自前の羅針盤を--「節目の2017年--ポピュリズムの先にあるもの」

この連休は、出版準備中の2つの書籍の校正と加筆に没頭している。

できるだけ早く仕上げて次のテーマにかかりたい。

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「世界」(岩波書店)2月号の寺島実郎「脳力のレッスン特別編」

「節目の2017年--ポピュリズムの先にあるもの」を読んだ。

6日の学長挨拶、7日のインターゼミでの講話、8日のテレビ「サンデーモーニング」などの発言の要約となっている。以下、その要旨。

  • ポピュリズムは民衆の不満と苛立ちに心地良いメッセージで惹きつける手法であり、解決でなく混乱を招く。その混乱を統合で解決しようとする衝動がファシズムへの誘導路となる。20世紀前半はポピュリズムの制御に失敗した歴史だ。ワイマール共和国がヒトラーを産んだ。
  • 白人貧困層にの「格差と貧困」への怒りがトランプ政権を生んだが、この政権は「市場の声」を重視する布陣となり段差が大きい。「力の論理」も加わった金融・軍事複合体政権で偉大なアメリカを取り戻そうとするが現実はそれを許さないだろう。
  • 21世紀の資本主義社会の今は体制選択の中心概念が全く見えない。100年前と比べ、SNSの普及によって「扇動の技術」が高度化し、ポピュリズムが増幅される。
  • 自身の価値基軸をみつめ、自前の羅針盤を磨くしか、これからの時代を主体的に生き抜くことはできない。

 

「名言との対話」1月8日。岩崎弥之助

「三菱の事業は一門のために経営するのではない。お前たちの中に国家のことを考えず、岩崎家のみを考える者があったなら、三菱は潰したほうがよい。このことを、しっかり腹に入れておくがよい」

岩崎 弥之助(いわさき やのすけ、1851年2月8日嘉永4年1月8日) - 1908年明治41年)3月25日)は、日本実業家で、三菱財閥の2代目総帥。男爵三菱の創業者・岩崎弥太郎の弟にあたる。

岩崎弥太郎1834年生まれ)は、海運から始めて鉱業、造船業、保険、為替など事業の「多角化」を図った。17歳年下の二代目の弟・弥之助は海から陸へと事業「領域を広げ」、丸の内・神田に10万坪の土地を買った。その後、弥太郎の息子の久弥を経て、弥之助の息子・岩崎小弥太(1899年生まれ)は30年の長きに亘り社長業を続け、部門毎の「分社化」に取り組み重工(造船)、商事、銀行、地所と優れた企業をつくっていった。弥太郎が創業し、弥之助が財閥にし、小彌太が大きく拡大していった。

世田谷の静嘉堂文庫には、20万冊の古書籍と6500点の東洋古美術品が収納されている。その文庫百周年記念事業として美術館が建てられた。静嘉堂とは弥之助の堂号で、祖先の霊前への供物が立派に整うという意味である。

弥之助は焼け野原の土地を政府から高い価格で押しつけられた丸の内の土地を買ったとき「竹でも植えて虎でも飼うさ」とうそぶいていたという。冒頭の言葉は常に国家とともにあった三菱の神髄を示すものである。