連載「団塊坊ちゃん青春記」第15話−−−顔がひんまがった1

大学四年の夏、卒業してから返済するという約束で、三十万円もの大金を借り、ヨーロッパ旅行に一ケ月間行ったことがあります。帰国して、その興奮さめやらぬうちに、秋の試験を迎えることになってしまいました。私は、探検部の活動が忙しく、「時間がない!」といつもさわいでいる生活だったので、マージャンを昼間からやっているような連中には、軽蔑の眼をむけていたのです。しかし、就職も決まり、付き合いのためのマージャンを覚えようと思った私は、プロ級の弟を先生にして、修業をはじめました。九月半ばに行われる試験の最中の私の一日は、ざっと次のようなものです。


朝起きると、その日の試験科目の勉強をして、ラーメンを食べて学校に行きます。二時間、日頃の不勉強を悔やみながら、必死に答案に取り組みます。寮に帰ると、マージャン仲間を私の部屋に集めて、ワイワイ言いながらパイを握ります。そのうちに帰ってくる弟が私のかわりに入り、私はタバコの煙と、やかましく下品な言葉の中で、法律の勉強を行います。腹が減ってくると、当時安くてうまかった日清のチキンラーメンに卵を入れて(マージャンに勝った時は二個、負けた時は一個)タ食にします。気が向くと、というより難しい言葉に飽きると、又ゲームに参加します。マージャンに熱中した彼等は、あした試験がある男の部屋にいることなど忘れて、部屋をコーラの空びんと、煙草の吸殻ではげしく汚しながら、亡国の遊びにうつつをぬかしています。私は、その横で仮眠をとって、徹夜で眼の下に黒いくまをつくっている連中の横で、又、チキンラーメンを食べ、試験に挑戦するべく学校へ出かけるというパターンです。


マージャンの覚え始めというのは、面白くて、とてもやめることが出来ません。夢の中にもパイが現れ「待ち」を考えてしまうのです。電話番号をみても、寮の部屋番号を眼にしても、そして自動車のナンバーを見ても、マージャンを思い出してしまうのです。そして、寮から出るときは、試験を受けに行く時だけという生活の中で、食事はインスタントラーメンと卵だけしか食べていません。又、学生生活最後とも云うべうき試験のためのハードな勉強、そして、スイスの山でスキーをしたり、スペインの地中海で泳ぐという、無茶な一ケ月の海外旅行の後でもあり、疲労が回復していなかったのでしょう。二週間に亘る試験が無事終りをつげた翌日、私は、心おきなくマージャンにふけりました。そして、泥のように眠ってしまいました。


翌朝、といっても、すでに夕方近くになって起き出した私は、洗面所で歯をみがいていました。水で口をゆすごうとしたその時です。私は妙なことに気がつきました。口にふくんだ水が、私の意志とは関孫なく”漏れる”のです。歯をみがき、水で口をゆすぐという簡単な事がうまくいきません。部屋に帰って鏡を見た私の驚きは、普通の人は想像がつかないと思います。鏡の中の私の顔の左半分は、全く無表情になっています。試みに笑ってみると、右半分クシャクシャになり、左半分はうつろという具合です。早遠、友人に「どうしたのだろう」と問いかけてはみたものの、誰も、驚愕したあと笑いころげるだけで何の役にも立ちません。


二、三日はそのままマージャンをつづけていると、「久恒の顔がゆがんだ」「悪口を言いすぎて口がまがった」という噂が飛び、友人がかわるがわる私の顔を見にきます。そして、人の心も知らないで、涙を流して笑いころげるのです。私もかなり楽天的な男ですが、大して気にもせず、得意のスジひっかけでマージャンの相手をおとし入れています。ただ残念なのは、快心の笑みを浮かべようとすると、右半分の顔がクシャクシャになってしまい、情ない笑顔となってしまう点でした。


それで、大学病院に出かけて行き、みてもらうことにしました。さすがに大学病院の先生だけのことはあります。一発で“顔面神経マヒ”と診断しました。この病気は原因はよくわからないが一般に疲労か、栄養失調だと先生は云われました。そして、「おーい、看護婦は全員集れ!!」と大声で叫びました。二十人位の美しい若い看護婦が集って来ました。そして、私に「笑ってみろ」とか「額にしわを寄せてみろ」とか命令し、屈辱にうちひしがれている私の心などおかまいなく、次のように断定したのです。「皆さん、よくみておきなさい。これが典型的な顔面神経まひだ。」若い看護婦たちは、納得げな顔をしてはいるもの、笑っているものもおり、わが生涯における最大の恥辱でした。(明日も続く)