「横田達之 お酒の話---日本酒言いたい放題」(武蔵野書院)

「横田達之 お酒の話---日本酒言いたい放題」(横田達之・横田紀代子著。神田和泉屋学園同窓会「たより」編集委員会編)をじっくりと時間をかけて読了。

横田達之お酒の話-日本酒言いたい放題

横田達之お酒の話-日本酒言いたい放題

オビにはこう書いてある。
「本物のお酒を楽しんでいますか?」
「国際線ファーストクラスに”本物の大吟醸酒”を初めて搭載し、わが国古来の文化「日本酒」の名を世界に轟かせた、神田和泉屋の横田達之。蔵元さえ頼りにする卓越した知識と豊潤な経験がその源泉にある。くわえて、各界から参加した2000名の卒業生を送り出すほどの、お酒の学校の校長も務めた横田の哲学を、一冊に凝縮したのが本書なのだ。」(神田和泉屋学園同窓会)

JAL時代、この大吟醸搭載に関わり、これが縁となって横田さんの主宰する「アル中学」「アル高校」「アル大学」を卒業した。学園での成績は悪かったが、高い学歴はもらった。「アル」は正式にはアルコールの意。

神田和泉屋学園は開校から27年が経ち、2015年3月に閉校した。この学園はいい酒がわかりそれを呑む人を育てることがいい蔵を残すことにつながるという信念で、味の分かる賢い消費者を育てるという志の高い素晴らしい事業だ。
その神田和泉屋店主の横田さんが1988年から毎月書いてきた2011年まで23年間にわたる「神田和泉屋たより」の集大成だ。

日本酒に対する該博な知識、現場に必ず足を運ぶ真摯さ、妥協を許さず正邪を見分ける目、職人や蔵元に対する愛情と尊敬、メディアに流される浮薄な風潮への義憤、日本酒に関わる良き人々との淡い交流、、、、。

この本には日本酒の全てが入っているという感がある。
日本酒に関する、消費者側から見た一つの優れた体系だ。電子書籍にして、言葉や疑問から検索できるようになると、日本酒に関する生き生きとした事典になるのではないか。

横田さんは、2000人の卒業生が慕っており、先日の出版パーティも200人を軽く超える大盛況だった。
ワインは農業だが、日本酒は工業、さらに言えば手工業と横田さんはこの本でも書いているが、人間も手工業製品であるとすれば、横田さんは仕事に没頭し天命を授けられ、長い時間をかけてあらゆる工夫と事上練磨を重ねて、人物の大吟醸になった感もある。

この学園ではおかみさん(横田紀代子)がつくる酒のつまみも大変人気があった。その「おかみさん料理 レシピ」も付いている。

神田和泉屋学園同窓会の編集委員たちの身に着けた知識と熱心さ、そして武蔵野書店の編集者との息が合った編集委員会の雰囲気がよく出ている。とてもいい本に仕上がっている。後世に残る名著になるのではないか。

「名言の暦」1月18日。牧野富太郎

  • 「私は草木の精である」
    • 植物は世界では25万から30万種あり、日本には7000種ある。牧野は生涯において標本を60万点採集し、新変種を1500種以上を発見し、日本植物名(学名)を命名した。日本植物分類がの基礎を独学で築いた。その基礎の上に現在の生物学があるが、現在では生物多様性の議論などもあり人気のある分野になっている。
    • この人の特徴は、独学ということである。小学校を自然中退し90余年の生涯を植物学一筋に歩んだ。日本や世界中から集めた標本は比較する必要があるため、常に新しい文献が必要であり、東京に出た牧野は一番充実している東大に出入りする。そして「日本植物志図篇」という雑誌を創刊している。このとき牧野は26歳だった。「日本の植物を、日本人の手で研究した成果を外国に知らしめる」ことが発刊の趣旨だった。その後、東大の助手となり、50歳を過ぎてやっと講師になり、大学で自由に研究ができる環境を得る。
    • もう一つの特徴は、全国の植物愛好家に絶大な影響を与えたことである。味も植物を知るための重要な要素であるらしく、見慣れぬ植物は自分で噛むこともしていたというエピソードが残っている。
    • 77歳のときには「書斎を離れるのは食事の時と寝る時だけで、私は早朝から深夜1時過ぎまで本の中で生活している。書斎に居る時が一番生き甲斐を感じる」とも述べている。
    • 西武池袋線大泉学園の牧野公園の資料記念館陳列室のビデオの中で、1月18日の逝去のときの新聞記事が紹介されており、「牧野博士 ついに死去す」とあった。何度も危機に陥りながら、その都度蘇ってきた長命の牧野の強い生命力を尊敬の意味を込めて「ついに」と書いたものだろう。
    • 妻の寿衛子は牧野の学問を経済的にも支えた女性であり、56歳での死にあたり仙台で発見したササの新種を感謝の意味を込めて「スエコ笹」と命名したという心温まるエピソードもある。今も谷中の天王寺の寿衛子の墓碑には「家守りし妻の恵みやわが学び 笹の中にあらん限りやスエコ笹」と刻まれている。
    • 「花在ればこそ 吾も在り」「楽しさや押し葉を庭の木で作り」「我が庭に咲きしフヨウの花見れば老いの心も若やぎにけり」。以上のような言葉も残しているが、冒頭の「私は草木の精である」という言葉にはただうなずくしかない。牧野富太郎の生涯は、一人の人間が一つのテーマを持ったらどこまでできるかを証明しているように思える。一人の力は小さいように感じるが、実は一人の力は無限なのかも知れない。