連載「団塊坊ちゃん青春記」第9話----大学祭1

大学での行事で忘れてならないものに学園祭があります。高校の学園祭というと、詩や短歌のコンクールがあったり合唱コンクールがあったりで、あまり気負った感じもなく比較的自由に参加できたものでした。しかし大学に入ると様相は一変します。


学生運動というのは言わば、自己の存在を確認するための自己満足の運動なのですが、これを政治と結びつけてしまうために普通の人には政治運動と誤解されてしまいます。むしろ一種の自己改革の運動、実存主義の運動と理解した方がよいでしよう。どのような社会であっても、イデオロギーを武器にあらゆる勢力をやっつける人種に人気が集るものです。大学もその例外ではない、と言うより大学こそは社会に出る前の安全で自由な世界であり、もっともカッコ良い人達がカッポする世界になる可能性が大きいのです。そのような血の気の多い人達が学友会の中心にいるのですから当然のように大学祭も政治色を強めてしまいます。


ある年の大学祭のテーマは「混迷の中に光を求めて」でした。要するに“腐敗し混迷の度を深めつつある日本の政治の流れに怒りをおぼえる。その中にあって自分達は光を求めて運動を行うべきである”という趣旨のようです。このテーマのもと各クラブは創意と工夫でそれぞれの活動を行って欲しいのでしょう。わがクラブでも様々な意見が飛び交います。「このような政治情勢の中でお祭りなどとはけしからん。参加すべきではない。」又、「クラブ活動に閉じこもらず政治活動に関与しようではないか。」等々。


つまり、お祭りで何をしようかと考えるのではなく、そもそも学園祭とは何か、参加すべきか否か、参加すること自体が反革命的ではないかなどと根本的に(学生用語で言うとラディカルに)考えようという訳です。私が腹が立ったのは、そういう議論は何も生まないのだということでした。つきつめて考えるとは言うもののそれは行動しないための口実である場合が多いのです。参加しないという人達はその間何をしているかというと、マージャンやパチンコをしているのが関の山です。「ぐずぐず言わずにお祭りなんだから楽しくやろうじゃないか。探検部らしさのある素晴しい企画でアッと言わせようじゃないか。」と提案し大方の同意をとりつけてしまいました、要はなぜやるかのではなくいかにやるかだと考えたのです。



私達探検部が考え出したのは、屋台で探検料理を売ろうという案でした。(以下続く、、、)