現代の「鳥瞰図絵師」を目指そう

日本の江戸時代に鳥瞰図絵師という職業があった。風景をまるで鳥になって上空から見下ろすように描くことができる絵描きである。
この手法は屏風に描かれた絵巻物を源流としており、全国の名所をこの手法を使って描いた浮世絵は今も多くの人を魅了している。山や川、都市の建物などが並んでいる順序は正しいのだが、一枚におさめるためにゆがんでいることもこの手法の特徴のひとつだ。
この図絵は全体を俯瞰しており、位置関係が一望できるので人気があった。

大正時代にこの手法を発展させた吉田初三郎という鳥瞰図絵師がいて、全国の景勝地を描き、鉄道の建設で始まった観光ブームに火をつけた。「大正の広重」と称したこの人の展覧イベントを見てきたが、錦絵のような鮮やかな色彩と、富士山や見えるはずのないアメリカや樺太を描くなどの大胆なデフォルメという手法を駆使しているため、世界や日本の中での景勝地の位置がよく理解できた感じになった。
この絵描きは見えるはずのない高みに視点を定め、風景を切り取る作業をしたわけだが、どうしてそういうことができたのだろうかと不思議な気持ちで感動に浸った。

私達が風景を見るときは、山の三合目より五合目の方が風景の持つ意味がよく理解できる。七合目を経て、頂上に至ると眼下に素晴らしい全体景色がひろがって気持ちがいい。もっと高い視点はどこか、それが空を自由に飛んでいる鳥の視点だ。その上はヘリコプターから見下ろす視点、そして飛行機になるがこのあたりになると景色には現実感が乏しくなる。さらに上昇すると人工衛星、宇宙船となり最後は神の目に行き着くだろう。

鳥瞰図絵という手法は、航空機の登場で廃れたとのことだ。しかし、航空写真で風景を切り取ったらわかるかという問題がある。写真や絵は写実をテーマとしているから、事実や実態を描くのが目的だ。だが、実態をそのまま、「科学的」に見せられても私達は理解できるだろうか。
視点が高すぎても低すぎても私たちはよくわからない。人間の頭のレベルに近い適度な高度という視点が必要なのだ。鳥瞰という手法で絵を構成し、その中に「情報」をわかりやすい形で提供したから図絵というように「図」という言葉が入っているのではないか。
図とは情報のことである。情報というものはそのままの形ではなく、料理やデフォルメをしないと私達人間の頭の中には入らないのだ。

社会、経済、情報、そして仕事といった目に見えないソフトな分野は、複雑に絡みあって、なかなか全体像や部分同士の関係が理解できない。
私達が日常取り組んでいる仕事とは、その複雑な関係を解きほぐして一枚の図にし、それを改善し、あらたな図をつくりだす作業だとも言える。虫の目をもって地上で這いつくばって動いている限り全体像は見えてこない。

足は大地についていても鳥の目を持つことが仕事の成功に欠かせない。鳥の目は自分のいる位置を全体の中で相対化してくれる。全体の中で自分の位置をつかみ、問題を高い次元で解決することが重要である。