「言葉の力」塾30回記念イベントに参加。

著者のいる読書会には16人が参集。

f:id:k-hisatune:20240501065948j:image

私の発表メモ。青海エイミー「ジミー」と「本当の私を探してた」について。小説とは何か。希望。勇気。新しい自分。自分づくり。体験。ピラミッド。次のテーマ。、、、

f:id:k-hisatune:20240501070653j:image

参加者の発表メモ。

f:id:k-hisatune:20240501070459j:image

ーーーーーーーーーーー

昨日のHPの訪問数が1676となっている。原因は何だろうか。

ーーーーーー

「名言との対話」4月30日。立花隆「知の旅は終わらない」

立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年昭和15年)5月28日 - 2021年令和3年)4月30日)は、日本ジャーナリストノンフィクション作家評論家。本名は橘隆志。享年80。

長崎市出身。東大文学部フランス文学科卒業後、文藝春秋社に入社。3年で退社。1967年東大文学部哲学科に学士入学するが、東大紛争などがあり中退。

1974年「文芸春秋」に「田中角栄研究」を発表,この論文は首相退陣への引き金となる。1979年「日本共産党の研究」で講談社ノンフィクション賞。1983年菊池寛賞。1987年「脳死」で毎日出版文化賞。1998年司馬遼太郎賞。2014年「読書脳―ぼくの深読み300冊の記録」で毎日出版文化賞。著作はほかに「臨死体験」「電脳進化論」など。

立花隆は生物学、環境問題、医療、宇宙、政治、経済、生命、哲学、臨死体験などをテーマに執筆し、その都度ベストセラーになっている・「知の巨人」と呼ばれた。

私は立花隆の著作や活動に関心があり、著作も多く読んでおり、知的生産者としての立花に惹かれてきた。

亡くなる直前の2020年3月には『知の旅は終わらない』(文春新書)を読んでいる。「立花隆は、青年期、壮年期、実年期を経て、熟年期の入り口に立っている」と総括して、活躍に期待している。

副題は「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」だ。哲学、古代文明脳科学、司法、音楽、美術、近現代史人工知能、神秘思想、論理学、宇宙、がん、、、、。知の旅の自分史である。

エリート校の小学校で知能検査で学校一番。上野高校時代には旺文社の大学入試模擬試験で全国一番になる。ノーベル賞湯川秀樹にあこがれて素粒子物理学をやろうとするが、色弱のため断念している。(こういう記述は、立花隆には珍しい)

東大に入り原水爆禁止運動にのめり込む。原爆禁止映画を上映しながらヨーロッパを旅することを考え、実行に移し、ロンドンの国際学生青年核軍縮会議から招待状が届く。半年間の旅で人生最大の勉強をする。帰国すると、デモなんかよりもやるべきこと、なすべきことが山のようにあることに気づく。20歳前後はかたっぱしから口の中に放り込む時代だという。(同感だ)

文芸春秋社に入社するが、仕事がいやになる。本も読まなくなりどんどんバカになっていく気がする。3年で退社し、東大の哲学科に学士入学する。文春時代に本名の橘隆志と同音異字の立花隆というペンネームになる。(就職して多忙で本を読まなくなり、そのような生活に疑問を感じる。私の場合は、何とか知の旅を続けようと悪戦苦闘)

事前の準備しだいでインタビューで引き出せる話の質も量も違う。一流の学者を個人的な家庭教師にするようなものだった。取材でいちばん必要なのは質問力だ。質問する側の知性が試される。(雑誌や本の取材で、偉い人にインタビューをするのが一番面白い)

人は小さな旅がもたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在だ。(人は変化が常態だ)

20代から30代前半の「青春漂流」の時代を経て、一人前の人間になる。定住生活を始める。成人期の始まりだ。34歳で「文藝春秋」に「田中角栄研究」を書き、田中首相の逮捕へつながっていく。その過程で出版をじゃまする人々に遭遇し、第二弾はでなくなる。「あんな奴らに負けてたまるか」という怒りがエネルギーとなって1万枚を超える仕事がスタートする。(20代の青春漂流を経て、私も30歳前後から足元を掘り続ける定住生活に入った)

スピノザの「永遠の相の下に」に見ることが大事だと悟る。「時代をこえて語られるのは、ただひとつ、時代をこえて語られるだけの価値を持つ真理である」。永遠の相の下で見ても価値がある言葉を発見する方に仕事の中心を移していこうと考える。(永遠相のもとで取り組むべきテーマ、やるべき仕事に向かうことだ)

38歳、『日本共産党の研究』(講談社ノンフィクション賞)。43歳、菊池寛賞。同年に初めてのベストセラー『宇宙からの帰還』。51歳、『精神と物質』で新潮学芸賞。52歳、ネコビル竣工。54歳、『臨死体験』。58歳、第1回司馬遼太郎賞。73歳、『自分史の書き方』。76歳、『武満徹」・音楽創造への旅』。(この人の本はずっと読んできた。とくに知の技術関係は見逃していない)

同時代人として見た戦後現代史。近代史。生物の進化史。地球史。宇宙史。大きな視点でみると全体がよく見える。(歴史を追いかける旅人は、足元から遡ってどこまでも行くことになる)

人の死生観に大きな影響を与えるのは宗教だ。樹木葬か。(死生観が固まれば何も怖くはなくなる)

9年前に未発表リストの存在を発表している。そのうち3冊は完成済みという。この知の巨人は、間断なくいい仕事をし、その都度、メディアで話題になっている。その立花隆も80代を迎える。今後どのような知のパノラマを見せてくれるだろうか。この人も「終わらざる人」である。(1940年生まれの立花隆は、青年期、壮年期、実年期を経て、熟年期の入り口に立っている)

折に触れて、立花隆についてこのブログで知りしてきた。その一部を記しておこう。

田中健吾文藝春秋』編集長は、自民党というのは、ぬえのような存在で、洗い直すことはできなかったけど、立花君はクー)ルにやったらどうだろう、と」と、回想している。(文藝春秋2021年9月号)「文藝春秋」に書いた 「田中角栄研究」がきっかけで田中が逮捕されるにいたったとき、新聞記者たちはあんなことは知っていたと語り合ったそうだ。しかし、人からの伝聞と自らの調査では、ものが違ってくる。

・「どういうふうに自分たちの世界が構成されていて、どういうふうに世界は動いていくのか、その全体像の把握が教養です」。

「哲学的な思索というのは、正解がない問題について、深く考えることである」

・「がんに勝てなくても、がんい負けない生き方はあると思った」

・「取材をしないジャーナリストが生存できる時代は終わった」

『宇宙からの帰還』。アームストロング船長を「精神的に健康すぎるほど健康な人で、反面人間的面白みにはまるで欠けた人物。驚くほど自己抑制がきく人で、いかなる場面でもパニクルとか、感情が激するといったことがな。」と評している。その通りであった。同僚のオルドリンは月面に降り立った二人目となり、敗北感を持ち、帰還後の喧騒の中でうつ病を発症している。登山においても誰が一番先に頂上に立つのかが問題になるが、宇宙飛行においても同じことがある。この栄光の影には、人間関係の問題もあったことがわかる。

2012年に新宿のプレイスMで開催中の「立花隆の書棚」展を覗く。ネコビルの地下2階、地上3階、屋上書庫。3丁目のマンション(57.7ヘーベ)。立教大学研究室。3号館屋根裏。 以上の3つに分散されている約10万冊の書籍が納まっている書棚を書名が分かるうように克明に撮影した、わし田純一さんの展覧会だ。28棹、1881棚、2389段、10万冊。この企画は書斎ではなく、書棚に目をつけたのがユニークだ。わし田さんがいらしたので話をする。リービ英雄大宅壮一文庫、梅棹資料室、司馬遼太郎記念館徳富蘇峰などの書棚が話題になった。現代の知の巨人・立花隆の書棚、納めてある書名に興味をそそられて眺めた。

2014年9月。NHK「臨死体験 立花隆 思索ドキュメント 死ぬとき心はどうなるのか」。

  • 心を構成する「意識」は、膨大で複雑な脳細胞のつながり(ネットワーク)の中にある。意識は脳内の様々の要素を統合する機能だ。死ねばつながりがなくなるから意識は消える。複雑なネットワークでは意識が立ちあがってくる可能性があるから、機械にも意識があらわれる可能性がある。つながりが複雑なほど意識の量多くなる。
  • 心拍が停止した後も、短い時間だがわずかな量だが脳波は動いている。このときにみる夢が臨死体験である。偉大なものから包まれて幸福感に満ちている状態。脳の辺縁系は人を幸福感で満たすことができる。
  • 様々な感覚を統合する辺縁系という脳の部分が最後に壊れるとき、体と意識の分離の感覚が起こることがある。意識が体から抜け出して空中浮遊する。それが体外離脱現象である。救急医療が増えてきて対外離脱体験者が増えてきている。

立花隆は、「知の巨人」として私は長い間、その足跡を追ってきたし、書かれた内容もそうだが、知的生産の技術に大いに関心を払ってきたから、大きな影響を受けている。

立花隆は、がんに冒されても、がんの本質に迫っていく。その姿も映像で見たことがある。どこまでも興味を追求した人だ。青年期、壮年期、実年期を経て、80歳からの熟年期の入り口に立ったところでその活動を終えることになった。