渡辺恒雄氏が98歳で死去ーーー本人は94歳で「カラス駆除中、転落死」のはずだった

読売新聞の渡辺恒雄氏が亡くなった。享年98の大往生。

  • 政治とは?「僕の経験からすると、まったく生臭い人情が政治・外交を動かしている。新聞記者はそこまで入らないとわからない。ネタをとれない」
  • 哲学?「一つは上なる星ちりばめたるたちのいる天空、一つはわが内なる道徳律」(カント「実践理性批判」)
  • 墓碑銘「終生一記者を貫く」(中曽根康弘が揮毫)

『私の死亡記事』(文藝春秋編)という面白い本がある。生前に本人が書く死亡記事で100人以上の有名人が参加している奇書だ。最後が渡辺恒雄である。

「カラス駆除中、転落死」がタイトル。94歳とある。「派閥記者の典型としての悪評もあった」とも書いている。葬儀は無宗教の音楽葬。この人のことは『渡辺恒雄回顧録』を読んで、来年の12月19日に書くことにしたい。

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クラウドファンディングの原稿修正

寺島さんへ、原稿確認のメール。

メタモジのソフトの使い方を電話で教えてもらう。

1月セミナーの「実践的「ライフワーク」の育て方」の原稿を書く

岩澤君と「人物記念館ミュージアム」のホームページの打ち合わせ。

富良野ホップの注文

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「名言との対話」12月19日。栗原すみ子「自分の言葉で悩める人を励ましたい、一緒にしあわせになる方法を考えたい」

栗原 すみ子(くりはら すみこ、1930年11月8日- 2019年12月19日)は、新宿の母」と呼ばれた占い師。享年89。

新宿の母が伝えたいこと しあわせになろうね』というタイトルの自伝を読んだ。

生まれて間もない息子を実家に預け上京。 「自分の言葉で悩める人を励ましたい、一緒にしあわせになる方法を考えたい」と占い師になることを決意する。24歳だった。2年後あたりから、銀座、渋谷、池袋、中野、大宮、川崎、横浜、新宿で、おみくじを売り占いをする。27歳、占いの鑑定場所を新宿に定める。42歳、18歳の息子を呼び寄せる。44歳、四谷署から路上営業の許可。53歳、二度目の結婚。62歳、茨城県協和町に「幸せ観音像」を建立。73歳、「新宿の母」携帯サイト開始。74歳、鑑定人数が300万人を突破。75歳、テレビドラマで自身を泉ピン子が演じる。88歳、占い師生活60周年、鑑定人数は420万人。

「率先して「いいところ探し」ができる人は、どんな場面でもモテるんですよ」「やさしい人の周りには、やさしい人が集まります」「しあわせな言葉を聞いているとしあわせになれる」「人生に無駄なことなんてひとつもないのよ」「あなたを高めるのは、あなた自身」「相性の悪さなんて乗り越えられるのよ」「「運がいい」というのは、、「あなたが運を味方にできるとき」という意味なのです。運がいいというのは、「今こそ行動しなさい」という意味なのよ」、、。

2006年12月22日には、占い師50周年を迎えたことを記念して、フジテレビ系列の金曜プレステージ枠にて、泉ピン子主演によるドラマ「新宿の母物語」が放送されている。また亡くなったとき、テレビで「新宿の母」がなくなりましたとのニュースが流れているのをユーチューブでみた。多くの人に影響を与えた、そうとうな有名人だったことがわかる。息子が引き継いだ「新宿の母」公式サイトでは「生前、占っていただいてありがとうございました。本当にありがとうございました」との書き込みがある。

占いとは何か。「占いは、人の運命を確定したり、未来を宣告したりするものではないんです。その人の過去や現在を深いところから読みとり、よりよい運勢を招くために、どんな努力や行動が必要なのかを見つけるための手段です」。「本当の占いは、どんなに悪い状況でも、前向きな気持ちになれるものです」。

新宿伊勢丹の入り口横のコーナーを確保した占い師・栗原すみ子は『○○の母』と呼ばれる女性占い師の元祖だ。その後、銀座の母、原宿の母、西新宿の母、浅草の母、池袋の母という女性占い師が続々と誕生する。私が家族でよくいった那須には那須の母がいて、運勢を占ってもらったものだ。私は公民館長のような仕事がまわってくるというお告げだった。そういえば、就職した頃、どこかの街角で占いに並んで、母のことを聞いたら「天寿を全うします」といわれたことがある。その占い師は新宿の母だったかもしない。

栗原すみ子は2019年12月に88歳で死去している。 「自分の言葉で悩める人を励ましたい、一緒にしあわせになる方法を考えたい」という天命を全うしたのだろう。新柄コロナの襲来で世の中が騒然とする直前だ。コロナ下では「新宿の母」はやっていけなかっただろう。その前に姿を消したことになる。引き際もわかっていたのだろうか。