「市民たちの青春 小田実と歩いた世界」(小中陽太郎)

小田実という巨人と同伴者として時代を疾走した著者との交流を描いた鎮魂歌。一気に読んで心を打たれました。下手な論評をすることは一切やめて、著者の言葉を追うだけにしたいと思います。

「本書は、、、、小田と自らの45年にわたる日々を、デモ、脱走兵援助、ベトナム訪問、女性、文学をめぐり、小田の類まれな指導力と人間性を赤裸々に描いた記録である。」
ベ平連の理念と小田の人間性を知ってもらいたく、ぼくの唯一の取柄−−−−自由を旗印に、この記録に挑む。」


この本の中に出てくる小田実小中陽太郎をめぐる人々の名前を書きだしてみます。この名前を眺めるだけであの時代の息吹が聞こえてくるようです。「ベ平連」の時代は途方もないエネルギーに満ちていた、市民たちの青春だったのです。

川本三郎鶴見俊輔吉川勇一加藤周一大江健三郎・香山健一・久野収開高健本多勝一・オノヨーコ・ジョンレノン・坂本一亀・岡部雅郎・野坂昭如永六輔中村八大・中谷昇・萬之助・池田一郎(隆慶一郎)・木下恵介山田太一森有正・児島襄・竹中労児玉隆也・佐久間稔・鈴木武樹鶴見和子・高畠通敏・いいだもも・武藤一羊等・吉本龍明・桑原武夫坂本義和中曽根康弘宮沢喜一宇都宮徳馬飛鳥田一雄上田耕一郎無着成恭ばばこういち岡本太郎・福富節男・和田春樹・栗原幸夫・日高六郎・チョムスキー・大森実・田英夫サルトル・ボーボワール・横尾忠則岸恵子高橋和己・柴田翔丸谷才一安岡章太郎辻元清美・古藤晃・渡辺喜美中川昭一金大中秋田明大・小澤遼子・金芝河中野孝次宮本顕治土井たか子有田芳生山口鶴男鎌田慧・吉岡努・小熊英二、、、、、、、。

以下、小中の小田の人物評。二つ年下の小中は巡りあった小田実という巨人と一つの時代を一緒に確かに生きたということでしょう。

  • この男には世界大の題材を摑み取るエネルギーとマイノリティにこだわる人生観の両面があった。
  • 彼のエネルギーの源泉は牛のような反芻にあった。そして夜更けまで論じつくすのである。
  • こういう論客、一言居士が小田に心服したからには、小田にはある大きな磁力があったのだろう。
  • 小田は、こういうとき臆病なまでに慎重である。
  • あの小さな矩形の中に首尾よく着陸できるのだろうか。小田といrてばできるだろう。ぼくはこわくない、となりに世界一の大旅行家がいるのだから。
  • ぼくも兵役拒否者になたとぁけでも、革命家になったわけでもない。ただ、宗教のように小田についていっただけだった。
  • 小田はたぐいまれな知識人で、議論家である。英語を駆使し、古典ギリシャ語を読み、万巻の書を読破する。それでいて、地べたのオモニやアボジと膝を交えて、手をたたき、鼓腹撃壌、長い手を頭の上にかざして舞い踊る。
  • 小田の中には知識人と放浪者の二つのDNAがとうとうと流れ、彼の血管の中で矛盾なく溶け合っている。
  • それにしても、彼の女性に対する暴君ぶりは相当なものだった。
  • 小田とぼくの関係は、光源氏と従者の藤原惟光のようなものだ。
  • というより小田自身が大編集者で、書き下ろし、連載、口述、共著と使い分け、大出版社を手玉にとり、若い編集者を育てた。
  • いつも締め切りに追われていたが、書きだすと着想は滾滾と泉のように湧いてくるようだった。
  • そういう加害者性を認めたうえで、それをバネにして新しい立場を作り出そうとする積極的な「自己肯定」が小田の特徴だった。
  • だから小田は頑張る人というよりあきらめる人だった。
  • 小田は、人の悪口を言わない。人が言っても気にしない。彼は何よりも、決して人の批判や悪口を言わなかった。

2007年2月に最後に大勢で食事をしたときの小中の感慨。
「二人だけでいたかった。ぼくは小田を取り戻したかったのだ、とやっとわかった。女性たちがそう思っていたように。」


この本は、人間・小田実の魅力と、小田が生きた時代を、小中陽太郎らしい自由な筆致で十分に描き切った傑作であると思います。