医師にカラダの不調を訴えない、そういう強い意志を持てという主張は明快で、多くのファンがいて、私もその一人だった。