高円寺で橘川ワールドの忘年会ーーサブカルチャー、アウトロー、未来を感じる若者たち

高円寺の居酒屋「バーミー」で、橘川ワールドの忘年会。18時から22時前まで、サブカルチャーアウトロー、荒っぽいが未来を感じさせる若者たちとの不思議な交流忘年会。

f:id:k-hisatune:20241227051334j:image雑誌「イコール」4号を入手。

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17時ころ、都築さんと高円寺で同じ電車から降りたところで遭遇。一緒にシェア書店「本の実験室」を覗く。「ロコール」、「ハコール」を購入。高円寺という街に興味。
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深呼吸書店の棚。


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「名言との対話」12月26日。菊竹清訓「日本型住宅が、21世紀の世界の理想になる」

菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本の建築家。享年83。

 福岡県久留米市生まれ。早稲田大学在籍中の1948年に行われた「広島平和記念聖堂」のコンペで、学生ながら丹下建三に次ぐ、前川國男と並ぶ3位となる。

1953年に独立。1960年に川添登黒川紀章らと結成した、社会の変化に対応し代謝・更新する建築、都市を提案する「メタボリズム」グループの中心的な存在となる。2000年にユーゴスラヴィアビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。

若き日に出雲大社をみて開眼し、「私の原点は出雲にある」という。それを裏付けるように、建築評論の川添登は「菊竹清訓論は出雲大社の『出会い』から始めなければならない」と述べている。縁があり山陰地方には「島根県立博物館」「島根県立図書館」「出雲大社庁の舎」「田部美術館」「東光園」「萩市民館」など5菊竹の代表作11件が集積することになった。

1970年の大阪万博から、沖縄海洋博、つくば科学万博、そして2005年の総合プロデューサーをつとめた愛知万博まで深く日本国内で開催されてきた国際博覧会にも深く関わっている人だ。また「海上都市」がライフワークであり、1971年にはアメリカ・ハワイ大学で研究・実験に取り組み、1975年の沖縄国際海洋博では政府館〈アクアポリス〉として実現させている。

菊竹の建築は、代謝・更新する建築だ。都市における、残すものと代謝更新するものを選びながら進化を続けるという思想である。弟子の一人の伊東豊雄は、「恐らくこのような狂気を秘めた建築家が今後あらわれることはないだろう」と菊竹を語っている。

『日本型建築の歴史と未来像』(学生社1992年刊)を読んだ。日本の建築の歴史は、400年ごとに前の形式を包括しながら高度化し次の形式が生み出されてきたとする。4世紀の古代は竪穴・高床。8世紀の平安時代は貴族文化の「寝殿づくり」。12世紀の鎌倉時代武家社会の「書院づくり」。16世紀の桃山時代は町人文化の「数寄屋づくり」。そして現代の市民社会はでは「自在づくり」が出現するだろうと予測している。

この進化400年説によると、高床づくりは建て替え、寝殿づくりは棟別の改築、書院づくりは増改築、数寄屋づくりは更新・再利用や資源の有効活用など、しだいに生活の自由度が増してくるという見立てである。

日本は作り手よりも「住み手オリエンテッド」な住宅だそうで、誰が住んでいたかが重要だ。逍遙、漱石などに代表される教養のある住み手にとっていちばん楽しいのは、自由度の幅が広い日本の住宅ではないかという。

菊竹清訓の作品は 、石橋文化センターベルナール・ビュフェ美術館、井上靖文学館、奈良公園館(なら・シルクロード博覧会)、アクアポリスなど多いが、以下、私が訪問したことのある建築をあげてみたい。いずれも不思議な形や、存在感の強い作品だ。旧ホテルCOSIMA (ソフィテル東京)、銀座テアトルビル(ホテル西洋銀座)、西武百貨店渋谷店SEED館、西武百貨店渋谷店LOFT館、江戸東京博物館昭和館九州国立博物館 。なるほど、こういうものが菊竹の思想をあわらした作品だったのかと改めて感心した。

2021年11月に『あすなろ物語』に登場する愛鷹山山麓にある井上靖文学館を訪問した。静岡県長泉町クレマチスの丘にある。井上靖文学館は、1973年11月25日に開館した。井上が学んだ旧制沼津中の後輩で、スルガ銀行第3代頭取の故岡野喜一郎氏が設立した。作家存命中に設立された個人文学館は珍しかった。井上は何度も訪れ読者との交流を重ねている。

文学館を設計したのは建築家・菊竹清訓だ。瀟洒で清潔な印象の、井上靖の文学作品の香りがする建物だ。代表作『あすなろ物語』の中で、主人公が詠む「寒月ガ カカレバ キミヲシノブカナ 愛鷹山ノフモトニ住マウ」という歌にちなんだ場所である。建物は自伝的小説『しろばんば』に登場する土蔵のデザインの鉄筋コンクリート二階建てである。ベルナール・ビュフェ美術館も菊竹の作品。

「日本型住宅が、21世紀の世界の理想になる」と菊竹清訓は喝破する。日本の木造建築は柔軟性と包括力をもちながら連続して発展する歴史を持っている。日本型建築とは新陳代謝する生物的建築である。それは日本型というより、グローバル型、世界型というべきだ。それが鬼才・菊竹清訓の予言である。

絵画、彫刻、音楽、文学などの領域で、西洋に対し独自性を主張する革命家をそれぞれ輩出している。その共通するキーワードは、「日本」である。建築の分野にも菊竹清訓がいた。