吉野作造記念館再訪

仙台駅の12番ホームで降りて向かいの11番線の各停の新幹線に乗り換えた寺島実郎さんと車内で待ち合わせ。今日の小旅行の目的は古川にある吉野作造記念館を訪問することだ。先日東京で会った時、雑誌連載の取材の一環として訪れたいとのことだったので東京から日帰りの旅が実現した。


市内を流れる緒絶川のほとりにある橋平酒造店の酒造蔵・家財蔵・屋敷を再現した「醸室」(かむろ)の味所あらいではっと料理を昼食に食べ、そのまま記念館へ。


小一時間二人で館内を見学する。記念館は土曜日だったのだが、寺島実郎さんと私の二人しかいない。それぞれ興味のある展示を見て歩く。


大正デモクラシーの中心人物だった吉野はキリスト教倫理に基づき政治を実践することをテーマとした実践の人だった。東大では小野塚教授の「君主も国家の一部」という思想に感銘を受けるが、キリスト教の本郷協会で海老名弾正(1856−1937)という人物に大きな影響を受ける。海老名は吉野より22歳年上であるが、経歴をみると熊本洋学校同志社、本郷教会を経て、1920年には同志社の総長をつとめている。熊本出身徳富蘇峰新島襄らの影響を受けた人物であろう。吉野はキリスト教の正義と愛を実現すべく社会事業家としても活動をしていて、東大キリスト教青年会理事長としてセツルメント活動にも熱心だった。それが東大セツルメントにつながっていく。


寺島さんは岩波書店の雑誌「世界」の「脳力のレッスン」(本質を見抜く眼識で荒tな時代を切拓く)という連載を持っている。この7月で63回目の連載というから5年以上続いているが、現在のテーマは「ベルサイユ講和会議が今日に示唆するもの」だ。ここで近衛文麿吉野作造を取り上げる予定で今回の訪問となった。


「人物を書くからには真正面から真剣に向き合わねばならない」「根本のところは何か」などが寺島さんの問題意識だ。


館長の田中昌亮さんを呼び出し、短い時間だったが少し話をする。この記念館は講演を頼みたくて何度もアプローチしてきたそうだ。だから書面上では面識があるらしい。


私は二度目の館内訪問だったが、今回は「吉野作造評論集」「古川よ影」「吉野作造--人生に逆境はない」「故吉野博士を語る」などを買った。吉野作造日記を読みたかったが、絶版で古本屋しか手に入らない。吉野も30歳過ぎから亡くなるまで日記を書き続けていた。


ほとんどの時間を人物論を語り合いながら過ごしたが、「1900年の旅」など近代の日本人の足跡を日本のみならず世界に足を伸ばして訪ね歩いている先達の寺島実郎さんは、目線深くその人物の本質に迫ろうとする。