リモート「読書会」を始めて2年半たったーーリアル、リモート、ハイブリッド

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コロナ禍で手にしたZoomを使って、2022年7月から数人の仲間と月1回のリモート読書会を始め、2年半たった。

毎回、参加者から自分では絶対に手にとらないと思われる本を紹介してもらい、頭の酸化を防いでくれている。

メンバーは気心の知れた仲間が中心だが、毎回新しいメンバーが入れ替わりで現れ刺激を受ける。いわば、半固定の読書会だ。

本の紹介の仕方も様々だ。本の表紙を見せながら口頭で説明する人、大事な文章を抜き書きして解説する人、本の内容を図解して説明する人もいる。

最初は、『文藝春秋』創刊号、『私の死亡記事』など気合をこめて一冊の本を紹介していたが、半年ほどたった時点で、一人の作家の本をまとめて読んで、その作家のテーマをさぐるやり方に変化している。例えば、平野啓一郎半藤一利瀬戸内寂聴、今村翔吾、、、。

また、あるテーマで数冊の本を選ぶこともしている。「太平洋戦争前後」、「コンピュータとAI」、「歴代総理の回顧録」、「日本ラグビー史」、、、など、読書遍歴を少しずつまとめる機会にもなっている。

この読書会の主催者側の年長者であるため、全員が発表した後、総括の感想を求められることが多い。バラバラの本同士の関係を考えながらメモをとっていくのだが、その生成された「場」のテーマを考えるという頭の体操だ。例えば、「よりよく生きる」「間違い・失敗から学ぶ」「人生」「人間」「成長と成熟」「方法論」「日本および日本人」、、などと総括して参加者に納得してもらえることもある。

山口瞳のエッセイを取り上げた時は、事前に舞台となっている国立市の喫茶店や寿司屋をめぐるフィールドワークもした。メンバーの人脈で著者や編集者が参加したときは、やはり盛りあがる。

「知の巨人」と呼ばれた外山滋比古は、気心の知れた少人数の仲間とのリアルな読書会の効能を語っていたが、このリモート読書会も捨てたものではない。逆に時々は、リアルの読書会もやってみようか。

2025年からはコロナ禍で手にした広く浅いリモート読書会と、狭く深いリアル読書会を統合した「ハイブリッド読書会」に進んでいこうかな。

私たちは、あの忌まわしいコロナ禍をくぐって、読書の楽しみが増えた新しい世界を生きているのだ。

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「川柳まつど」に毎月投句している川柳2024年版として冊子にする準備を始めた。

108句。月毎、宿題、入選句、イラスト。いつもと違うスタイル。毎年1冊に。

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「名言との対話」7月23日。磯崎新「境界線、いいかえると閾の所在を見つけること、そこに錯綜する視線をときほぐすこと、それがいちばん緊張感の生まれるところで、私の思考もここに集中している」

磯崎 新(いそざき あらた、1931年昭和6年)7月23日 - 2022年12月28日)は日本建築家。享年91。

大分県大分市出身。 1954年東京大学工学部建築学科卒業。 59年同大学院修了。丹下健三氏に師事。 1963年独立。東京大学ハーバード大学客員教授、国際コンペの審査員などをつとめる。 1970年代から 80年代にかけて近代建築批判を展開、「建築の解体」「見えない都市」「大文字の建築」などさまざまなキーワードを提示して日本建築界をリードした。

主要作品は大分県医師会館 (1963) 、群馬県立近代美術館 (74) 、北九州市立美術館 (74) 、北九州市立図書館 (74) 、古典様式を用いてポスト・モダン建築として注目を集めたつくばセンタービル (83) 、水戸芸術館 (90) など。

ロサンゼルス近代美術館 (86) 、バルセロナのサンジョルディ・スポーツ・パレス (90) など国際的に活躍。日本建築学会作品賞 (67、75) 、芸術選奨新人賞 (69) 、RIBA (イギリス王立建築家協会) 金賞 (86)、,朝日賞 (88) など多数受賞。著書に『空間へ』 (70) 、『建築の解体』 (75) 、『建築の修辞』 (75) 、『建築という形式』 (91) などがある。  

磯崎新は、日本を「外来文化の輸入、模倣と洗練を通じた外来文化の「土着化」、輸入した創造的衝撃を消費することによって生じる不可避の動乱、そして新しい刺激を求めて外部世界に対し再開港していく、というサイクル」と見ている。それを前提として、建築界に切り込んでいく。

磯崎新の思考力』(王国社)を読んだ。

師の丹下健三がつくった広島の原爆慰霊碑についての記述がある。アメリカは、慰霊碑を作るのは反対。日本はアメリカがアメリカ人のつくったもので死者の魂が慰めらえるか、と慰霊碑をつくるのは許さない。イサム・ノグチははずされる。丹下は「平和への祈り」にシフトしていく。その結果が広島平和記念館だ。

「工事中の広島ピースセンター」という丹下健三の撮った圧巻の写真がある。広島平和記念館の位置はかつて墓地だった。写真の下半分は墓碑が林立する墓場で、その先には建築中の平和記念館がある。原爆の死者たちとその先祖がいるそこに、あらためて死者をまつる施設をつくろうとする建築家の視点がわかる。磯崎はが学生のころ、この撮影者と同じ位置に立って、生と死が重層してみえる過程にかかわる仕事があると知った。そして丹下に弟子入りする。

この本では、丹下健三論が多い。弔辞も弟子を代表して磯崎が読んでいる。磯崎は近代国家日本の最初の建築家であり、最後の人でもあった。ピロティの高さ、プロポーションの長方形は畳や障子に近いという分析をしている。丹下は20世紀の廃墟に直面した世界でただ一人の建築家だという。

磯崎は大阪万博丹下健三の大屋根のアイデアをだした。そこに岡本太郎太陽の塔で大屋根をぶち抜くと主張して大騒ぎになった。磯崎はアナクロなデザインで驚く。理解不能な不気味な姿を磯崎は、日本の地霊だと感じる。結果的には太陽の塔だけが生き延びたことになる。1970年の大阪万博は日本の最後のイベントだ。国家的祭典は終わったと喝破する。愛知万博も意義を認めない、そして「東京五輪2020」も同じようにおもっているのではないか。

9・11世界貿易センターに自爆機が突っ込み崩壊させる。テクノロジーの極致といえる産物が同じテクノロジーの別の産物によって破壊されたとみる。その結果、「グラウンド・ゼロが冗長性(リダンダンシー)を増加させる?」との予想もしている。「10年後、上海と東京には大きな差が現れる」、「首都移転ーー志なく動機も見えず」、、。
磯崎の作品は国内、海外にも多い。私がみたことがあるのは3つの建物だ。福岡相互銀行本店は、福岡のまちに降り立つときはかならずみている建物だ。大分ビーコンプラザは2005年に別府市で医師会設立の看護専門学校50周年記念総会で、医師・現役看護師・看護学生ら700人を前に大ホールで講演したときに、そのスケールの大きさに驚いた記憶がある。2012年に群馬県渋川市伊香保のハラミュージアムアークを訪問した。 品川御殿山の原美術館の分館の磯崎設計の建物がユニークだった。

磯崎新は建築そのものもいいが、その根底にある思考とそれをあらわす言葉も心に刺さる。この本の「あとがき」に「真に今日的な文化上の問題の所在は、さまざまな専門化された領域間の境界線上に発生しており、この境界線、いいかえると閾の所在を見つけること、そこに錯綜する視線をときほぐすこと、それがいちばん緊張感の生まれるところで、私の思考もここに集中している」と書いている。

境界線、閾、錯綜する視線、緊張感、思考の集中。分断化された専門領域をまたぎ、横断的、総合的、全体的な把握と思考の営みが求められているという主張には共感する。

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